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以仁王の令旨
「諸国源氏並びに軍兵らに下す 平清盛並びにその従類須らく追悼すべき事」 というのはかの有名な以仁王の令旨です この令旨に大義名分を得た源氏は平家打倒の兵を挙げるわけですが… 令旨ってそれだけの命令権はあったのでしょうか? 当時の朝廷のトップは後白河法皇で法皇の院宣こそが効力のあるものと思ったのですが…
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そろそろ大河でもこの辺りを放映するはずですが、 簡単に言うと、当時後白河法皇は「治天の君」ではなかったのです。 このとき後白河法皇は、平清盛によって幽閉されていました(治承三年の政変)。 清盛のクーデター後の治承四年(1180年)、 高倉天皇が安徳天皇に譲位し、新院となり新たな治天の君になっています。 つまり院も帝も平氏の手の中に落ちており、院宣も綸旨も出すはずがありません。 はじき出された以仁王が、挽回の一手としてうったのがこの「令旨」だったのです。 (後白河院が陰で糸を引いていた可能性もあります) 平氏に対する不満はこのころ頂点に達しており、切欠があれば爆発する状態でした。 以仁王の「令旨」は、まさに絶好のタイミングで下されたものだと思います。 なお「令旨」は、平安時代中期以降は親王以外の皇子でも出すことは可能でした。 以仁王は、平氏に繋がっていない王族の中では最も上位の皇子であり、 御輿となる資格は十分にあったと思われます。
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- izuhara
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本人がどう思っていたかはわかりませんが、以仁王の令旨にはたいした効力はないでしょう。 要は反平氏勢力が挙兵する大義名分を与えたことに意味があったのだと思われます。 その後の経過を見ると、王家でもあまり高い位置にいない以仁王の令旨であっても、平氏に不満を持つ勢力が挙兵するには十分なきっかけだったようです。
お礼
ありがとうございます 源氏がうまく利用したということですかね
- mekuriya
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追討の間違いだとは思いますが、「命令権」ということじゃないんです。 元々源氏は平氏を討ちたくてうずうずしていたわけです。しかし何もなしにいきなり兵を挙げると私闘になります。逆臣、朝敵の汚名を着せられるかもしれません。そういう可能性があると兵は集まりませんし、集まっても士気が上がりません。百姓も非協力的になってしまいます。これでは追討どころではない。 それが以仁王の令旨が発せられた。そうなると挙兵は、公闘です。逆臣、朝敵の平氏を討つという大義名分を天下に轟かせることができます。やあやあ我こそは朝廷の一番の忠臣であるぞといばることができるのです。兵はわれ先に集まってきます。百姓は喜んで食糧を供出して協力してくれる。 大義名分とは、そういう効力のことをいうのです。令旨でも院宣でも何でもいいんです。大義名分が立ったという既成事実があればそれでいいのです。 平将門の先例があります。日本の歴史で朝廷に反逆して栄えた一族などひとつもない。それは武士の常識だった。だから何より逆臣、朝敵となるのを恐れるのです。 人は命令なんかで命をかけて戦いなどしない。自分の利益になると信じるから命を賭けられるのだ。一生に一度あるかないかの立身出世のチャンスだ。嫁をもらえるかどうかの瀬戸際だ。手柄を立てて世間に認められるかどうか。平氏に奪われた土地を取り返せるかどうか。褒美をもらえるかどうか。武士という武士は、そういう自分の願望、欲望を達成する為に戦ったのだ。
お礼
ありがとうございます 追悼 変換ミスです 泣 ありがとうございます そういう視点の解釈も勉強になりますね 感謝です
- suicyo
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一般論として言えば、当時、現代法規のように全国津々浦々にまで強制力を及ぼすような指揮命令系統は存在しません。治天の君である上皇の院宣であっても、その効果は上皇の領地・利権の及ぶ範囲に限られます。その意味で、親王宣下すら受けられないヒラ皇族である以仁王の令旨の効果など、以仁王のネームバリュー程度のものだったはずです。 しかし、です。大河ドラマにも登場していますが、以仁王には後白河法皇に次ぐ皇室の実力者である八条院の後ろ盾がありました。表向きは以仁王の令旨という形式を取りながら、口頭では八条院の命令だと言って八条院の領地に檄を飛ばせば、その効果は相当なものだったと思われます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%B2%E5%AD%90%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B
お礼
意外と権力者だったんですね まぁ 安徳天皇がいなければ皇太子だったはずの身分ですから当然なのかな… 八条院の命令なら効果ありそうです 確かに
- jkpawapuro
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そもそも以仁王は親王宣下も受けていない自称親王の単なる王子ですので、 歴史上以仁王の令旨と言われていますが正式な令旨ではなく僭称した令旨ですよね。 無冠の皇子で朝廷においてなんの権力も無い似非令旨ですので、なんの権利も正当性も無いです。 効力となるとどうでしょう?結局武力にものを言わせようって話ですから、勝ってから以仁王を武力でしかるべき地位に据えて令旨を正当なものにしてしまえばいいわけです。 そういう意味では皇子というだけで勝てば意味があるし、負ければもちろん似非令旨ではなんら違法性を阻却はされないので意味は無いです。 結局は勝てば官軍負ければ逆賊、その勝てば官軍になれるという一定の補償にはなったのでしょう。 そういう意味ではこの大義名分だけで源氏が一斉に立ち上がったわけですから、効力があったのでしょう。 天皇家が一人残らず平家に震え上がっている状態では、どこまで勝っても逆賊です、その状況では誰も蜂起できず勝てるわけはありません。 きっかけと勝ちさえすればなんとかなる(かも?)という補償ですね。
お礼
そうですね 上手く皇族の不満分子を取り込んだ源氏の策略かもしれないですね ありがとうございます
お礼
ありがとうございます 源三位頼政の悲願でした… また 令旨の流布は新宮十郎義盛(源行家)がよくやってくれたと思います そうです以仁王は安徳天皇さえいなければ時期天皇の最有力候補でした(平家の権力を遠ざけるために院側が擁立の可能性) しかし以仁王も宇治平等院にて戦死… ありがとうございました