家康の時代では、まだ武士道は確立されていません。まだ当時は武士は卑怯と罵られても、どんな手段を使っても勝たなければならないという思想もありました。
武士道は江戸時代に確立されたものです。徳川家康が徳川幕府を発足させ戦国時代を終わらせて合戦のない平和な世の中を構築すると、そもそも武士とは何ぞや?武士はどこが町民・百姓と違うのか?どうして武士だけが特権を握っていばっていられるのか?そういう疑問が次々に生まれます。武士の家で、子供を後継者として育てる為に武士の定義が必要になったのです。戦国時代じゃないから、戦場で手柄を立てて一人前という教育が不可能になったからです。どうやって人材を育成し、子供に武士という自覚と意識を持たせればいいのか。何を目標として子供を育てればいいのか。江戸時代になって生じた、そういう問題を解決する為に武士道が理論的に整備されたのです。戦がないのに、戦う人という武士の定義は意味を持たないからです。
家康本人が武士道を構築したわけではないが、家康が築いた江戸時代によって武士道が構築されることになった。そういう比類の無い功績を挙げた家康を批判することが武士道の目的であるわけがありません。
お礼
もう小学生の頃から、家康は外堀だけを埋める約束を破って内堀まで埋めてしまった、と思っていました。 そう本に書いてありましたから。