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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:内部告発と武士道精神)

内部告発と武士道精神

このQ&Aのポイント
  • 「内部告発と武士道精神」について考える
  • 内部告発は武士道精神に反するのか、それとも則しているのか
  • 私の考えは葉隠派であり、内部告発は武士道精神に反すると思うが、企業の自浄作用という利点もある

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

私が誤解していると感じたところは、 「主君に対して絶対の忠誠を誓う、絶対の奉公の道をとく。この観点から見ると内部告発など武士道精神に反すると思えてしまいます。」 というところです。 これは宗教の忠誠や信心であって、葉隠れとは違うと思います。  山本常朝は殉死を断られて出家した人ですから、絶対という考えは無かったと思います。 彼が言いたかったことは、命を惜しまず名を惜しめ。生に果てはあれど、名に果ては無し。 不惜身命で精進せよということだと思います。 例えば、三島由紀夫は葉隠れを実践した人です。 彼は国家に忠誠を果たすのではなく、テロリストとして最後を遂げました。 捕まって恥をかくことなく、切腹して見せました。こういった覚悟が葉隠れの真髄だと思います。 内部告発に関しては、 一命を賭して不正を正すのが葉隠れ流だと思います。 見てみぬ振りは名をおとしめます。共犯はもっての外。 覚悟の無い匿名も、みっともない保身です。

noname#196837
質問者

お礼

二度も回答下さり感謝致します。 他の回答者様のお礼でも申しましたが、葉隠に関しての理解が乏しいようであります。ご指摘ありがとうございます。読み直し理解を深めたいと思っております。 >内部告発に関しては、 一命を賭して不正を正すのが葉隠れ流だと思います。見てみぬ振りは名をおとしめます。共犯はもっての外。覚悟の無い匿名も、みっともない保身です。 これこそが私の思うところであります。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • gouzig
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回答No.7

ご指摘の問題提起ですが。 新渡戸稲造の武士道精神に、主君に対して絶対の忠誠を誓う、絶対の奉公の道をとくとはの教えはありませんよ。 現在では「新渡戸にとって武士は国際社会において日本人の倫理感の高さ、国民一人一人が社会全体への義務を負うように教育されていると説明するのに最適のモデルであったとするのが今日の一般的な見方である」とも書かれています。 bien_aimerさんの云われている考えは、江戸時代からお家制度を守るために儒教の教えを利用した考え方です。 しかし、儒教についても孔子が教えたのは親、先祖であって、決して会社や国などの権力者を敬えということではありません。 それらは、儒教の源である孔子、そして新渡戸稲造の武士道をよく調べれば分かります。

noname#196837
質問者

お礼

回答ありがとうございました。ご教示感謝致します。

noname#196837
質問者

補足

回答ありがとうございます。 質問を読んで頂ければお分かりになると思いますが、 >新渡戸稲造の武士道精神に、主君に対して絶対の忠誠を誓う、絶対の奉公の道をとくとはの教え とは一言も言っておりません。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.5

武士道というと死ぬこととか裏切らない事とかいうけれど、専門家に言わせれば「武士道は武士の数だけある」というのが正解。つまり決まったものじゃないんですよ。ただたまたま剣豪やら書名人が勝手に書いた本が残っただけ。 そもそも「みち」は「道」であって「路」ではないんです。 「路」は人工的に整えた「みち」です。例えば東京から京都までの街道などですね。 これに対し「道」は何度も通っている間に自然に出来る道、例えば獣道などです。 人間が生きていく中で、自然発生的に最善と思われる生き方を説いたのが「道教」という事なんです。 つまり道というものは誰かから教わるのではなく、自ら見出すべきものなのです。 さらに「死ぬ」という事では「死にゃぁいいんだ」というわけじゃありません。 そんな程度の低い解釈をしたのが突撃精神です。 死ぬことというのは生きる事です。命を懸けて生きるために戦うから死に価値があるのです。 主君に過ちあるときは命を懸けて正す事もまた忠臣の務めでもあります。 一時の恥を避けて家を滅ぼしては忠臣とはいえないでしょ。という事でもあります。

noname#196837
質問者

お礼

>命を懸けて生きるために戦うから死に価値があるのです。 決死と必死の違いということでしょうか。 道教に関する回答者様のご教示は勉強になりました。他の回答者様のご指摘にもあるように葉隠に関しましては、私の理解が乏しいようでありますので、今一度読み直して理解を深めたいと思っております。 回答ありがとうございました。

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.4

「葉隠」は名著ではありますが、精神性と共に、処世訓や作法(マナー)集的な要素もありますね。 一方では、たとえば当時から日本人の殆どが是とする赤穂浪士に対しても、「吉良を討ち果たした後は、直ちに腹を切るべきだ!」などと、直情径行的な批判をしていますが、独自の視点が多く、やや個性的な面もあります。 すなわち、現代的に言えば、流行やら当世風に批判的な、高度経済成長時代のモーレツ社員が書いたビジネス書・・みたいな感じですよ。 従い、当時でも今風ではなく、多くの共感を得た武士道とも思えませんが、「武士道とは死ぬことと見つけたり」の珠玉の名言で、内容以上の評価を得たり、「死や滅私奉公を美化する著書」と誤解されている様に思います。 また珠玉の名言は、「自分が助かろうとすれば、失敗するので、個人の利害などは捨てて、物事に当たりなさい」と言う意味合いで、どちらかと言うと「生き方」に対する提言です。 現実的な武士道は、「主君」と言うよりは「お家」に仕えるものであり、「お家大事」の家臣が、愚昧な藩主を隠居させたり、暗愚や病弱な継嗣を廃嫡させるなど、これも現代風に言えば、企業永続のためには社員が社長をクビにしたワケで、「やたらと会社への忠誠心が高い」です。 「お家安泰」なら、自分のみならず、孫子の代まで身分が保障される社会体制ですから、まあ当然ですが。 また当時は、公権力(幕府)による改易,減封,移封などが頻繁に行われ、大名家や旗本家にとって最大の警戒を要すものでした。 お家が改易などを食らえば、その家に仕える武士も失業者ですから、主人は裏切っても、主家を裏切る内部告発など、ほぼ「有り得ない概念」と言えるかと思います。 そんな風潮の中で「葉隠」は、「自分を捨てろ」と主張しているワケだから・・・新渡戸流の解釈も、あながち葉隠に逆らっているとも思えません。

noname#196837
質問者

お礼

山本常朝の「葉隠」には江戸時代以前の武士道精神が色濃く残っているように感じました。 一方新渡戸稲造の武士道とは先に海外向けに出版されたせいもあるのかもしれませんが、こちらこそが日本人の道徳観を示そうとしたように感じました。 どちらも賛否両論あり、それぞれ全く違った捉え方をしているのが興味深いのですが、私は新渡戸稲造の武士道には生ぬるさを感じてしまいます。しかしながら他の回答者様のご指摘にもありますが読解ミスをしているところもあるようですので今一度読み直してみたいと思っております。 >お家が改易などを食らえば、その家に仕える武士も失業者ですから、主人は裏切っても、主家を裏切る内部告発など、ほぼ「有り得ない概念」と言えるかと思います。 このご意見は勉強になりました。どうやらこの部分誤解をしていたようであります。 回答ありがとうございました。

  • lv48
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回答No.3

葉隠れをちょっと誤解していると思います。 命を惜しんで名を汚さないように、何時でも死ねる覚悟を持つための毎朝の切腹の真似事が、すなわち武士道とは死ぬことと見つけたり。 バンカラが流行った時代のバンカラサラリーマンは、己の信念を貫く為なら何時でも辞める覚悟で、常に胸に辞表をしのばせていたとか。 内部告発は、正々堂々と実名をだして責任を取れば葉隠れの精神です。 命を惜しんだ匿名はみっともなく、葉隠れではありません。

noname#196837
質問者

お礼

前回質問では、書籍、サイト等ご紹介下さりありがとうございました。 その流れで「葉隠」も読んだ次第です。 武士道とは死ぬことと見つけたり、この文の意味は回答者様の仰るように正しく理解しております。 もしかしたら他の回答者様へのお礼をご覧になって、私が死を賛美するように解釈していると思われたのでしょうか。決してそのような誤解はしておりません。 >己の信念を貫く為なら何時でも辞める覚悟で、常に胸に辞表をしのばせていたとか。 そんな時代もあったのですね。現代そのような覚悟を持って職に就いている方はいるのでしょうかね。 少なくとも私の周りではいないように思います。 内部告発に関してのご意見はごもっともかもしれません。自らを安全な場所に置き内部告発するなど、やはり葉隠の精神からは遥か遠くにあるように思います。 今回も勉強になりました。ありがとうございます。

  • hekiyu
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回答No.2

”武士道精神という観点からすると内部告発とは如何なものだと思いますか?”          ↑ 葉隠れの武士道に、主君への絶対的忠誠が あったでしょうか? 私の記憶では、己の名誉の為に命を賭ける という印象でしたが。 武士道とは、武士の道徳律です。 そして、武士とは、戦闘のプロのことです。 従って、その道徳律となりますと、まず第一に 挙げられるのが勇気です。 戦闘のプロが臆病では話になりません。 次が「義」です。 義が無い武力はタダの暴力に過ぎないからです。 その義に何を求めるか、現代に翻訳すると、どう なるか。 企業に対する忠誠心を義に含ませるのは、現代的 な翻訳としてはいかがなモノでしょう。 昔でも、義は、主君個人に対するものではなく、 藩という「公」に対するもの、という説が強かった のです。 まして現代です。 一私企業に対する忠誠心よりも、公に対する忠誠心 の方が優先するのではないでしょうか。 私見ですが、内部告発は、武士道の問題ではなく、 日本の集団主義に基づく、仲間意識の問題だと 思っています。 仲間を裏切ることの是非ですね。 武士道とは関係が無い、少なくとも薄いと思います。

noname#196837
質問者

お礼

早々にご回答頂きましてありがとうございます。 「葉隠」を読みましたのは最近のことでありますが、主君への忠誠、奉公を主とする自己犠牲の精神と理解したのですが、読解ミスなのでしょうか。 他の回答者様のお礼でも申しましたが、やはり時代に則するという観点が欠けているのでしょうか。 今手元に資料がありませんがダグラス・グラマン事件で自殺された日商岩井の役員がいましたね。謀殺されたなんていう説もあったらしいですが。 この事件に関する本を以前読んだことがあり、この方の死は極めて武士道精神に則したものであると解釈したわけです。しかしながらこの事件も私が生まれる前のことであり現代と重ね合わせてしまうのはやはり無理があるということなのかもしれません。武士道精神にロマンを求め過ぎているのでしょうかね。 >日本の集団主義に基づく、仲間意識の問題だと 思っています。 確かに仰る通りかもしれません。 いつも大変勉強になるご回答を下さり感謝しております。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.1

>昨今、企業における内部告発が問題視されています。 武士道精神という観点からすると内部告発とは如何なものだと思いますか?       ↓ 「あくまでも、内容と動機と方法の問題にて、是非や印象評価は異なると思います」 ◇確かに、企業や組織に於ける機密情報や内情を外部に漏えい・流出させる行為を組織防衛や統一行動(チームワーク)や倫理面で良い印象を持てず、裏切り&内応者・チクリとかヒーロー気取りや売名の為の自己都合と思われるケースもある。 安易な愚痴や不平不満が動機であったり、自己中(売名や我欲や中傷)な目的のための手段を奨励したり評価するのではないが、内容と動機や他の選択肢の有無等により個々のケースとシチュエーションで具体的には意見・賛否・評価は変化すると思うのです。 ◇一方で、昔の藩士の様にお家第一、主君第一の滅私奉公は、地味だが美しく潔い印象を持つが、団体活動に信頼関係や団結心は重要な求心力・チームワークやトータルパワーの源泉原動力だと思います。 あくまでも糺すべき告発許されるケースとしては、内向き・頑迷と陋習、それは臭いものに蓋と言う隠蔽体質にも繋がり、腐敗や上意下達の傾向が強まり、改革や社会正義と言った価値観や視野視点・プライオリティが損なわれ、自浄作用とか組織内改革の困難な場合であり、心情的に内部告発を許さない土壌が強い事で、前例主義や活力を失い、問題点の糊塗や偽装や先送り等の負の側面が顕著に、年功序列や権威主義や肩書の物言う保守的体質とムラ社会的温床にも成りかねない。 ◇要は、告発の内容と原因や告発の行い方・動機等に依り是非や評価等が定まるのだと思います。 内部告発と言う不正規な方法によってでも、淀んだ汚点を社会正義や問題提起が医療事故や欠陥商品、贈収賄事件を白日の下に晒したり、公表を促し、捜査を始め追及の契機・証拠ともなったのでは・・・。 また、リコールや社告、汚職・不正腐敗・談合等を公開公表し世論の支持を得て改善解決、被害者救済に繋がった事例は枚挙にいとまない。 つまり、守る側の団結力や組織への忠誠心、機密保持等の観点と社会正義や外部チェックの観点の何れの立場や告発内容にて、コトの悪質性や社会性、内部解決の可能性、コンプライアンスやIRの面で自ずとリミッターやプライオリティがあり、見方・評価は分かれるのではないでしょうか?

noname#196837
質問者

お礼

早々にご回答頂きましてありがとうございます。 回答者様の仰る通り、先頃の東京女子医大の幼児死亡事故などは内部告発が良い方向にあらわれた顕著な例であると言えます。 武士道精神を善悪で語るとやはり個々の状況によってということになるのかもしれません。 質問に挙げました山本常朝と新渡戸稲造もそれぞれ時代背景が異なりますので やはり時代に則した武士道精神といったところなのでしょうか。 大変勉強になるご意見でありました。ありがとうございます。 『道のうた』私の戒めの詩であります。 回答者様のプロフィールにありましたので嬉しく思いました。

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