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武士道の世界に認められたわけ
かつて新渡戸稲造の記した武士道が世界中で読まれ、絶賛されたということですが、いまいち釈然としません。また、かつての日本の精神の豊かさは欧米以上であった、とさえ言われていますがやはり納得できません。ヨーロッパの騎士道や、中国にも儒教といった立派な思想が育っていたにもかかわらず、一体何を以てそれほどに武士道は認められたのでしょう。 武士道の素晴らしさって一体なんなのでしょう。精神の豊かさとはどういうことなんでしょう。
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宗教を生活の基盤に置いていた西洋人にとって、日常に宗教色が薄い日本人の精神性が信じられなかった。そこで、日本人の精神的基盤が何であるかというのを説明する為に新渡戸稲造が記したのが「武士道」であったということです。宗教に対して敬意を払うのと同様に、「武士道」にも敬意を払われたのではないでしょうか。
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- Ganbatteruyo
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アメリカで使えなくてはならないとする伝統空手を教えています。 (詳しくは私のプロフィールを見てください) 日本人でもどれだけの人が武士道ってなんなのかを知っている人がいるでしょうか。 また、武士道と言う単語は本当はなんなのか、そして、ちゃんばら時代劇で描かれたものを指していると思っている人もかなり多いと思いますよ。武士道とはなんなのかと言うとこの時代激から感じ取っている意味合いでしょうね。 いわゆる「奇麗事」の武士道なのですね。 こちらの(英語版)サイトでのいろいろな説明を見てください。 空手(karate)などの説明を見たらこっけいと感じるより可愛そうにト表しまうと思います。 ウィキにしても「武士」と言うものが存在し始めた頃からの事を含んでいますし、世界大戦で使われた「日本武士の心を!!」のゆがまれた観念さえ含まれてしまっています。 奇麗事の武士道/bushidoは徳川幕府の「侍とは主君に対してどうするべきか」、特に「死をもって主君に尽くす」で代表される(曲解)されているbushidoがそうであるとアメリカのこの業界では普通となってしまっています。 儒教的武士道の精神、spirit of samurai, way of samurai, code of samurai, Code of Japanese warriors, 等と言われていますがどれもが葉隠れのほんの一部である、奇麗事だけを都合よく持ってきたものとも指摘されているわけです。 既に幕府の事務員と成り下がった「侍身分」と戦国時代の「生き残るための、領域を確保したり広げようとするための」生き方は幕府にとっては「脅威以外のものはなかった」でしょう。 逆に葉隠れ精神は幕府にとっても「都合の良いもの」であったわけです。 戦国時代の武士たちにどれだけの「この武士道」に書かれていることが守られたのか、と考えればおかしい事だと終わるわけです。 そして戦国時代以前の「もろのふ」に一貫した思想があったのか、下っ端侍にそんな奇麗事を真剣に受け入れるだけの精神教育がなされていたのか、明治以降の軍隊兵士に「武士の精神」を「植え付けた」だけなのではないか、などを考えればこの奇麗事は現実とはかなり離れていたとも思えるでしょう。 言い換えれば、存在していないから植え付けた精神観念、だったともいえるでしょう。 この奇麗事がなかった西洋では本来の「賞賛」と言うよりも「驚愕の念」とそして社交辞令的「賞賛の言葉」だったのだと思いますよ。 いまでは、この書はそれほどの価値を持っているもだとはされていないはずです。 作り出された美徳の精神、侍なら誰でも持っていた観念とをごっちゃ混ぜにしている事に対して知識ゼロであった西洋人からしてみれば「賞賛の言葉を使うしかコメントする事は出来なかった」のではないかと考えるのは的をいていないとは私は感じません。 参考になりましたでしょうか。 分かりにくいところがありましたらどんどん突っ込んでまた書いてくださいね。
お礼
詳細なご回答感謝いたします。なるほど、海外にとって賞賛するしか無かったというのは興味深いご意見です。幾人かの著名人、特に幕末の人間の自叙伝などを読むと、日本人の武士道、精神的豊かさは欧米各国より上だと考えていたようです。事実、海外から賞賛されていたと聞いたので、実際武士道に関する文献を漁ってみましたが、大分儒教思想とかぶる部分もあり、いまいち目新しさを感じられず、何故これがそれほどまでに賞賛されるのかと疑問を持ち今回の質問をしたのですが・・・どうやら日本の武士道は素晴らしいモノには違いないけれど他国の思想に抜きんでているというのは、愛国の士による誇張が多分に在るのかも知れません。しかし同時に、日本の世界に誇る思想であることは疑いのない事実のようですのでそのように認識したいと思います。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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犬死でいいのだ。武士道とは死ぬること とみつけたり。 このことばに全てが語られています。 小賢しい理屈や考えを超えてしまえ。眼前の倫理を、死ぬときを失うな。それを失すれば自己喪失である。イエスが十字架を避ければ、自己喪失であるのと同じです。 合理や理論、哲理の無効性。 死ぬこと、命、自己ということを死ぬことの基本性。 瞑想であれ、天につくことであれ、禅はあまり知らないが、死ぬこと、青々とした葉から、後ろに引いていくことは、不可欠です。 世の光や、命の樹のあおあおに自己をおいていては、人間はうそ者でしかない。 そういうことはヒンドゥの思想でも、修行法としては通じております。
お礼
興味深いご回答ありがとうございます。 当質問は武士道を問うものではないので得点の付与は控えさせて頂きます。
- nemosan
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>一体何を以てそれほどに武士道は認められたのでしょう。 著書『 Bushido: The Soul of Japan(『武士道』)が、流麗な英文で出版されたからでは? ノーベル賞などの選定でも、日本語の報告は誰も読まないし評価されないそうです。 そのうえで、何を考えているか分からない辺境の戦闘民族のことが書かれてあったから・・ 絶賛!という評価には当然お世辞も入ってるでしょ(笑)
- papabeatles
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武士道を簡単に語る事は出来ません。 黒澤明の映画を見られると武士道が分かってくると思います。
お礼
武士道は理解するモノではなく感じるモノである、ということでしょうか。 ご回答ありがとうございました。
お礼
非常に分かりやすく質問に対する適切な回答で感謝いたします。 なるほど、他国に比べ突出していたというものではなく、その精神的基盤の存在自体に敬意を表したということなのかもしれませんね。「武士道」の序盤に背景を記されているにもかかわらず、つながりに気づけませんでした。 ご回答ありがとうございました。