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★虚無思想について

虚無思想には2つの解釈があると思います。 1つ目は生きる目的も意味もないと言う思想 2つ目は全ては無だからこそ、生きることの重要性と目的があるという思想です。 仏教は2つ目の思想だとおもいます。 ニーチェの「神は死んだ」思想はどちらに当たるのですか? 教えてネット、真実を・・・・・・・・・・・・・・・・・

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回答No.5

仏教が2というのは「???」ですね。少なくとも「無」ではなく「空」でしょう。 西洋から見た東洋という視点では、「空」の概念と「(虚)無」の概念が混同された嫌いがあるようです。 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0878.html

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.4

ニーチェの「神は死んだ」思想はどちらに当たるのですか? ○どちらでもないですよ。ニーチェの「神は死んだ」という意味は当時の教会の権威、言い換えれば神の権威を否定する思想ですね。 簡単に言えばこの世が全てということですね。もっと簡単に言えば「強いものが全てという」ことでしょうね。唯物論思想といってもいいですね。この世が全てなら、楽しく生きるか、生き安く生きるかしかないですね。別の質問にも書きましたが、ギリシャのエピクロスは「楽しく生きる」、ドイツのマルクスは「働いて生きる。」一方、ニーチェは「刹那に生きる。」ことを勧めたわけではなく、当時ヨーロッパで全盛であった教会の権威を否定しただけですが、信仰に生きている人から見ればそのような生き方は、「刹那的人生」に見えるということだけですね。 ニーチェに影響されたのがドイツのヒットラーですから彼の人生を見てみるとわかりますね。ヒットラーの人生はなかなか華やかではないですか、結果はひどいものでしたけどね。まあ、ニーチェにかぶれると「ヒットラー」のようになると考えればいいですね。

回答No.3

そもそもニーチェは輪廻転生を信じていた以上、生への執着は 無限大だったと言えるでしょう(そうでなければ何の証拠もない 輪廻など信じる訳がない)。 そして、彼の生と宗教的な生との違いは、既成概念からの自由 だと言えます。 ニヒリズムは、決して悟りのような生への執着からの解脱では なく、外部からの強制的な生への反発であり、心の自由への 渇望です。 神のような外的な権威による様式的な生の否定は、決して生の 否定ではなく、自己の感性における自由な生への回帰なのです。 既成概念の否定が、生の否定につながると考えるのは、普段の 生において、既成概念に束縛されている証拠です。 我々を形づくる物質に、「目的」はありません。 しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に 進化を導きます。 「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で 生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わる事はなく、 進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。 (あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、 やはり全体は「生きよう」とする) 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、 「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の 追及という方向性から逃れることはできません。 その結果、生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の 最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」に コントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に 収束するのです。 「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結する のではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を 兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、 それが最大充足でないのはご存知の通り)。 「無目的ゆえに不可避な目的」というものが存在するのです。

  • ROKABAURA
  • ベストアンサー率35% (513/1452)
回答No.2

虚無思想は「常識や倫理には意味がない」となる。 悪く取れば「すべて意味がないんだからムダなんだ」だが 本来は「本当に在る本質は別のものだ」という意思のあらわれ。 テレビを消さないと自分の姿さえ見ないって感じか。 仏教の虚無とは無常のこと。 美しきものは枯れ強きものも倒れ 生きたものは食われまたは死ぬということ。 栄枯盛衰もまたこの世のあらわれ それは輪廻で繋がっている大きな流れ。 とらわれ固執し流され慌てていては 本質の光に目が行くはずがない。 ニーチェは超人思考だ。 神の死とは人間の頼るべきものは人間自身であると考えることだ。 全てが同じ一瞬を共有しており あらゆる存在は無限に繰り返すその本質を共有しているということ。 そして超人はその刹那の繰り返しを自覚し その生を楽しめる存在だ。 虚無とはちょっと違う。 ちなみに真実は虚無からは生まれない。 そこで目を開けて初めて見えるものだ。

回答No.1

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