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源氏物語の時代と衣装

紫式部の「源氏物語」が書かれたのは摂関政治全盛期のようですが、 時代設定はそれより百年から五十年ぐらい前のようです。 http://www.kokken-jp.com/genji/genji004.php 大和和紀さんの「あさきゆめみし」など、過去に何度も漫画家や映像化されていますが、 そういった作品では恐らく院政期から平氏政権期に描かれた「源氏物語絵巻」や、 摂関政治全盛期の装束をお手本としているように思えます。 いわゆる十二単なども、紫式部が想定していた醍醐朝~村上朝にはまだ存在していなかったと思われますが、 実際にこの辺りの時代の人はどのような装束を身にまとっていたのでしょうか? 京都の時代祭では、以前小野小町といえば十二単姿だったようですが、 最近では彼女の実在していた時代に合わせて平安初期の大陸風の名残がある衣装になっているようです。 醍醐朝~村上朝に実際どのような装束が着られていたかを考えると、源氏物語のイメージも少し変わってくると思います。 この時代の装束(男女問わず)がどのようなものだったか、ご存じの方がいらっしゃぃしたら教えてください。

みんなの回答

  • fumkum
  • ベストアンサー率66% (504/763)
回答No.2

ウエーブ上で、平安時代の装束として、最も信頼性の高いのは、風俗博物館の「日本服飾史 資料」のページだと思います。参考に。 http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000025 ただ、時代設定がイコール装束設定だったとは思えないのですが。絵巻などでも多くは制作された時代の風俗によって描かれることが多く、厳密な時代考証をすることは少なかった様に思います。源氏物語は物語ですので、絵巻以上に装束の時代考証をした様には思えません。さらに、桐壷の巻に、「打橋、渡殿のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣の裾、堪へがたく、まさなきこともあり。」とあるところを見ると、裳を引きずって歩くイメージを持つのですが、唐風の衣裳ではそれほど長い下裳を持たないので、桐壷の巻のイメージとは合わないと質問文を見ながら考えたのですが。当然根拠はありませんが。

回答No.1

こんにちは。 こんなサイトを見つけました。参考までに・・・。 男子の服装: 束帯 http://kariginu.jp/kikata/1-2.htm 衣冠 http://kariginu.jp/kikata/1-3.htm 直衣 http://kariginu.jp/kikata/1-4.htm 狩衣 http://kariginu.jp/kikata/1-5.htm 直垂 http://kariginu.jp/kikata/1-6.htm その他・神事用 http://kariginu.jp/kikata/1-7.htm まとめて http://www.iz2.or.jp/kizoku/shozoku.html

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