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抗えない運命

古代ギリシャ悲劇に、オイディプス王の物語があります オイディプスの父王ラーイオスは、子供を作るべきではないという神託に逆らい、子(オイディプス)を設けますが、神託を恐れ子(オイディプス)を遠ざけます。 しかし結果的に神託の通りになってしまいました。 神託の成就を回避するべくしたことが、神託の成就に繋がってしまっています。 このような物語を読むと、「抗えない運命」のようなものを感じてしまいます。 実生活でこのような経験を見聞きされたことのある方いらっしゃいましたら、お聞かせください。

みんなの回答

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.3

ヤカンをコンロにかけてしばらくするとお湯がわく、というのと同じで 運命というほど神秘的なものじゃないんじゃないでしょうか。 パターン化された行動は物理現象と同じくらい結果を想像するのが容易ということだと思います。

noname#168617
質問者

お礼

ありがとうございました。 質問の仕方が悪かったようで、みなさまに質問の意図が伝わらなかったようです。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

結果があって、それを遡ると、何か運命的な モノを感じてしまう、というだけでしょう。 嫁さんとの出会いを考えると、無数の偶然が折り重なって 出会ったことがよく判ります。 その内の一つでも偶然の輪から外れたら、嫁さんとの 出会いは無かった訳です。 そういうことを考えると、運命を感じますが、これは やはり、物語にしたくなる人間の性に過ぎないのだ と思います。

noname#168617
質問者

お礼

ありがとうございました。 質問の仕方が悪かったようで、みなさまに質問の意図が伝わらなかったようです。

回答No.1

「抗えない運命」と感じられたケースを集めて、「やはり、そういったことがあるのですね」と納得するために質問を立てられたのでしょうか? 違うのであれば良いのですが。。。 「運命」とか「宿命」とかは、それをそのように思った途端に「運命」や「宿命」として成立してしまうものです。別の人にとっては、同じことが「偶然」だったり「奇跡的」だったとしてもです。 当人にとっての「運命」や「宿命」よりも、もっと思索すべき重要な視点があると思います。それは「偶有性」という概念での事象の把握についてです。よろしければ、下記ブログを参照してみてください。(二つ目の記事に対し、私が少しコメントを入れています) http://genxx.com/blog/archives/000186.html http://genxx.com/blog/archives/000188.html 上記ブログを読まれたとして、ここで、一つの神託的な言葉を記してみましょう。 「飛行機や電車といった公共交通機関を利用するな。逆らえば、お前の子供は事故に巻き込まれるであろう」 もし仮に、上記のような言葉が神託ないし予言として発せられ、不幸にも自身の子供が事故に巻き込まれた場合と、幸いにして自身の子供は事故に巻き込まれず、まったくの他人の子供が事故に巻き込まれた場合とで、どのように考え、感じられるだろうか? と思いつつ、この回答を記しています。

noname#168617
質問者

お礼

ありがとうございました。 質問の仕方が悪かったようで、みなさまに質問の意図が伝わらなかったようです。