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戦争体験者が若い世代に伝えたいことって?
戦争のレポートを書かなくてはいけないのですが、 戦争体験者が、若い世代に伝えたいことって何ですか?? 祖母に聞いたのですが、ボケていて質問に合った答えを言ってくれません。。。 わかる方いらっしゃいましたら、教えてください!!
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もう10年か20年ぐらいずっと、よく小、中、高校ぐらいまでの生徒に向けて戦争体験者の老人があれこれ話したり、書いた文章を読ませたりする活動が目につきます。まあ大抵の場合は初めに戦争に関連して起こった悲惨な出来事を話したり読ませたりして「怖いぞー、コワイぞー、オバケだぞー」っていうのと同じやり方でショックを与えて子供たちの心をつかみ、そのあと戦争は良くないと話をつづけ・・・・そして、なぜか結論として「日本は戦争をやってはいけない」「自衛隊反対!」「憲法9条を守ろう!」「中国・韓国にもっともっと謝ろう!」と、なにやら変な方向に持っていくのが、こうした活動によくあるパターンです。戦争なんて、いつ向こうから仕掛けてくるかわからないのにね。私も「できる事なら戦争は避けたほうがいい」とは思いますが、つい先日も日本の島々に無礼なことをしてくる国が2つもありました。それが現実です。 私は太平洋戦争を体験していませんが、昭和30年代の終わりに生まれました。私の身の回りの大人たちはみんな戦争体験世代でした。私の両親もそうです。私の父の兄は海軍で戦死し、海の底です。父も学徒動員で作業しているときに、アメリカ軍の飛行機から機銃掃射を受けたと言っておりました。母は家のそばに落下傘(パラシュート)で降りてきた日本軍のパイロットの話をよくします、大やけどをしていたと、死んでしまっただろうか、可哀想だった、と。その他いろいろな戦争体験者の話を子供の時から聞いて育ちました。食料をはじめ、いろいろなモノがなかったという話も多いです。そうした話を総合すると、いろいろな意味で「戦争中は大変だった」というのが多くの人の “若い世代に伝えたいこと” だったと思っています。 で、そのあと大人たちが、さらに何か言ったかというと、あまり記憶にありませんね。あんまり反戦、反戦とバカの一つ覚えみたいに唱えていた記憶はありません。そういうのをやってたのは戦争が終わってから生まれてきた世代の連中が主流だと思います。自分自身が戦争で大変な目に遭った人たちは、意外と普通に戦争映画(べつに反戦がテーマの映画ってことはないですよ、バリバリ!っと敵を倒して主人公が勝っちゃうような映画が昔はほとんどです)を見たり、戦闘機や戦車や戦艦のプラモデルを作るのに協力してくれました。男でも女でも。昔の人はたくましかったんですよ。「なるようにしかならない、その中でがんばろう」って感じの人が多かったと思います。 今はねぇ、なんかちょっと変ですねー。戦争の話をする体験者っていうとなぜか特定の思想の人、またはそういう思想に利用されている人が出てきて子供たちに洗脳をしようとします。なんなんでしょう。戦争は酷いことですが、ギャンブルも酷いことです。パチンコなんてあちこちにあって、ものすごく酷いです。パチンコは人を悪魔にします。大きな借金を作って自殺したり、犯罪をおこしたり、自分の幼い子をパチンコ屋の駐車場で蒸し焼きにしたりします。この数十年、戦争が原因で死んだ日本人より、パチンコが原因で死んだ日本人のほうが何万倍もいるのです。でもなぜかパチンコのことはみんな黙って戦争反対しか言いませんねー。 ちょっと考えてみてください。太平洋戦争の記憶がある人っていったら、もうみんな70歳以上です。私の母(父はもう他界しました)を見ていてもそうですが、このぐらいの年齢になるとアレコレやるのが体力的にも精神的にも辛くなります。インターネットやってる人なんて少ないし、その中でわざわざ歴史問題について発言してくる人はかなり珍しい部類だと思います。ただ例外として特定の思想に凝り固まって意図的に活動している人は異常に元気で、頼まれもしないのに自分からアレコレ書いたり、あちこちに出かけて行っては戦争体験を話し、それだけならいいのに、何か思想めいたことまで添えます。 実はかわいそうな人もいるんだろうなと思います。年を取ると弱くなります。肉体的にも弱くなるし、精神的にも弱くなります。物事にあまり逆らえなくなってくるんです。テレビをつけても、ラジオを聞いても、新聞を開いても、最近は戦争について語る場合は必ず最後に何やら特定の思想の人たちに都合の良いことだけを余計に付け加えます。そういうのばかり見聞きしていると、変な思想をもっていない人でも、なんとなく逆らえなくなって同じような事を言い添えるようになってきたんじゃないでしょうか。 今から20年ちょっと前に世の中で重要なことがあったんです。20年よりももっと昔はソ連というかなり厄介な国があって、日本人の多くはその国を恐れていました。戦争なんて向こうからいつ仕掛けられるかわからなかったんです。昔の戦争を体験した人たちの中にはソ連にひどい目に遭わされた人も多く、ちょっとでも油断すればまたソ連にひどいことをされると思っていましたから(実際に北海道の漁船などは銃で撃たれて死んだ人もいます、戦争でもないのに!)、今ほどノンキなことは言っていませんでした。でも、ある特定の思想の人たちはコソコソ隠れながらソ連が日本を潰してくれるのをじっと待ち望んでいました。ところが20年ちょっと前にそのソ連は自分で崩壊してしまいました。 困ったのは特定の思想の人たち(「団塊の世代」といわれる層を中心にして、その前後を含む1946年~1950年ぐらいに生まれた人たちが多いです)。さあ大変だ、ソ連さまが日本を壊してくれる可能性が無くなった、これからは自分たちがもっと頑張ろう!ということでなりふり構わずいろんなことを始めました。新聞はそういう人たちの活動のよい道具になりました。「従軍慰安婦」という何やら変な話を作り出したのもそれからです。またそのころから韓国や中国も貧乏なだけの国から少しぐらいは金を持つようになって、特定の思想と協力関係を持ちます。そうしているうちに新聞、テレビ、ラジオなどなどは特定の思想にとってどんどん都合の良いものになっていき、そこに出てくる戦争の体験談もジワジワとある思想を混ぜてくるようになりました。そして、すでに上に書いたように、思想とは関係のない人たちまで似たような言い方になってきました。 今の若い人たちは、戦争体験世代から中立な話を聞くことは難しくなってきていると思います。まあせいぜい「何があったか」は聞いておいて、そのあとの「だからどう」というのはフーンって感じで十分じゃないかなと、大昔に混じりっけなしの話を聞いたオッサンは思います。ボケてるとか酷いことをいいますが chloe_sho さんのおばあさんの話のほうが、実は中立な良い話なのかもしれません。あなたのおばあさんの話で十分ではないでしょうか。
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- kuni-chan
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私は戦後生まれですから戦争をもちろん知りません。 太平洋戦争で広島、長崎に原爆が投下されたのはご存じと思います。 原爆により市街地は焼け野原になり多くの命が一瞬にして奪われました。 生き残った被爆者の中には語り部としてあの時の体験を話されています。 伝えようとしているのは真実です。 あの日、何が起きたのか。 あとは被爆者の気持ちです。 生き残ってもあれだけの放射線を浴びていますから、いつ病気が襲ってくるかわかりません。 ずっと死の恐怖と戦わないといけません。 一生苦しむ被爆者を出さないようにするには核兵器を廃絶するしかない。 私たちは将来を決めないといけません。その時の判断材料は正確で多い方が良いです。 真相を正しく知らないと判断を誤ります。 体験を正しく伝える事が大切と思います。
お礼
回答ありがとうございます!! 被爆者は、病気に怯えながら生きているのですね。。。 若い世代は、真実を知ることが大事なんだと思いました。 参考にさせて頂きます!
- Adol_Cristin
- ベストアンサー率9% (6/66)
・勝ち目のない戦争をするヤツは馬鹿なの。 ・日本ほど、戦争に向かない国はないという事。(資源もなければ、独立国として 五分五分で同盟を組んでくれそうな国家が皆無であるという事。) ・特攻とか靖国に安っぽい軍事浪漫を感じている愚か者は未だに多いが、 結局は生き残った上官の手柄になるだけですな。馬鹿馬鹿しい事この上ない。 そんなもんです。
お礼
回答ありがとうございます!! 実際、生き残った上官の手柄になっちゃいますよね。。。 ぜひ参考にさせていただきます!
- tpg0
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こんにちは。 私は終戦の日から5年後の1950年に生まれた「戦争を知らない世代」の1人ですから、実際の戦争体験はありませんが、私の両親(父親=生きてれば102歳、母親=健在で今年92歳)から生々しい戦争の話は聞いてます。 父親は東京大空襲で両親(私の祖父母)と太平洋戦争の開戦1年前(昭和15年)に建てた新居を一夜にして失ないました。 また、東京大空襲(昭和20年3月10日)の数ヶ月前に末弟(私の叔父)を南方のヤップ島で失ない(戦死)ました。 ただ、戦死の知らせは母親(私の祖母)を悲しませることになるからと伏せていたそうです。 従って、祖母は息子の戦死を知らずに空襲で亡くなりました。 また、母親は幼かった姉達(当時2歳と5歳)が父親や祖父母達の足手纏いになるのを避けて母親の実家(会津地方)に疎開してたので空襲には遭いませんでしたが、もし疎開してなかったら母親と姉達も空襲で焼け死んでたと母親は断言してます。 父親は上半身に火傷を負いながらも、自分に妻子がいる責任感から、火の海を逃げきって助かりましたが、空襲で亡くなった両親の遺骨を都内の菩提寺に弔ってから、妻子が疎開してた実家を訪れた時は放心状態だったそうです。 その翌月(4月7日)には、母親の兄(私の伯父)が沖縄特攻のため、戦艦・大和と共に呉軍港から出撃した巡洋艦・矢矧に乗艦して九州沖で米軍の猛攻撃に晒されて戦死してます。 なお、私の父親は軍需工場の機械技師だったことで兵役を免れてますが、父親や伯父(海軍士官)は工業大国アメリカと日本の現状を熟知してたので、戦争を始めた時から負け戦になると予感してたそうですが、戦時中は負け戦になるとは口に出せるはずがなく必死でお国のために働いたそうです。 その父親から聞いた言葉は「戦争なんて馬鹿げてる!犠牲になるのは軍人だけでなく、何の罪もない国民までも犠牲になる」と聞かされました。 これは、実際に戦争を体験した者でないと言えない重味のある真実だと思います。 戦争を知らない私達世代(戦後生まれ)は、戦争は「勇ましくてカッコいいと」思い違いをした時期がありましたが、伯父・叔父達の戦死を乗り越えて生きてきた私の両親は思い出したくもない悲惨な出来事が戦争なんです。 なお、私の両親が若い世代に伝えるとしたら「二度と悲惨な戦争は繰り返すな!」と伝えると思います。
お礼
回答ありがとうございます!! 実際に聞いたお話を交えてくださって、本当に感謝致します。 参考にさせていただきたいと思っています。
- nama103
- ベストアンサー率33% (1/3)
私は戦時中函館に住んでおりました。 戦争は兵士を悪魔にします。 昭和20年7月14日15日の函館空襲で青函連絡船12隻が犠牲になりました。 沈みゆく船から海へ飛び込む人々をアメリカの戦闘機は機銃掃射を浴びせました。 船を狙うならともかく、海中で溺れかかっている一般の人々に銃口を向けることなどは、人間の行為とは思われません。 兵士も戦争のない平和なときは、人権を尊ぶ普通の青年だったことでしょう。しかし、戦争になれば、ただ、大勢の人々を残虐に殺しても何の罪悪感もない、悪魔のような生き物になってしまうのでしょう。 函館の駅前で防空壕に入れず空襲のさなか逃げまよっていた幼い子がおりました。その子も容赦なく攻撃され、頭が割れて脳みそが飛び出したと聞いております。低空飛行する飛行機からは幼い子か大人か区別できるはずです。 若いあなたへ問います。もし仮にあなたが戦争に出かけたとしたら、船から海へ放り出された乗客や、幼い子どもたちに機関銃を向けないと、確信できるでしょうか。 若いあなた。決して武力を使うことは考えないでください。負けても勝っても、いつまでも心の傷が疼きます。 [函館空襲] 及び [青森空襲]を検索し、参考にしてください。
お礼
回答ありがとうございます!! 詳しく書いていただいて、嬉しく思います。 参考になりました。 ぜひ、検索させたいただきます!
お礼
回答ありがとうございます!! とても詳しく書いていただいて、、、 レポートは、祖母の話を尊重したいと思います。 書きたいな、と思ったところなどは 知識として覚えておきたいです!