- ベストアンサー
戦争の体験をお聞かせください
- 戦争についての体験を募集します。太平洋戦争をはじめ、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラン・イラク戦争、パレスチナ紛争など、どのような体験でも結構です。
- 回答者の中には年齢が高く、パソコンが苦手なため、回答が得られないこともありますが、ご親族のお話もお聞かせください。
- 戦争の体験や思い出について、どんな内容でも大丈夫です。募集しています。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
40代主婦です。 私の身内は誰も戦争には行っていないのですが、 「戦死扱い」が約一名。 戦争が原因が約一名です。 子供の頃には、どちらも理解できませんでした。 爆弾とかで直接やられたのではなく、 「戦時下」という状況によって まともな治療が受けられず、小学生の身で死んだり、 「戦死??」と思いました。 戦死扱いなのは、祖父の妹。 女学生で、軍需工場にかり出され、爆撃を受けたので 戦死扱いで「遺族年金」が50回忌まで出て、 長兄である祖父が受け取り、祖父はその金を どうするかしばらく迷った後、法事を行うお金と 生き残った兄弟で旅行に行くお金に使ったそうです。 すごく複雑そうでした。 祖父と、大叔母の話によれば一番美人だったらしいです。 もう一人は、母の兄。 だから、叔父が「次男」なのもしばらく不思議でした。 疎開先で、建物の下敷きになり骨折。 今ならば助かったかもしれないんですが、 医者と薬の不足、それどころか情報不足で 身内がたどりついたときにはすでに死にかけていたらしいです。 戦争と言えば、実際に行った人が クローズアップされがちですが こういう人たちも注目してほしいです。
その他の回答 (1)
- 1951715
- ベストアンサー率20% (124/609)
今日は。 私の母の兄(叔父)が航空隊で、これも母からの聞いた話なのですが、特攻隊として出撃する前に上官は「お国のために自分は働くことがいやだ。と思う者は、一歩前に出ろ」と、こう言う言い方をされる。こう言った言い方をされると、誰も(本心はそうであっても)前へ出られない。 特攻隊として最後の練習の時は、自分の故郷の上空を旋回する事が許されるのです。幸いにして、出撃寸前で、日本は敗戦となり、生きて帰る事が出来ましたが、これも、運と言うか、その前の出撃だと、当然、命はありませんでした。叔父は、あまり戦争体験を言う事をしなかったです。
お礼
お話のように、異論を許さない、嫌と言わせない雰囲気が戦時中はあったのだと思います。 今日、特攻隊を描いた映画「ホタル」(2000年)の録画しておいたものを見ましたが、出撃するかどうかはほんの少しのタイミングの差だったようですね。 運よく助かっても、出撃して死んでいった仲間に顔向けが出来ない、という言われのない気持ち、わかるような気がします。
補足
お待たせしました。 事例の数の多寡で、No.2さんにB.Aを差し上げましたが、お許しください。 終戦の日が終わるまで、締め切らず引っ張りましたが、残念ながらあまり回答を頂けませんでした。 やはり 1)戦争を実体験した人があまりご存命でないこと。 2)ご存命としても、パソコンにご堪能な方が少ないこと 3)ご家族にしても、そこまで仲々迫真の証言をされる方が少ないこと 4)私の質問にインパクトがなかったこと ・・・などが原因でしょうか?
お礼
貴重なお話を有難うございました。 「戦死」は何も戦争に行った兵隊だけのものではありません。 「非戦闘員」も含め、戦禍に斃れた全ての人を含むと思います。 女性・老人・子供・徴用船員など「兵隊」という身分ではなくても、多くの人が犠牲になったことを忘れてはなりませんね。
補足
お待たせしました。 事例を沢山挙げて頂いたので、こちらにB.Aを差し上げます。 終戦の日が終わるまで、締め切らず引っ張りましたが、残念ながらあまり回答を頂けませんでした。 やはり 1)戦争を実体験した人があまりご存命でないこと。 2)ご存命としても、パソコンにご堪能な方が少ないこと 3)ご家族にしても、そこまで仲々迫真の証言をされる方が少ないこと 4)私の質問にインパクトがなかったこと ・・・などが原因でしょうか?