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故事成語についての質問です。
『人間万事塞翁が馬』という考え方の下でも、 西洋近代的な発想の様に、絶対的な評価基準が設定されて、 全体の流れが把握されてきたのでしょうか?
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★(No.3補足欄) ~~~~~ 部分の繋がりを意識している時にも、 其処が部分に留まっている事情に気付く必要性が御座いませんね。 ~~~~~~~~~~~~ ☆ と言えるということは じつは その時点で 部分が部分であることや それが属する全体のことを 考慮に入れているということです。 哲学は わざわざそういう後出しの見解をもって 情況や問題を整理してながめます。 そのことに 洋の東西のちがいはないでしょうというのが 回答です。 いささかつけ加えるなら 東では ひとつの全体観をさらに――それも 何かの一部分であるかも知れないといった思索のもとに――吟味して 相対世界の最大の全体を考えたというには その成果が とぼしいのかも知れません。 西では 相対世界の全体をも超えて 《絶対》の領域にまで踏み込みました。この《絶対》観に手を焼いたようです。 という東西をふくめた全体観を持つことは 大事なのではないでしょうか。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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★(No.1補足欄) ~~~~ 部分の相対的な比較には、 絶対参照用の尺度が必要になりませんが、 ~~~~~~~~ ☆ 《部分》という規定をしているなら すでにそのとき じつは――《絶対》の概念を持ち出していないとしても―― 《全体》という考え方はともなわれています。 言いかえると ★★ 『人間万事塞翁が馬』という考え方 ☆ については《塞翁》というひとりの人間にとっての人生《全体》が 考慮に入れられています。 ★ それでも、Link先のWebページの説明が当て嵌まりますでしょうか? ☆ 【Q:コインキデンチア・オッポシトールム】が考えようとしていることは 《塞翁》を含めた社会の全体にかんしてのことです。 単純にあてはまりますよと言うのではなく またその《全体》を見下ろすような《絶対》が 単なる観念となって人間の《思考》という尺度にのみ還元されてしまう弊害が指摘されなければならないのですが それでも 《社会としての全体》観は 持ち得るということでしょう。 そうしてその社会観のもとに この故事が持つ《個人という部分およびその人生としての全体》観は含まれましょうから 西欧が この故事の示す見方をまったく持たないというのは 言い過ぎではないでしょうか? あるいは言いかえるなら ★★(趣旨説明欄) 西洋近代的な発想 ☆ によって 西欧の世界全体が染まってしまっているという含みが垣間見られるのですが その見方は 言い過ぎではないか。こういう趣旨の回答です。
お礼
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%B9 内部からでは位相しか分からないですね。
補足
有り難う御座います。 部分の繋がりを意識している時にも、 其処が部分に留まっている事情に気付く必要性が御座いませんね。 例えば、デイトレーダー達は直前の狼狽売り等の動向に注目して当該銘柄証券を買い漁りますし、連歌やら物語絵巻やらが作成されていく過程の途上では、絶対的な無常が…。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 ○ 歴史の狡知 という見方が出されています。 あるいは ○ コインキデンチア・オッポシトールム http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7336089.html
お礼
下記URLのページにも注目して頂けますと、助かります。 http://okwave.jp/qa/q7651317.html
補足
有り難う御座います。 部分の相対的な比較には、 絶対参照用の尺度が必要になりませんが、 それでも、Link先のWebページの説明が当て嵌まりますでしょうか?
お礼
枠組みを先に固定化させますと、 差別化に拍車が掛かるでしょうか? http://homepage1.nifty.com/lilliput/lesson7.htm
補足
有り難う御座います。 先に枠組みを固定化させて、それから其処の細分化を行なっていく、 という未熟な西洋近代的発想の弱点を、 此処では主題に盛り込んでいます。