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庄内藩の下級武士の呼び名
庄内藩の文書「保定記」を読んでいるのですが、下級武士を「者人」と書いてありました。おそらく平安時代の下級官吏「舎人」を音読みしたのではないかと思うのですが、ご教示頂ければ幸いです。
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- damerimen
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者頭と言うものがあります。者人とは者頭の配下であります 者頭とは足軽大将のことです。 この場合、役職無しの士分の兵卒であると読めるかと存じます
- goold-man
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追加 >百二十石之由,・・・、「者人」・・・ 120石は下級武士とは言えないと思います(敬称での言い方「者人」) 100石以上の家禄の武士は、どこの藩でも「上士」とされます。きちんとした屋敷に住み、外出する時は供を連れて歩く身分 庄内藩の例では、100石以上を上士、30石以上を中士、それ以下を下士 参考URL 士分は、侍と徒士に分けられる。 「侍」は上士とも呼ばれ、所領(知行)を持ち、戦のときは馬に乗る者で「御目見え」の資格を持つ。騎士と表記。旗本、与力、代官所の下役である手付、 「徒士」は扶持米をもらい、徒歩で戦うもので、「御目見え」の資格を持たず、下士、軽輩、無足などと呼ばれる。御家人、同心、代官所下役である手代、足軽、卒、武家奉公人の内、若党は士分で「徒士」身分である。 「侍」の内、1000石程度以上の者は大身、人持ちと呼ばれることがあり、戦のときは備の侍大将となり、平時は奉行職等を歴任し、抜擢されて側用人や仕置き家老となることもある。1000石以下の「侍」は平侍、平士、馬乗りと呼ばれる。(1万石の大名の場合600石でも家老・大身) (区別があいまいなもの) 武家奉公人の内、若党は「士分」であるが「徒士」の身分 郷士は、郷に住む武士で、多くは「徒士」身分であるが、「侍」身分の者もいた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB >石 石以外に三十俵二人扶持などの言い方もあります。 知行米は、御目見以上、旗本など中・上級武士の俸給で、石高であらわす。 切米は御目見以下の下級武士、御家人の俸給 武士の給料は「切米」と「知行米」 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1214632952 三十俵二人扶持は切米
- goold-man
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母者人、兄者人、姉者人などと呼ぶことはありますが(敬称)、保定記の文章の前後は?
お礼
早速のご連絡有難うございました.よろしくご教示下さい。
補足
二見武助と申仁、百二十石之由,此家(中略)台は弐間半に三間 、「者人」住居は畳、中門(中略)
お礼
詳細なご説明有難うございました。大変参考になりました。
補足
中略した部分は次の通りです. 寄附四畳、座敷八畳,二の間居間八畳、寝間八畳、茶の間十五畳、台所は弐間半に三間、「者人」住居は畳,中門にて有候、外に「男居」物置に有之よし、一躰多くは梁割之家無之中門付之由、但し便所は弐百五十石以下よりは多分上江壱ツ、下江壱ツならて無之甚不自由成内之よし、家通積には能家も有之候得共一躰ちいさく請負普請にて悪敷由 ご教示頂いた上士、下士之住居の違いが分かります。 ただ「者人」が「舎人」(とねり、しゃじん)之当て字として使われていたのか、 また「男居」は「下男」の意味でしょうか。 ご教示頂ければ幸いです。