締切済み 庄内藩の下級武士の呼び名 2012/07/25 11:14 庄内藩の文書「保定記」を読んでいるのですが、下級武士を「者人」と書いてありました。おそらく平安時代の下級官吏「舎人」を音読みしたのではないかと思うのですが、ご教示頂ければ幸いです。 みんなの回答 (3) 専門家の回答 みんなの回答 damerimen ベストアンサー率38% (8/21) 2012/08/26 13:57 回答No.3 者頭と言うものがあります。者人とは者頭の配下であります 者頭とは足軽大将のことです。 この場合、役職無しの士分の兵卒であると読めるかと存じます 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 goold-man ベストアンサー率37% (8364/22179) 2012/07/26 04:46 回答No.2 追加 >百二十石之由,・・・、「者人」・・・ 120石は下級武士とは言えないと思います(敬称での言い方「者人」) 100石以上の家禄の武士は、どこの藩でも「上士」とされます。きちんとした屋敷に住み、外出する時は供を連れて歩く身分 庄内藩の例では、100石以上を上士、30石以上を中士、それ以下を下士 参考URL 士分は、侍と徒士に分けられる。 「侍」は上士とも呼ばれ、所領(知行)を持ち、戦のときは馬に乗る者で「御目見え」の資格を持つ。騎士と表記。旗本、与力、代官所の下役である手付、 「徒士」は扶持米をもらい、徒歩で戦うもので、「御目見え」の資格を持たず、下士、軽輩、無足などと呼ばれる。御家人、同心、代官所下役である手代、足軽、卒、武家奉公人の内、若党は士分で「徒士」身分である。 「侍」の内、1000石程度以上の者は大身、人持ちと呼ばれることがあり、戦のときは備の侍大将となり、平時は奉行職等を歴任し、抜擢されて側用人や仕置き家老となることもある。1000石以下の「侍」は平侍、平士、馬乗りと呼ばれる。(1万石の大名の場合600石でも家老・大身) (区別があいまいなもの) 武家奉公人の内、若党は「士分」であるが「徒士」の身分 郷士は、郷に住む武士で、多くは「徒士」身分であるが、「侍」身分の者もいた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB >石 石以外に三十俵二人扶持などの言い方もあります。 知行米は、御目見以上、旗本など中・上級武士の俸給で、石高であらわす。 切米は御目見以下の下級武士、御家人の俸給 武士の給料は「切米」と「知行米」 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1214632952 三十俵二人扶持は切米 参考URL: http://okwave.jp/qa/q1892868.html 質問者 お礼 2012/07/27 11:12 詳細なご説明有難うございました。大変参考になりました。 質問者 補足 2012/07/27 11:10 中略した部分は次の通りです. 寄附四畳、座敷八畳,二の間居間八畳、寝間八畳、茶の間十五畳、台所は弐間半に三間、「者人」住居は畳,中門にて有候、外に「男居」物置に有之よし、一躰多くは梁割之家無之中門付之由、但し便所は弐百五十石以下よりは多分上江壱ツ、下江壱ツならて無之甚不自由成内之よし、家通積には能家も有之候得共一躰ちいさく請負普請にて悪敷由 ご教示頂いた上士、下士之住居の違いが分かります。 ただ「者人」が「舎人」(とねり、しゃじん)之当て字として使われていたのか、 また「男居」は「下男」の意味でしょうか。 ご教示頂ければ幸いです。 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 goold-man ベストアンサー率37% (8364/22179) 2012/07/25 18:27 回答No.1 母者人、兄者人、姉者人などと呼ぶことはありますが(敬称)、保定記の文章の前後は? 質問者 お礼 2012/07/25 22:58 早速のご連絡有難うございました.よろしくご教示下さい。 質問者 補足 2012/07/25 22:58 二見武助と申仁、百二十石之由,此家(中略)台は弐間半に三間 、「者人」住居は畳、中門(中略) 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 カテゴリ 学問・教育人文・社会科学歴史 関連するQ&A 幕末の下級藩士 先日、映画「武士の一分」を観ていたら、下級藩士がお殿様のお顔を拝謁することがとても難しく描かれていました。 そこで教えて頂きたいのですが、なぜ幕末は多くの藩で名も無き下級藩士たちが藩を動かすだけの力を持ち合わせるに至ったのでしょうか? 普通に考えれば下級藩士の動きなど中間管理職みたいな人達が握りつぶすかそもそも末端の侍が物申すなどおこがましいあるいは上層部の逆鱗にふれればお家断絶の危険すらあったと考えられます。薩摩・長州・土佐といった有名な藩で有ればまだわかりますがなぜ全国的に広まったのでしょうか?当時は今のようにメディアも発達していないでしょうから尊皇攘夷などの考えが下級藩士に伝わったことも不思議なのですが…。よろしくお願い致します。 藩により武士階級が違う 薩摩藩や譜代藩では郷士も、例えば、薩摩藩では下級上位の武士階級、譜代藩では家臣と別の枠の所に郷士士分(固定階級で出世はない)として書かれたみたいですが 幕府に関しては、郷士も士分扱いだった、士分扱いじゃないと意見が分かれてまして、よく分からないです 何故に藩ごとに、こんなに違いがあるんですか? 下級藩士の内職 江戸時代下級藩士などはいろいろ内職をしてたようですがそうした中で寺子屋の師匠をするのはダメだったのですか?あれは浪人でないとやはりまずかったのですか?無役の侍なら師匠もする時間取れそうですけど。 天文学のお話。日本ではどのように考えられていた? 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Part2 結婚について考えていない大学生の彼氏について 関東の方に聞きたいです 大阪万博について 駅の清涼飲料水自販機 不倫の慰謝料の請求について 新型コロナウイルスがもたらした功績について教えて 旧姓を使う理由。 回復メディアの保存方法 好きな人を諦める方法 小諸市(長野県)在住でスキーやスノボをする方の用具 カテゴリ 学問・教育 人文・社会科学 考古学・人類学文学・古典歴史経済学・経営学心理学・社会学地理学美術音楽哲学・倫理・宗教学その他(人文・社会科学) カテゴリ一覧を見る OKWAVE コラム 突然のトラブル?プリンター・メール・LINE編 携帯料金を賢く見直す!格安SIMと端末選びのポイントは? 友達って必要?友情って何だろう 大震災時の現実とは?私たちができる備え 「結婚相談所は恥ずかしい」は時代遅れ!負け組の誤解と出会いの掴み方 あなたにピッタリな商品が見つかる! OKWAVE セレクト コスメ化粧品 化粧水・クレンジングなど 健康食品・サプリ コンブチャなど バス用品 入浴剤・アミノ酸シャンプーなど スマホアプリ マッチングアプリなど ヘアケア 白髪染めヘアカラーなど インターネット回線 プロバイダ、光回線など
お礼
詳細なご説明有難うございました。大変参考になりました。
補足
中略した部分は次の通りです. 寄附四畳、座敷八畳,二の間居間八畳、寝間八畳、茶の間十五畳、台所は弐間半に三間、「者人」住居は畳,中門にて有候、外に「男居」物置に有之よし、一躰多くは梁割之家無之中門付之由、但し便所は弐百五十石以下よりは多分上江壱ツ、下江壱ツならて無之甚不自由成内之よし、家通積には能家も有之候得共一躰ちいさく請負普請にて悪敷由 ご教示頂いた上士、下士之住居の違いが分かります。 ただ「者人」が「舎人」(とねり、しゃじん)之当て字として使われていたのか、 また「男居」は「下男」の意味でしょうか。 ご教示頂ければ幸いです。