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福音とは
福音の良い知らせというのはどういうものなのでしょうか。 調べていく中で自分では『イエス・キリストによって人類が救われる』と考えたのですが、よくわからなくてしっくりきません。 どなたかわかりやすく教えてくれないでしょうか。
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- hhituji
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基本的には質問者さんの言うとおりですよ。 もう少し当時の状況を反映して詳しく言うと、 旧約聖書には「救世主」に関する預言がたくさんあります。 その数は約300ともいわれます。 ユダヤの人々は、救世主が現れて、ローマ軍を追い出し、強いイスラエルを 再興してダビデやソロモンの時代のようになることを1000年にもわたって 期待してきました。 この「預言」が実は大変面白いのです。 ユダヤの人が「強い王」として期待していた救世主の預言は、イエスキリストが 死んだあとでその意味、指示しているものがはっきり分かるように書かれていました。 実はユダヤ人の望んだ救世主についての預言は、王としての人物像よりも十字架にはりつけられてしんだ 男のほうが完全に預言の指し示している人物と一致するのです。そしてそのことはイエスが死んで、 初めて理解できるようになりました。 つまり、ユダヤ人が1000年にもわたって待望してきた「救世主」は、強い 王ではなく、「全世界の人間を救う救世主」だったのです。 イエスの弟子たちは死後、そのことをはっきりと認識します。そして、生前の イエスの人物像と合わせて、「この人こそ聖書に預言されていた、いける神の子、キリスト(救世主) だ」と確信し、宣言するのです。 このことが「福音書」の前提になっています。 つまり、今度こそ、全世界の人間を救う救世主が現れたぞ! というグッドニュースを発信する目的で書かれているのです。
- 沼田 紫鐡(@DARKREDGEAR)
- ベストアンサー率41% (20/48)
救世主(キリスト)によって人類が救われるのではなく、 すべての人の内面には究極の救済 「ああ、これでもう何もいらない、満たされた!」 と納得できるようなエネルギーのようなものが すべからく備わっていて、それをイエスはいち早く 自分の中にそれを見出した。 それがあんまりにも素晴らしいもので、かつ 他の人間にも実現可能だということを知ったので、 人々に、皆に、「だから皆!大丈夫なんだよ!」と紹介しようと がんばった…という様に、私は解釈しています。 みんながそれを自分に見出したのなら、 人類はみなイエスと同等の、 「あふれ出る幸せ=福音」を見つけ出したということになり、 それはすなわち全人類の救済となるという 究極的なお話ですね。 まぁ、いつになるかは、わかりませんけど。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
>福音の良い知らせというのはどういうものなのでしょうか。 ○福音というのは、神様の中でも特にえらい神様から直接伝えられる正義の言葉という意味ですね。 人の考えや文化は時代により移り変わっていくものです。その時代時代に何が神の正義に合致し、何が神に反することかを福音という言葉で伝えることなのです。神が直接肉体を持って福音を伝える場合と、代理人、つまり預言者が神の言葉を預かって伝える二通りがありますが、どちらも福音ですね。 福音はいつの時代にでもその時代に沿った内容が伝えられることになっています。2000年前はその時代にあった福音であっても現代のような複雑な社会に受け入れられないことは明白ですから、当然現代にあった福音が伝えられているということですね。 宗教間で争いごとが絶えないという意味は現代にマッチしない古い福音に執着しているからですね。神々も進化しているということを忘れているからなのですが、それでも神々や天使たちが一生懸命、日々新しい福音を伝えているのですね。聞く耳さえあれば現代の福音も聞けるはずですよ。地球規模の天変地異多発の時代に神が福音を下ろさないわけがありませんね。その福音を聞けるものは幸いですね。
- pantomana
- ベストアンサー率10% (1/10)
福音は全創造物に対する神の御意志と考える事が出来ます。 神の像に似せて造られた人間が、神の創造の第7日目に神と同じように聖なるものとなり、神の聖なる子供とするのが神の御意志ですから、エデンの園に生命木が生やされた時から福音は伝えられていたのです。 天の被造物の御使いの一部とアダムとエバは聖なるものではない穢れたものである事を示してしまいましたが、アダムの子孫にはそれぞれ聖なるものとなる機会があり、アダムから受け継いだ罪を取り除き、最初の人間アダムと同じように聖なるものであり続ける事を可能にしたのがイエスの購いです。 つまり、購いは、聖なるものとなるために障害となっていた罪を取り除き、再出発の道を開いたと言う事になります。 ですから、イエス・キリストに信仰を持たない限り聖なるものへのスタートラインに救い上げられる事はないのです。
- cincinnati
- ベストアンサー率46% (606/1293)
福音とは確かに「良い知らせ」という理解でよろしいのではないかと思います。つまり聖書を読み、それを理解しますと、あなたの心の中に幸いな世界が広がるとでも申せましょうか。 回答者はプロテスタントのクリスチャンで、モルモン教、統一教会、エホバの証人とは関係ございません。昔マルチンルターという方が「聖書に帰ろう」と始まった運動の流れの中におります。 ご質問者さんの「良い知らせ」とは「聖書」そのものと言えると思います。その聖書は旧約聖書と新約聖書から成り立っておりまして、旧約聖書はイエスという救い主がこの地上に現れるという預言の書であり、新約聖書はそのイエスキリストの誕生とその後のはたらきについて書かれていると、大雑把に述べることが出来ます。 一方で聖書はご指摘のように良い知らせを私どもに伝える目的があります。その良い知らせの主人公はイエスではないかと思います。すると福音とは聖書であり、キリストであると述べても良いくらい密接につながっております。従いまして、聖書に書かれているイエスを知ることが実は福音の目的であると言ってもあながち間違いでもないと言えます。 聖書に記載されているイエスの考え方をご理解いただけましたら、ご質問に対してどなたからか回答を得るまでもなく、確信を持って了解いただける世界観に達するのではないかと存じます。 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。ヨハネ14:6 上の文章の意味はイエスを知ることは神を知ることであると述べています。もし神がおられるなら、知ってみたいと思いませんか。お近くのプロテスタント教会を訪ねてみてください。牧師がおりますので、お持ちの疑問質問をぶつけてみてください。喜んで対応してくれると思います。なぜならそのために彼等は他の職業を捨ててそこにおりますので、