鎧については,西洋でも時代による変遷があります。全身をくまなく覆ったプレートアーマーが発達するのは15世紀頃からで,それ以前は西洋でもチェインメイルやスケールアーマー,ブリガンディンといった鎧が重武装の主流でした。特にブリガンディンは,革鎧などの内側に鉄板を規則正しく並べて防御力を高めたもので,基本的な発想も防御力の程度も日本の鎧と大して変わらないと思われます。
プレートアーマーが発達したのは,銃による攻撃から身を守るためですが,機動性をかなり犠牲にしており,騎士が落馬すると身動きが取れなくなってしまうような代物もありました。16世紀に入り,さらに銃が発達すると,もはやプレートアーマーでも銃による攻撃を防ぐことができなくなり,実戦で用いられる鎧は腕や足の防御を諦めた胸甲などが中心となり,次第に甲冑そのものが用いられなくなっていきました。
日本人の多くが知っている全身をくまなく覆ったプレートアーマーは,実は馬上試合用や儀礼用,装飾用といったものが多く,実戦であのような鎧が多用された時期はそれほど長くありません。金属加工技術や発達すると,比較的軽くて丈夫な金属鎧も開発されたようですが,その防御力も銃の前には絶対的なものではなく,しかも実際には高価すぎて一部の王侯貴族しか着用できませんでした。
盾については,西洋でもそれほど意味があったわけではなく,あまり丈夫で重いものを作っても戦闘に支障を来すので,むしろ木製などわざと壊れやすい素材で作り,敵の攻撃を盾で防ぐと,敵の武器が盾に食い込んで使えなくなってしまうようにするのが盾の主な役割でした。盾は単なる使い捨てで,使えなくなったら武器だけを持って戦うのです。しかも,最初に投げ槍などで攻撃されれば,それを防ぐ段階で盾が壊れてしまうので,防具としてもあまり有用とはいえませんでした。
日本では,武器として両手持ちの刀が発達し,それを使いこなすための剣術も発達したほか,西洋のような使い捨ての盾という発想も日本人の美意識には合わなかったでしょうから,盾があまり普及しなかったのも不思議ではありません。