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昔の人の異名(受験用)
昔の人の名前で(受験用) 難関私大受験を一ヵ月後に控えているものです! 日本史なんですが、 昔の人の名前で、 松平信綱の「知恵伊豆」や、平清盛の「六波羅殿」「入道相国」のような、 異名を持っている人を教えてください!! 他の人のやつを見てみると、たくさんあったのですが、 その中でも難関私大に出そうなものをピックアップして載せてもらえたら 最高です^^ よろしくおねがいします!!!
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訂正! 「続二本記」だったような気がする・・・「六国史」の一つですもんね。この六国史も全部かけるようにしておいたほうがいいと思いますよ。「日本書紀→続日本書紀→日本後記→続日本後記→日本文徳天皇実録→日本三代実録」です。 「続日本紀」と「日本書紀→続日本紀」です!すみません!
続きです。 馬韓(地名)・・・のちの百済 弁韓(地名)・・・のちの加羅 辰韓(地名)・・・のちの新羅 弁韓はやったことありませんが・・・「馬韓」と「辰韓」は出ました。どれも朝鮮半島の国々ですよね。ちなみに位置関係もしっかり抑えたほうがよろしいかと・・・「馬韓」は西「辰韓」は東「弁韓」は南の位置に属しています。これ、実は一度正誤判定でも出たことがあったんです・・・キャー! 辛卯(しんぽう)(年号)・・・391年。これ何なのかというと、「好太王」碑文に書かれているやつで、倭国と「高句麗」が「加羅(任那)」にあった「鉄」資源をめぐって交戦したことが記されているんです。年号が意外と出たんですよ。ちなみにこの戦いの結果、倭国は馬を使った戦い方を習得したそうです。あの・・・これ知らなくてもいいとは思うんですけど、この碑文に記されている文章・・・実は結構捏造されてる箇所があるっていう説があるらしいんです。だから「391(作為)ある碑文」って覚えました・・・くだらないね! 金光明四天王護国乃寺(正式名称)・・・国分寺 法華滅罪乃寺(正式名称)・・・国分尼寺 これらは逆に、正式名所を書けるようにしておいたほうがいいと思います。普通に書かせてきましたし、選択問題でも出ました。これは多分知ってると思うんですけど、「聖武天皇」が「紫香楽宮」で出した「743年」の「国分寺建立の詔」の資料問題として出ます。国分寺建立の詔が記されているのは「続二本記」だったような気がする・・・「六国史」の一つですもんね。この六国史も全部かけるようにしておいたほうがいいと思いますよ。「日本書紀→続日本書紀→日本後記→続日本後記→日本文徳天皇実録→日本三代実録」です。 恵美押勝・・・藤原仲麻呂。はい。これは超有名。淳仁天皇を擁立し、光明皇后の信任を得て政治の表舞台に立った人物。仲麻呂さんは「藤原四子」の中の「無智麻呂」の子供・・・つまり「南家」の人間!あと、「橘奈良麻呂の変」もこの時代ですよね。強かった「恵美押勝」。でも、光明皇后が死去し後ろ盾を失って、あの「孝謙天皇」が「道鏡」を寵愛するようになったのが不満に思って「恵美押勝の乱」を起こしますが・・・無残に惨敗。時の流れは「道鏡」へと移り変わります。 太政大臣禅師(法王)・・・これは先ほどもふれた「道鏡」です。「孝謙天皇」がもっかい天皇をやって「称徳天皇」の時代に活躍しましたね。この人は寺院・百姓以外の開墾を禁止したりして政界を大混乱させました。さらに、あろうことか「称徳天皇」が臨終を迎えようとしたときに「このままでは恵美押勝の二の舞だ」と思って天皇の名前をもらおうと考えました。それが「宇佐八幡宮信託事件」ですね。結局藤原百川や和気清麻呂のはからいで阻止はしましたが・・・考えてみれば「769(何とろくでもない)年」やつですよね?・・・・・ (寛平の治)(天皇の名前)・・・宇多天皇 延喜の治(天皇の名前)・・・醍醐天皇 天暦の治(天皇の名前)・・・村上天皇 よし!これも有名だぜ!えっと・・・まずばらばらに覚えないようにね。「宇多→醍醐→村上」って言う風に「宇多→醍醐」はしりとりで覚えるとよいとおもいます。本当は中に朱雀天皇とかも入ってくるのですが・・・そんなの無視!試験には絶対出ない!「寛平の治」では「菅原道真」を登用し、「遣唐使」の廃止をしたし、「延喜の治」では「延喜の荘園整理令」によって班田収受の生業が終わったし、あと「三善清行」が醍醐天皇に地方政治の混乱振りをしめした「意見封事十二箇条」を提出しましたね。最後の「天暦の治」では「本朝十二銭」の最後である「乾元大宝」を鋳造しました。どれも超重要データですね。 洪武帝(即位する前の名前)・・・これは・・・うん。即位する前の名前が「朱元璋」で「清」を建国した人物なんすけど・・・これはまぁいっかぁ。あんまり聞かれないと思うし。ただ、「洪武帝」=「朱元璋」という式はぱっと出てくるようになるといいと思います。 LT貿易(Tの名前)・・・これね!明治の商学部かな?その辺で出たんですよ!これはもう・・・忘れられない!「LT貿易」の「L」は「寥承志(りょうしょうし)」で、これはまぁいいんですけど・・・問題は「T」!この「T」は「高碕達之助」です!この二人の頭文字をとって「LT貿易」です。でね、気をつけたいのが「高碕達之助」の「碕」の字!これを「崎」としてしまう人がめっちゃ多い!自分もこれで間違えた!ムッキー!石へんだっていうのを忘れないでおきましょう。 とまぁ、こんな感じでしょうか?今まで自分が解いた中でこれらが難関大では出ましたね・・うん。どこを受けるのか知りませんが、お互いがんばりましょうね!
こんにちは。自分も同じ立場です。いっしょにがんばりましょうね。 僕の知っている知識や、過去問を解いた感覚だと・・・松平信綱はまず出ないと思います笑 平清盛は資料問題として出るでしょうが・・・あまりにも有名すぎるので直接書けという問題はでないと思います。 今まで僕が別名を書け、という問題で出たのが以下のとおりです。それぞれ誰だかわかりますか? 市聖 恵心僧都 弘法大師 宇治殿 御堂関白 日本国王源道義 日本国王臣源 穫加多支歯大王(ワカタケルノオオキミ) 倭王「武」 建武中元二年(年号) 永初元年(年号) 楽浪郡(地名) 帯方郡(地名) 馬韓(地名) 弁韓(地名) 辰韓(地名) 辛卯(しんぽう)(年号) 金光明四天王護国乃寺(正式名称) 法華滅罪乃寺(正式名称) 恵美押勝 太政大臣禅師(法王) (寛平の治)(天皇の名前) 延喜の治(天皇の名前) 天暦の治(天皇の名前) 洪武帝(即位する前の名前) LT貿易(Tの名前) 年代ばらついててごめんなさい。さて・・・どうでしょう?どれも基本問題なので、落としてはいけない問題でした。 後これ以上出るものといえば・・・ちょっと思いつきません。もしかしたら難題の分類に入るかもしれないし、あと分国法の中に載っている~氏の名前とかその辺も出るのかな・・・? 市聖・・・空也。これはもう説明するまでもないですかね?ちなみにこいつの像である「空也上人像」は超有名です。作者は「康勝」で「六波羅蜜寺」にあります。難関大なら出てもおかしくない! 恵心僧都・・・源信。これも有名。セットで「往生要集」もいっしょに覚えておきましょう。気をつけたいのが、「応天門の変」で出てくる「源信(みなもとのまこと)」とごっちゃにならないこと。全然違う人物です! 弘法大師・・・有名だけど、意外に聞かれて焦った・・・これは「空海」ですね。空海は「真言宗」の開祖であります。意外と盲点なのは「最澄」とごっちゃになること。同時代の人物なので、間違えないようにね。「綜芸種智院」も有名だし、「三筆」の一人として漢詩文をめっちゃがんばった人です。「三筆」には「嵯峨天皇」と「橘はやなり」がいます。 宇治殿・・・これは「藤原頼道」 御堂関白・・・こっちは「藤原道長」です。逆にならないように。宇治殿では「延久の荘園整理令」の資料問題として出ますし、「御堂関白」は「御堂関白日記」で出ます。ちなみに「藤原道長」は「関白」にはなったことがありません。これも盲点ですし、正誤判定ででました。威子の入内(1018年:「異例やー」で覚えよう笑)で満足したのか、身をさっと引いてます。 日本国王源道義 日本国王臣源・・・・どっちも「足利義満」の呼び名で、「日明貿易」の「国書」に記されています。資料問題として激頻!ちなみにここで区別したいのが、「日本国王源道義」は「明からの国書」での呼び名。「日本国王臣源」は「日本からの国書」での呼び名です。 穫加多支歯大王 倭王「武」・・・どちらも「雄略天皇」を指します。「穫加多支歯大王」は漢字で書かせてくることはまずありませんが、読めるようにはしておくとよいです。これは埼玉県の「稲荷山古墳」と熊本県の「江多船山古墳」から出土した鉄剣に明記されていて、当時大和政権が関東地方から九州中部におよんでいたことを決定付ける貴重な資料です。「武」は倭の五王「讃・珍・済・興・武」で「宋書」倭国伝で「興死して弟武立つ。」のフレーズで出ます。ちなみに「済」は「允恭天皇」。興は「安康天皇」を指します。実はこれらも意外と聞かれるらしいです・・・さすがに選択だとは思うけど・・・ 建武中元二年・・・57年 永初元年・・・107年 これはやられたんですよ!まさか書かせてくるとは思わなかった・・・これは「後漢書」東夷伝の資料問題で出ましたし、センターでも激頻でした。ちなみに建武中元二年は「倭の奴国」の王が「光武帝」から印綬を受けた資料で、「漢委奴国王」と記されています。福岡市の「志賀島」で農業を営んでいた農夫が偶然発見したらしいです。これも試験に場所を問われたことがありました。 永初元年は倭国王「師升」が安帝に「生口160人」を献上したことが記されています。「生口」というのは今で言う「奴隷」ですね。 楽浪郡・・・現在の「ピョンヤン」 帯方郡・・・現在の「ソウル」?といわれている。 楽浪郡は「漢書」地理志で「夫れ楽浪海中に倭人有り。分れて百余国と為る」のフレーズで出たし、帯方郡については色々説があるらしいですけど、受験では「ソウル」と覚えておけばいいらしいです。ちなみに「魏志」倭人伝に記載されています。