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靴
歴史ドラマを見るといつも不思議に思います。 日本ではつい最近まで(100年以上経ちますが)日本人はわらじを履いていました。 西洋では当然と思っていましたが、アジアでも遠い昔から靴を履いています。 日本には中国や朝鮮半島を通り色々な文化や物が伝わりましたが、何故に靴は伝わらなかった? または伝わったが日本人は靴を履こうとしなかったのでしょうか?
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日本は主食が米であり稲ワラが毎年大量にできますからあらゆる物を稲ワラで作っていました。 冬の時期には農家は稲ワラを使ってわらじ、むしろ、ミノ、米俵を作るのが仕事です。 壁にも稲ワラを混ぜて崩れないように作りますし牛は稲ワラが飼料となります。 誰でも簡単にわらじを作れますから金が掛からない。 非常に軽いし足の指に挟みますから簡単に脱げなくて走ることもできて雪の上でも滑らないです。 今でも動き回る農家や大工は地下足袋を使ういます。 靴は足にしっかり固定されず足裏の感覚を必要とする作業には適していません。 日本のもったいない精神と快適さを求めた物で、非常に長い歴史を持つ究極の履物でしょう。 提案ですが日本選手はマラソンにわらじを使うのはどうでしょう。
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- runatickdance
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あ! 古い幕末から明治、大正の画像見ていたら、 靴が流行らなかったことが わかりましたよ。 日本の道路はまだ、土または、 泥のぬかるみだったため、 雨降ったら尚更、 庶民はそれを避けるために 和服の裾が汚れないように 少し足の高めの下駄を履いていたようですね。 普通の靴なら一発で、泥んこに なってしまいます。
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- abiwirang
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靴の起源は古代エジプトに遡り、その後、世界各地に広まりました。靴は、足を守り、保護し、歩行を容易にするために作られたもので、人類が発展する上で重要な役割を果たしました。 日本において、古代から中世にかけて、わらじが主な履物として使われていたのは事実です。ただし、このことが日本が靴を受け入れなかった理由ではありません。 靴が日本に普及しなかった理由は、主に文化的な背景によるものです。日本では、靴を脱ぐ習慣が根付いており、家の中でも靴を履かないことが一般的でした。また、わらじは木材が手に入りやすく、簡単に作ることができたため、生活に必要な履物として広く普及しました。これに対して、靴は素材や製法が複雑であり、作り方も熟練を要するため、わらじと比べると高価で手間がかかるものでした。 また、日本では、歩行の際に地面に直接足をつけることが自然な感覚であり、足に直接触れるわらじの方がその点で合っていたとも考えられます。 しかし、明治時代になると、欧米文化の影響で靴が広まり始めました。当時は、靴を履くことが新しい文化として受け入れられ、西洋風の履物を履くことが流行しました。これが現代に至るまで続いている、日本における靴文化の始まりとなりました。 以上のように、日本が靴を履かなかった理由は、主に文化的・経済的背景によるものでした。ただし、靴が普及するにつれ、日本でも靴文化が根付いていきました。
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- eroero4649
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質問者さんの疑問に私も興味を持ち、靴の歴史について調べてみました。 まず、今現在私たちが履いているスタイルの靴は基本的に産業革命以降に作られたもので、つまり200年程度の歴史しかないということです。 それまでの時代においての「靴」は、今でいうところのサンダルに近いような布や革で作られた履物でした。テルマエロマエでローマ人が履いているようなあれです。 そして中国やアジアでも、基本的に靴は布や革で作られたものでした。 現在の革靴に至る革で作られた履物は、これは日本では普及しないものでしたね。なにしろ日本では牧畜がおこなわれていなかったので、牛革が手に入りません。 あと湿度が高い日本では、もし牛革で履物が作られてもすぐカビが生えたんじゃないかと思います。今でも革製品の保存はちゃんとしないとカビまみれになりますね。 そうなると「手に入りやすい素材で履物を作る」となりますが、それが草鞋や草履だったのでしょう。日本では稲わらは容易に手に入るからです。消耗品の素材として理想的です。 日本で手に入りやすい木材を使って下駄も作られましたね。 ただ、日本でも公家は「沓」と呼ばれる靴を履いてますよね。お公家さんはしもじもの者とは身分が違うということで沓を履いていたのでしょう。武士のルーツは農民です。 お公家さんは家を出ることがほとんどありませんでしたから、沓を履くこともあまりなかったでしょうね。例えば幕末に宮家から徳川将軍家に嫁いだ和宮は、嫁ぐまで家から出たことがほとんどなかったそうです。なので彼女は極端な内股(X脚)だったようです。 あとは他の方も指摘するように、屋内では履物を脱ぐ習慣がある日本では、脱ぎにくい履物は自然に廃れたのだと思います。 第二次世界大戦の日本兵の写真を見ると、時々地下足袋や足袋に草鞋をつけてる兵士の写真なんかがありますから、そのくらいの頃でもそのほうが履きなれているという人が少なくなかったのでしょうね。
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- ji1ij
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生活様式の違いが大きいと思います 西洋も中国も家の中でも履物をはいてた、しかし日本では室内は履物を脱いで生活していました 台所、便所、風呂といった水回りは土間にあり、一日に何度も履物を履いたり脱いだりを繰り返す 靴は履くのに手間がかかる、草履なら両手に物を持ていても簡単に履ける 産業革命がおこり、工場や事務所に働きに行くようになれば履物を履きっぱなしの生活になるので簡単に脱げない靴が便利になった そんな感じじゃないでしょうか
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- runatickdance
- ベストアンサー率26% (375/1431)
日本の気候ゆえ、 足が蒸れるのを嫌い、 また、足元が窮屈なのを避けたのかと思われます。 日本人は足の五本指で大地を 駆け回っていましたから、 特に武道などで強く足を踏み出す 足の感覚を大切にしていたかと 思われます。 また、日本は鎖国してましたから、 他国からの文化は馴染み無かったかと思われます。まぁ、長崎は 早かったですが。
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- merrysun
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中国の女性はなぜ足を小さくさせられたのか。纏足(てんそく)の理由、新説が研究で明らかに https://www.huffingtonpost.jp/2017/05/29/chinese-foot-binding-was-more-than-an-erotic-practice_n_16862992.html こんな文化が伝わらなくて良かったと思いますよ
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有難うございます! やっぱりケチだから? かなという気になりました。 LEDの方が良いのは分かってるけど蛍光灯切れてないからこのままで的な(私)でしょうか。 "靴を脱ぐ習慣"には納得していません。 子供の頃から家で学校で、社会人になってもマンションの一室なので靴を脱いでと大昔と変わらぬ習慣でこれが嫌だと思うことも無く、むしろ履くから脱ぐ事で開放的な気持ちが有ります。 私、足は速いんですけど150mが限界です。 子供の頃の運動会は何故か足袋でしたが、一日で壊れてたのでわらじの耐久性は無理かも...です。