• 締切済み

美しく正しい日本語?ぜひ専門家の方にお願いします。

言葉は時代とともに変わることは理解しています。 変わる時期にさしかかっているのかもしれない、とは思うのですが、最近、違和感のある日本語が使われているところに続けて遭遇して、釈然としない思いでいます。 以下のような日本語の表現は、正しい使い方なんでしょうか? 「ご丁寧に○○していただきまして」 普段のビジネスメールに頻繁に書かれてきます。 「丁寧」に「ご」はつかないと思う。「ご丁寧に」は、余計なことをしたときの嫌味の意味で使われる言葉だったはずでは? 「ご」をつけるとしたらそのあとの単語に「丁寧にご○○していただきまして」とするのが正しいのではないか? 「困難な状況で機転を利かし、解決に導いた」 確か読売新聞の記事で、このような表現が使われていました。 「機転を利かし」は話し言葉ではないですか?文章にするならば「機転を利かして、」または「機転を利かせ、」の方が適切なのでは? 「○○を泳がしておく」(しばらく様子を見る意味) 映画かなにかのストーリーの解説記事で、個人の趣味で書いているようなものではなく、いわば公式な記事で見かけました。 「泳がして」だと印象として安っぽく、若い人が使う話し言葉のようです。違いますか?文章にするなら「泳がせておく」が正しいですよね? 特に、新聞記事のような公で間違うべきではないところで、変な表現が使われているととてもがっかりしてしまいます。今時の新聞記事は、正しい日本語の書き方を学んでいない人も書いているのでしょうか。さらに推敲もされずにそのまま公開されるのでしょうか。 そうやって言葉ってどんどん乱れていくものなのでしょうか。なぜ品がよい方に変わらず品のない方に変わってしまうんでしょう?

みんなの回答

回答No.3

>「ご丁寧に」は、余計なことをしたときの嫌味の意味で使われる言葉だったはずでは? 嫌みの意味で用いるためには、本来はやはり敬語である必要があります。 あまりに敬意を表しすぎていて嫌みだ、というのがまずあり、その嫌みのニュアンスがそのまま定着してしまった、という流れです。 したがって、本来は「敬語」です。 もし、「嫌み」のニュアンスしかないとおっしゃるのであれば、質問者の方はすでにそちらの意味でしか受け取れなくなった、ということになります。 しかし「ご丁寧にありがとうございます」「これはまたどうもご丁寧に」というも、だめですか? これも嫌みですか? >「ご」をつけるとしたらそのあとの単語に「丁寧にご○○していただきまして」とするのが >正しいのではないか? 「ご丁寧にご指導くださいまして」ではくどい、二重敬語だ、というのであれば、どちらかの「ご」を外すことになります。 「ご丁寧に」の嫌みのニュアンスがいやであれば、「丁寧にご指導くださいまして」となるでしょう。 しかし、敬意というのは早く表したい、敬語はすぐにでも使わないと失礼に思われかねないと心配する人は「ご丁寧に」というでしょう。 書き言葉ならゆっくり推敲する暇もあるからいいが、口頭言語ではそこまで無理強いはできまい。 >「機転を利かし」「泳がしておく」 これは使役の一種です。 日本語に使役には二種類あります。 第一に使役の助動詞「(さ)せる」を用いるもの。 立つ→立たせる   上がる→上がらせる  などなど 第二に、接尾辞を使うもの 立つ→立てる   上がる→上げる  などなど このように、どちらの使役も「正しく」、間違ってはいません。 助動詞を使った方だけが美しいと言うことももちろんありません。 さて、「利く」「泳ぐ」も両方の使役が可能です。 利く→利かせる、利かす 泳ぐ→泳がせる、泳がす 「機転を利かし」「泳がしておく」は、接尾辞タイプです。 もしこれを排除するのであれば、 「写真を見せて」ではなく、「写真を見させて」と言わなければなりません。 もちろん、多くの場合、接尾辞タイプと助動詞タイプでは意味が異なります。 「子どもに服を着せる」と「子どもに服を着させる」では、前者は親が手伝っていますが、後者は親は口で言うだけです。 しかしその差があまりはっきりしないことも少なくありません。 そのような場合、助動詞型のみを「正しい」とか、接尾辞型を「方言だ」とするのは、根拠がありません。 単に使用頻度の問題に過ぎないのです。

nolly_ny
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 詳しく書かなかったけどそうそう、そういうことも聞きたかったの、という内容でとても参考になりました。 接尾辞型の最後のご説明はまさにそうです。私にはどこかの方言のような印象で、しかも私の出身とは違う地域の言葉のようなので違和感を感じていたのだと思います。 もともと使用頻度が高い地域の方には、きっと違和感は感じないんでしょうね。

回答No.2

小生は言葉を専門とする立場ではないが、指摘しておきたい なにをもって、正しく美しいとするか?ということが、そもそも主観的なものであって定型が存在しないのである 質問者はその定型があると思っているのだろうが、仮にその定型が正しく美しいとしても「伝わらない」のであれば無意味とも言えよう。 質問者は正しさ・適切さを指摘するが、日本語の言語法則は時代変遷と共に変化している。 現在の「です、ます」の語尾も原義は「花街」の言葉であって正しいという認識の由来などは存在しない。 あくまでも言語として通じる・好意的に捉えられえるからこそ「正しい」「美しい」と評価されるに過ぎないのである。 例えば、連濁という日本語の読み法則がある。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E6%BF%81 この連濁法則は例外もあって、安定的に利用されていない 具体的には「三階」は『さんがい』であって、”さんかい”ではない。しかし、現代では『さんがい』の方が馴染みえるものだし、自然だと言う人が多い。 「県北」は、『けんぽく』が正しく、”けんほく”は適切ではない。では、そのような読みの間違いを質問者のように批判する必要性があるだろうか? 小生は、質問者の見解を全否定するつもりはないが、伝わることの意味で思慮する方が建設的かつ現実的であろう。 ちなみに、「農作物」は”のうさくもつ”・”のうさくぶつ”のどちらか、というのも連濁ではないが正しさの問題の危険性であろう。 言葉とは乱れるものである。その乱れを悪として捉えることがどこまで現実的であるか?という問題もある。 東京の一地方言語が標準語化された現代社会において、それが正しいと断言することはない。方言が排除される謂れはないし、そもそも正しい日本語という概念さえ正しい日本語を思慮している人々が懐疑的に論じているのである。 もっとも、専門外の人は、正しさを求めるようだが・・・ 言葉の変容は、どこの世界でもある。最近では動物の発する音声すら乱れているそうである。それでも意思疎通が出来うるからこそ問題にならない。 そもそも、『品』という概念にしても判然としない。品格という概念が極めて主観的であることは、質問者自身は自覚していないだろうが、そのような主観的なもので他人を図ることの妥当性を思慮できない人間は、どこまで「品」があるのだろうか? 小生からすれば、品格・品などという概念で他人の価値観を論じる人間に品格を感じない。 品格という概念の危険性などはあまり思慮されないが、その人の考えると品の妥当性から思慮すれば、概して根拠のないものである場合が多い。根拠があっても、その価値が極めて自己満足的なものに過ぎないことも多い、と言えるだろう。 小生からすれば、正しい・美しいという主観を押し通したい人間の言説に過ぎない、という批判になるが、同意する人は少ないだろう しかし、そのような独善で言語を無理に矯正することの妥当性について反発するしかない。 おそらく質問者は、連濁などの正しい日本語を使えていないだろう。多くの人間が正しい日本語を使えないだろうし、それに固執していないだろう。 もっといえば、正しい・美しいに”こだわらない”のが正しい言語のあり方だろう 伝わればいい、というニアンスでは不適切であろうが、”正否”などを問う必要性の価値から思慮するに、意思疎通できることに意味があると思うのだが・・・ ちなみに、こだわる質問者に指摘しておきたい 『格差』という日本語があるが、同じ意味として「較差」がある。 同じ意味だが、漢字から意味・ニアンスが異なる。このニアンスの問題まで思慮すれば、正しさを追求することの難しさが分かるだろう 『増える』という言葉も「殖える」という言葉も本義区別するべきだろう。では、その区別は質問者は出来るだろうか? 他にも色々指摘できるし、知識として適切な表現を知っていても、伝えることが重要と考える人間にとっては、質問者が指摘するような正しさ・美しさなどは、”自己満足かつ排外的なものとして醜く映る”と指摘しておきたい 要は配慮であって、正しさ・美しさではない。どんなに不適切な日本語であろうとも、配慮され意思疎通の意志がある文面であれば公であっても違和感をもっても、品などとは言わないし、正しさにこだわる人間の品の方が問題になるだろう 以上

nolly_ny
質問者

お礼

こんなにも長々とご説明いただきありがとうございました。 確かに、何を「美しく正しい」とするかは、個人の好みの問題でもあることを思い出しました。 例えば、アメリカ英語を「正しい英語」だと信じてそれ以外は受け入れようとしないのは英会話を習い始めた初心者に限定されること。 正しいと信じたアメリカ英語だけ身に着けても、世界には通用しないこと。 正しい正しくないよりも重要なのは「相手に伝わるかどうか」であること。 私自身の経験で結論を出したことがあったのに・・・日本語についても同様だと気づくべきでした。 言語としての日本語に興味を持ち始めた初心者ならではの質問でしたね。 失礼しました。

nolly_ny
質問者

補足

お礼を先にしてしまいましたが、追記させていただきます。 夫(日本語ではないですが教育分野にかかわってます)との会話でもたびたび話題に上るのですが、昨日は夫も「美しく正しい言葉遣い」は存在するし重要であると申しておりました。重要だから学校で教えられるでしょう、と。それだ!と思いました。 私が現在違和感を感じている言葉の数々は、「昔学校で習ったはず」の言葉遣いから外れるものです。 でも、言葉って変わっていくものだから、仕方がないんでしょうけどね。 それから、同じことを伝えるにしても、上品下品はやっぱりあると思います。目下の人からいわゆる「タメ口」で急に話しかけられて、カチンと来たようなご経験はないですか?これは完全に何も「配慮され」ていない極端な例ですが。 どんな言語でも、正しい言葉遣いをしようとすることは自己満足だとは思いません。それこそ「配慮」です。相手に敬意を表するからこそのことです。

  • utun01
  • ベストアンサー率40% (110/270)
回答No.1

専門家ではありませんが、一般的国語知識としてお答えします。 >「ご丁寧に○○していただきまして」 「丁寧に○○した」のは相手ですから、「ご」を付けるのは尊敬語としては妥当です。 また、「ご丁寧に」が嫌味として使われ始めたのがむしろ後でしょう。 >「困難な状況で機転を利かし、解決に導いた」 >「○○を泳がしておく」(しばらく様子を見る意味) 仰る通りかと思います。 個人的な意見ですが、こういった表現が「品が無い」と仰るのは早計だと思いますよ。 例えば「ら」抜き言葉に代表されるように、口語から文法が変遷してきた歴史は無視できません。 貴方の仰る「機転を利かせ、」も時代を遡れば間違った文章になるでしょう。 冒頭で仰られている事から、この辺りの事は既にご承知の様ですので、 結局は慣れるしかない事だと思います。 品の有り無しは、時勢と共に語られるべき事です。 ちなみに有名な所だと、「世論(よろん)」も語源は日露戦争時に使われた「征論(せいろん)」が「世論(せろん)」になり、現在の「世論(よろん)」になったそうですね。 特に、「せろん」⇒「よろん」はマスコミが間違って読んだのが最初だとか。

nolly_ny
質問者

お礼

ご回答いただき、ありがとうございます。 >マスコミが間違って読んだのが最初だとか いつの世にもそういうことはあったんですね。参考になりました。

nolly_ny
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。よく分からなかったので補足させてください。 例文が短すぎたかもしれません。 >「丁寧に○○した」のは相手ですから いいえ、私がしたことに対してのお礼の文章に、例えばここでもそうなんですが、「ご丁寧に説明いただきましてありがとうございました。」と書かれてきます。 余計な説明までしちゃったのかな?と思ってしまいます。 「丁寧にご説明いただきましてありがとうございました。」と書くのが正しいのでは?と思ってしまいます。

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