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老人に対して敬語を使わないのはなぜ?

老人に対し、若い人がまるで赤ちゃんにでも話し掛けるかのように話し掛けたり、また、老人に対し敬語を使わない光景を目にしますが、あれはなぜなのでしょうか? 自分より年上の人に対して失礼な態度ではないのでしょうか? 若い人にそんな態度を取られた老人はどう思うのでしょうか?

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回答No.6

 仕事で高齢者ともよく話をしますが、高齢者の方は耳も遠くなるし、回りくどい言い方では理解できません。  小難しい理屈を聞くのも考えるのもいや、と怒り出す人もいます。  できるだけわかりやすく、単刀直入に会話しようとすると敬語は邪魔になってしまいます。  また地方では方言での敬語表現というのがあまりなく、親しみを込めて方言でしゃべると敬語ではなくなるというのもあります。  いかにも嫌そうな顔をしたら改めますが、大抵の方はフレンドリーな話し方の方が受け入れてくれます。  皆人生の先輩方ですから、敬語がつかないくらいで怒ったりする人はあまりいません。  おおらかな心で受け止めてくれます。  語尾に敬語がないという僅かな部分だけをとらえて、態度全体を判断するのはどうかと思います。  敬語のつかない的確で親身になった説明と、敬語は付くけれども分かりづらく回りくどい他人行儀な説明とでは、前者のほうがいいと感じる方のほうが多いのではないでしょうか。

noname#213462
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました! 高齢者は音が聞き取りづらいため、高齢者のためには敬語は煩わしく回りくどいということなのですね、そして親しみを込める意味でも敬語ではないということなのですね。

その他の回答 (7)

回答No.8

 ・敬語を使わないのは、敬っていないから。   敬えるほど知らないし、敬えるものがあるかまだわからないから。   敬えるものを感じたら、自然と「敬語」になります。   敬えるほどの老人が少なくなりましたが。   わたしは66ですが、敬語なしで話されたとき、   かなり、親密さを感じます。   若い人から敬語なしで話されるとき、親近感が少し生まれます。   蔑視、暴言ではないので、普通に聞いたり、話したりします。  ・赤ちゃんに話すように話すのは、赤ちゃんに話すのと同じですね。   心理学的にはよくないのですが   (言語の成長の遅滞)(老人の言語中枢への無刺激)   ペットに話しかけるのと同じ心理です。   相手よりも、話しかける自分が気持ちがよいのでそうします。  ・尊敬、感嘆などが、単なる「年齢」で生まれるのは、古い価値観、道徳。   若い人たちは、そんな風に家庭でしつけられなかった、   親は、そんなふうに振舞う人ではなかった・・・など、使わない要因は   さまざまです。   もう一度書きますが、彼らの大部分は「正直な若者」です。   尊敬できるものを感じたときには、自然と「敬語」になったり、優しく話してくれます。   若者達に尊敬される実力、経験談を、わかりやすく、手身近に話せるよう、   自分への課題にしています。

noname#213462
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました! やはり、見下したような話し掛け方は心理的によくないですね、また尊敬が単に年齢で生まれるのは古い価値観や道徳であるということなのですね。

noname#194996
noname#194996
回答No.7

>老人に対し敬語を使わない光景を目にしますが、あれはなぜなのでしょうか? >自分より年上の人に対して失礼な態度ではないのでしょうか? 、日本では伝統的に若者が威張っています。老人を敬う文化は根づいてはいないと思います。 失礼かどうかはわかりません。老人も、敬ってもらおうと思ったら、それなりの誰にも通用する根拠を示さねばならないでしょう。長く生きたというだけで敬われるわけではありません、少なくとも日本では。 >若い人にそんな態度を取られた老人はどう思うのでしょうか? 私も老人ですが特に感想はありません。 教職者ですら生徒たちやその親から無条件で敬われてはいないのが今の日本です。 金以外の価値観が崩壊しているようです。

noname#213462
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました! 高齢者も敬われるためには、それなりの根拠がなければ誰からも敬われるわけではないということですね、確かに私もそう思います、歳をとったとしても謙虚な気持ちを持ち続けたいです。

回答No.5

こんにちは。 介護職ですが、私も敬語を使ったり使わなかったりと 使い分けをしています。 さすがに赤ちゃん言葉は使っていませんが・・・。 敬語を使っていないからって、老人を馬鹿にしている 訳ではないです。 仕事上、その方に対して関わる場合にその方が難聴 だったりすると、敬語の語尾が煩わしいのでわざと 敬語をつかったりしません。 地域に方便ってあるじゃないですか。 私は福井なので福井弁になるわけですが、親しみを 込める意味で敬語を使わない事があります。 決して馬鹿にしているとか、友達感覚だとか、そんな 風に思った事はありません。 あしからず。

noname#213462
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました! 高齢者は音が聞き取りづらくなるため、敬語では煩わしくなり、逆に聞き取りづらいということなのですね、そして親しみから敬語ではないということなのですね。

  • lions-123
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回答No.4

補足[整理]しますと・・・背中を見て、一緒に仕事や作業を通じて、自然と敬意や敬語は使い出て来るものだと思います。 若者から見て、そのような共同生活・共同作業(師弟関係含む)が少なく、敬語に必要性も必然性も日常感じていないからだと思います。 ◇家業(商売や大工や左官、畳等の稼業)や共同作業(農林漁業・鉄工所)等を通じて、老人の知識や経験、ノウハウに接する機会やアドバイスを教えられる機会が少ない。 ◇3世帯や大家族で同居していた時代と異なり、家に身の回りに老人がいない、普段は接する会話する手紙を交わすような機会がなく、何を考え好み喜ぶのか分からないし言葉使いを相手に合わせて変える必然性も感じていない為に敬語自体が死語化し、挨拶や表現に語彙が不足していたり出てこない。 ◇動植物やオモチャとかに擬人法で話し掛けたり、バーチャルに会話する事が不自然ではなく、悪意はないのだろうがTPOで相手によって言葉を使い分けをせず、ごく自然に、いつも通り→老人に、赤ちゃんにでも話し掛けるような言葉使いと成って出てしまうのでは・・・

noname#213462
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました!

  • E-1077
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回答No.3

 確かに  今は病院やリハビリ施設、デイケアなどでも個人名で呼びますね。  以前は「おばあちゃん・・」とかで話しかけていたように思う。  「個人的に親族じゃないなら名前を呼ぶべきだ」と指導をされている人がいました。  老人のカテゴリーが良くわからないけれど、電車で席を譲るべきか否かの葛藤はありますね。  それよりも、ペットに対して赤ちゃん言葉になるのはどうしてでちゅか?  と、思いませんか?

noname#213462
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました! 他人が自分より年長者に「おばあちゃん」というような呼び方に違和感を感じました。

  • lions-123
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回答No.2

>老人に対して敬語を使わないのはなぜ?       ↓ 個別のケースや特定の人物の言葉使いは分かりませんが、一般的な傾向としては同感です。 以下は、そういう意味では、データーや有識者の分析等ではない、全くの私見・日頃感じている思いです。 ◇老人に対し、若い人がまるで赤ちゃんにでも話し掛けるかのように話し掛けたり、また、老人に対し敬語を使わない光景を目にしますが、あれはなぜなのでしょうか? *大家族(3世代&老人との同居)の生活が少なく、親世代の祖父母への接し方や会話を体験せず、幼児期に世話に成ったり教わった利する機会が少ないので、畏敬や感謝や労りの心が薄く、表し方が拙い。 *古く言えば、修身や道徳の中で、教え訓えられる事も少なく、学校でも家庭でも両親からも受け継ぎ自然と身に付く機会や暮らしに核家族とか過疎化が進み、扶養や介護も施設任せであり、敬意を持って接する躾・教育・社会活動に成っていない(世代別の仕切られた社会の様相が強く、交流機会が少ない)。 *自治会・ボランティア他、地域でも老人と若者が一緒に行う行事や祭事が少なくなっていたり、老人の知恵や経験を活かし教わる等の交流機会が少なく、世代間の価値観や関心のギャップは良く分からない・面倒・人物の生き様(過去の活躍や世話に成り社会へ貢献されてきた経緯を知らない)が分からず、老いて話題や価値観の違う自分たちとは異質な存在という目でしか見ていないからではないでしょうか・・・ *長幼の序という教えや考え方、価値観や体験がほとんどなく、自然と身に付くor醸成される畏敬の念や敬語や感謝と労りの情感が、世代移行が進むにつれ、社会の核家族化が進むにつれ希薄に成っているのでは・・・ ◇自分より年上の人に対して失礼な態度ではないのでしょうか? *目上・年長者に対しての敬語まで行かなくても、自然な会話や接し方が、同居せず未経験であり、日常会話も手紙挨拶も老人に対して行う機会や体験が少なく分からない億劫なのかもしれない。 *また、その必要性も損得勘定や経済最優先や自己中心の個人主義で育った世代には希薄であり、失礼だという感覚や敬語の必要性もあまり感じていないのでは・・・ ◇若い人にそんな態度を取られた老人はどう思うのでしょうか? *寂しく、悲しく、優しさや労りの薄さを感じておられるだろと思います「最近の若者は・・・・」 老人も変化しているし、今日の若者が明日の中年、いつしか皆が老人に成って行くのだから。 *しかし、順送り(世代間の移行)であり、最近の老人は昭和生まれが大半であり、やがて戦争を知らない人が中心に成っていく。 *その時には、戦争・軍隊経験・戦前の教育・帝国憲法・社会や暮らし(食生活・歌謡曲・映画・インテリア・趣味・仕事etc)も変化して世代間ギャップや原体験の全く違うということはなくなっているのでは・・・ *年功序列や長幼の序の言葉や価値観が死語化し、上から目線の敬語ではなく自然と出てくる丁寧な応対や心配りに成って・・・ ちょうど体育会系のような縦社会や仕来りや言葉使いが、慣例なのか?伝統なのか?必要不可欠な心構えなのか? 必然性やメンバーに暗黙の合意形成や感性として受け継がれている組織や家族や社会の一部には残っても・・・。

noname#213462
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました! 交流が少なく、価値観の異なる異質な存在と見てしまうかもしれませんね。

回答No.1

>>赤ちゃんにでも話しかけるように というのが想像しにくいですが、 本人としては親しみを込めて接している。 又は、目上の人に対しては敬語を使うべき、という事を親なり何なりに教えてもらわなかった。 というのが答えかと思われます。 さすがに、「ジジイ」だの「ババア」だの言ってるんだとしたら後者ですが。 あと体感的にですが、ご老人やお年寄りという方が印象がいいですね。

noname#213462
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました! 親しみを込めてということなのですね。

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