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「一応」の使い方
( )15万円ぐらいあれば生活できるだろう。 A さしあたり B 一応 答えはAですね。でも、Bはどこがいけないでしょうか。自分の考えでは、「一応」は「一応行ってみよう、一応聞いておこう」などのように、後ろは「ましょう」が多用だからだと思いますが、こう考えていいでしょうか。 よろしくお願いします。
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これは、「15万円ぐらいあれば生活できる」という言葉(叙述)に、推量の助動詞「だろう」がついて筆者の態度(ムード1)の表明となった構文なので、普通であれば、この推量を予告する副詞が来るものでしょう。 「(おそらく/たぶん/おおかた)15万円ぐらいあれば生活できるだろう。」という形です。 仮に「さしあたり」を予告副詞にする例としては、限定的用法として「さしあたり~(心配は/困ることは)ない」であり、「一応」は本来の「一往」のニュアンスとして「いちおう~(やって/試して)みる」のような係り方が一般なので、「あれば」「できる」という述語の予告としてはやや弱めで不明瞭な感じがします。 あえていえば、 「さしあたり15万円ぐらい<はないと>生活できない/さしあたり15万円ぐらい<も>あったら生活できる」、 「いちおう15万円ぐらい<も>あれば生活できる/いちおう15万円ぐらい<で>あれば生活<は>できる」 とでもなるでしょうか。 このように例えば<も>を一字加えればAでもBでもどうやら意味は通じます。 「( )15万円ぐらい<も>あれば生活できる(だろう)」 では、修飾副詞としてどうなのかとみた場合は、 #4さんが指摘されていますように、 >「さしあたり15万円ぐらいあれば、一応の生活は出来るだろう」 が落ち着きます。 これは副詞の連体詞風用法をしてみるとわかります。 「さしあたり」の15万円、「いちおう」の生活─といった感じです。 このように、文頭に来る副詞の選択については、基本は予告副詞であり、例文のようなムード1の付いた「だろう」文では推量の副詞が相応します。 仮に「だろう」を取った限定条件文でみれば、仮定節側には「さしあたり」が、主述文側には「いちおう」が幾らか納まりやすいでしょう。
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- hakobulu
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>Bはどこがいけないでしょうか。 : A.さしあたり15万円ぐらいあれば生活できるだろう。 B.一応15万円ぐらいあれば生活できるだろう。 どちらも「あれば」に掛かっていて、正しい表現です。 「さしあたり15万円ぐらいあれば」は、「当面15万円ぐらいあれば」という意味。 「一応15万円ぐらいあれば」は、「十分ではないが15万円ぐらいあれば」という意味。 >自分の考えでは、「一応」は「一応行ってみよう、一応聞いておこう」などのように、後ろは「ましょう」が多用だからだと思いますが、こう考えていいでしょうか。 : そのように、出題者の方が判断した可能性もあります。 副詞としての「一応」には2つの意味があります。 1 十分ではないが、ひととおり。大略。「これで―でき上がりだ」 2 ほぼそのとおりと思われるが、念のために。「―見直しましょう」 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E4%B8%80%E5%BF%9C&stype=1&dtype=0&dname=0na おっしゃるように、2の意味で解釈すると、「B.一応15万円ぐらいあれば」は間違いになりますね。 出題者の方が1の意味を、うっかり失念していて、2の意味だけを前提に出題した可能性もあるでしょう。 いずれにしても、 「日本ではひと月どのぐらいあれば生活できますか?」 「(十分とは言わないが)一応15万円ぐらいあれば生活できるだろう」 という会話は普通に成立します。
- key00001
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「さしあたり15万円ぐらいあれば、一応の生活は出来るだろう」とお考えになれば宜しいのではないでしょうか? 「さしあたり」は「当面は」「当座は」「取敢えず」「取り急ぎ」「今のところ」みたいな意味の、現時点に近い「時間」を示す言葉です。 一方の「一応」は、「一通り」「概ね」「一時的」などの意味で、動作に掛かることばです。 文字通り、「一度は応じる」ですから、動作主の行動なんですよ。 質問者さんの例文(行ってみよう、聞いておこう)も、動作でしょ? 「一応15万円あれば、生活出来るだろう」でも、「生活出来るだろう」に掛かると解釈すれば、使用は可能です。 「一応」も間違い・誤用とは言えないと思います。 ただ、修飾語句が離れた文章に掛かると言うのは、文章を少し判りにくくします。 「15万円ぐらいあれば」に掛かる言葉としては、「さしあたり」の方がしっくりきますね。 更に、「さしあたり生活できるだろう」でも文章を構成出来ますので、「さしあたり」だと文章全体に掛かる、より適切な修飾語句と判断されます。 「A,Bのどちらが正しいか?」と言うよりは、「どちらが適切か?」と言う問題かと思いますよ。
- oakbow4490
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さしあたり: 先のことはともかく、今のところ。今しばらくの間。当面。 一往: 十分ではないが、ひととおり。大略。 >15万円ぐらいあれば生活できるだろう では、 「さしあたり」では、一定期間は大丈夫だが、その後は難しいかもしれない 「一往」では、満足のできない程度だが、継続して生活できる との意味になる。 また、一往が一度行ったとの意味を含むので、将来的な予測にはあまり使わない。 一応(収入が)15万円あったので生活できた なら、おかしくない。 >一応行ってみよう は(一応=行う必要性は十分ではないが)行ってみようの意味となり、本来は行かなくてよい、の意味になる。 なお、「一応」は自分の仕事に使うときは、謙譲的(不十分かもしれないが。今は少ない?)に使われることもある。
- sayayako
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詳しく考えたことないですが、Bは違うってことはわかります。 なんでかな。。。 一応に数字の一が入っているからではないですか? 一度だけ行ってみよう、一度聞いておこう」と置き換えても違和感がないし。 15万円という数量の前に一が入っていると変かも。 「15万円ぐらいあれば一応生活できるだろう」だったら平気なのですが。 「量の多さではなく、イエス・ノーの時に使うもの」というイメージです。
- voiced
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あくまでも私個人の見解を述べさせていただきます。 私としては、 ・さしあたり…当面、今のところ ・一応…とりあえず、ひとまず という意味ですので、文的にはどちらでもいいのではと思ってしまいます。 質問者様の考えで宜しいのではないでしょうか。 不十分な回答で申し訳ありません。