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伊勢物語 筒井筒
内容についての質問です。 筒井筒の後半に、 「まれまれかの高安に来てみれば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づからいひがひ取りて、けこのうつはものに盛りつけるを見て、心うがりて行かずなりにけり。」 とありますが、なぜ「けこのうつはものに盛りつける」行為に「心うがり」と思ったのでしょうか? どなたか解説お願いしますm(_ _)m
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高貴な身分の方というのは、自分の身の回りの用は、一切、使用人に任せるものです。 そのために「女房」が雇われているのです。 身分のある人というのは、「使用人がやってくれるから、自分はしなくていい」というよりもむしろ、「自分の身の回りのことを自分でしてはならない」存在なのです。 その延長で、自分の産んだ子どもも自分で乳をやっては育てません。 そういうことをするのは身分の低い人だけ。 高貴の方は、「乳母」を雇って、子育ても使用人に代行させるのです。 ついちょっとそこにあるものも、自分で手を伸ばして取ってはならず、使用人に取らせる。 ふつうの声でしゃべれば聞こえる場所にいる相手にでも、直接は話さず、几帳越しに、伝言者を介して話す。 それが、高位の方の振る舞いとして品格を保つあり方なのです。 簡単な例で言えば、高級レストランなどで、客がフォークやナイフを落としたとき、客は自分で拾わないで、ボーイやギャルソンが拾って、新しいのを持ってくるでしょ? それの極端な例といえばわかりやすいですか? ご質問の例では、「高安」の女は、男と付き合い始めた頃は、ちょっと上品ぶって、お嬢様っぽく取り繕ってはいたが(なんでも使用人にやらせて、鷹揚に振舞っていた)、男と慣れ親しんでくると本性が出てきて、自分でしゃもじを取ってご飯をよそうまでになった。 自分の食べ物を自分で食器に盛り付けるなんて、卑しくもみっともないこと、下品もいいとこ、下々の者の振る舞いと同じではないか、というので、男はすっかり呆れて、「高安」の女に愛想が尽きた、ということなのです。
お礼
とてもよくわかりました!ありがとうございます!