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あなたの人生は誰のものですか。
こういう質問はタブーであり、意味をなさないことであり、お叱りを受ける質問でしょうが。自分について話すと、無宗教であり、哲学には無知であります。家族はいません。無責任な質問ですが。
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面白い質問だとおもい、回答させていただきます。 『私の人生は、私のものであり、また、私にかかわる全ての物の人生です。』 ですね。だって、私一人では、私は存在できないですから、私を好きだと思って頂いている方や嫌いだと思っていてくれる方、私を知っていてくれている方達の人生でもあると思います。 この世の中で誰も私を知らなければ、たとえ呼吸をしていたとしても、私は生きているとは言えないかな~って思います。 この『誰』には、生物だけでなく、植物なども含まれています。 だれにも必要とされない人間なんて、この世にはいないのではないかと思ってますから・・・ あくまで、私の考えですけどね。
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- mktoolll
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私の人生は誰のものでもありません。 ただ存在している。ただそれだけ。 そこに意味があるかって? 意味なんてありません。 でもあえて意味を見出そうとする。それが哲学。
- aramaa
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人は自分の体、心以外(心は脳の運動なので体の1部ですが)直接的コントロールすることができません。あなたが行動して誰かの意思や未来を変えようとしても、あなたが想像したように変化していくとは限りません。(未来を確定する方法はありませんから…) 変えられないもの(過去、今起きている現象やすでに存在するもの)を否定してもあまり役に立ちません。自然現象(心は変化する、いやな記憶が忘れられない、空気がある、天気は変化する、金は涌いてこない、景気は変化する、宗教同士が戦争してる、落石、肉食動物から攻撃される、蚊にさされて痒い!)や法律(裁判所の決定権、強制力がない、証拠がない、冤罪を掛けられた、賠償金を請求された、裁判費用がなくて訴えられない、時間がない)や他人の自由意志(発言、冷ややかな視線、店員が親切、親がおせっかい、会社の規則、社長命令、恋人の愛情、逆恨み、言葉による誤解)など自分で直接コントロールできない様々な条件のなかから自分で決めれること(反論してみる、真剣に考える、気分転換にテレビをみる、寝る、病院に行く、転職する、法律を変える方法を調べる、手伝ってくれる弁護士を探す、説得を試みる!諦めるなど)は限られています。現実を受け入れられない状態になると有効な選択肢が浮かんできませんし、絶望的なことばかり頭に浮かびます。頭に浮かばなければ行動に移すことはできません(体は脳(心)が動かしているから)人生という言葉の使い方は人によって違いすぎるので決められません。思想的な言葉なので自分の好きに解釈していいんじゃないですか?言葉は曖昧なものです。感情の一部だから(だからこそ争いの原因にもなってしまうし)定義はこれからも変化していくでしょう(広辞苑も)…ちなみに私の解釈は「人が生まれてから死ぬまでに思った事、行った行動、死ぬまでにやるであろうこと」全てを総称する言葉…ですかね。
- gorou3
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1 自分自身のもの 2 家族のもの 3 家族、友達、近所、会社など知っている人全体のもの 4 人類のもの 5 地球、宇宙全体のもの 夫々考えている人の経験、意識(家庭的な人は2OR3)、テンション、病気?!に左右されますね。
ああ、あなたのものだね。
- JACO1011
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人生というのが所有して支配権を行使し得るような何物かであるという感覚が、そもそも私にはありません。 ただそのような状態にあることが人生だ、というのでしょうか。 生き方ということについては、これも自分が排他的に独立して支配しているようなものだとは思いませんけど、つまり誰かの所為で自分が今のような自分になったんだとか、今自分がこのように選択するようになっているんだ、という要素も必ずあるとは思いますが、自分自身で責任を持たなければいけないものだと覚悟と、自分だけにしかエンジョイできないんだという特権意識と、どちらもあります。 選択可能な範囲というのは限定されてますけど、基本的には自分自身の好き嫌いで物事を選択して生きています。自分の行為とか境遇は、自分自身の好き嫌いで選択した結果であって、これを他人の所為だけにする人がいますが、確かに他人の所為である部分はあるのですが、それはとても無責任だと思いますから私はそういう考え方はしないようにしています。自分自身が好きでそうしたのだということを第一に考えます。 回答になってますでしょうか?
- bun-bunbun
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私だけのものです。
- Mizyu
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武士道、騎士道と呼ばれる心得、主人の為にみずからの人生をささげることを至極としている時代もありました。 が、今の時代、自分の人生を誰かの為に費やすのは「愚」とされていますね。 誰かが自分の人生を支えてくれるわけではない時代です。 無論、誰かが人生の補助はしてくれますが、保証はしてくれません。 この時代、人が生きる為には自分で立って進まなくては生きていけません。 ただ、上記したように、自分の人生を誰かが補助してくれます。 なので、自分の人生の一部を誰かの為に費やすことをするべきでしょうね。 私の父は、私を学校へ通わせる為に大金を使ってくれました。 私は私の子供たちに同じように大金を使うでしょう。 また、父が老いて動けなくなったときには出来る限りのことはします。 結論は「自分の人生は自分の為。ただ、人間は自分一人で生きているわけではないことを認識すべき。」 自分の力だけで生きていくことはできません。 誰かの為に費やし、自分の為に費やしてもらい、、、の繰り返しが人生です。 そしてその人生の善し悪しの決定は自分の手に委ねられてる、というのが私の考えかたです。
- ben5125
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私の最近読んだ本で感銘を受けた「7つの習慣」という本の内容の受け売りですが、意見を述べさせてください。(まだ完全には理解していないのですが・・) 人生は誰のものかということは、誰のために生きるかということでしょうか?そう考えると、自分の価値観において大事なことのために生きるということではないでしょうか。人生はその自分の大事なもの、大事なこと、大事な人のものではないでしょうか。ということは、価値観を持つ必要があります。その価値観とは不変の原則に基づくものでなければならない。・・・・とだんだんこんがらがっていきますが、その価値観というのはその人の成熟度によって異なります(本の内容によれば)。先ず自立した人間になること。(依存から自立へ)その後に相互依存関係がうまれる(説明不足でわかりにくいと思います)。そうなると世界が拡大します。ということは生きる目的もいろんな方面へと拡大して人生は誰のものかというのが理解できるのではないでしょうか?私ももっと勉強して自分の世界を拡大していこうとしているところです。文章が稚拙であることはお許しを・・。
- banana7
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「あなたの人生は誰のものですか。」 私も無宗教ですが、人生は自分のもの そして修行の場なのかな?って思っています。生まれ変わりはあるかどうかわかりませんが、生まれ変わったときに今より少しでも良い人生となるように、今 生きている気がします。 「超えられない試練は与えない」って言いますから、どんなに苦しくても自ら命を絶つような事はしてはいけないって子供には教えています。
- domi_rb
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こんにちわ。 面白い質問ですね。 興味があったので、回答させていただきます。 ただ、私個人の意見として。 「私の人生は、私のもの。 ただ、それは神にゆだねた中にある。」 私は、クリスチャンです。 ですので、神という言葉が出てきましたが、 多くの方は、「なにいっとんねん!」って感じかな。 私の人生は、自分で切り開いていかなければならない、 そう思っておりますが、それも、その努力も、 神の御手の中で、御光を見失わないように歩くことだと、 思っております。 という、あくまで、私の意見です^^ こんな人もいるんだ~と思っていただければ幸いです。
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お礼
皆様、御答え、誠に有難う御座います。無責任な質問で怒られるかと思いましたが、皆様、心ある回答をしていただき、安心しました。愚な質問でも、たまには、こういう内容を考えてみても構わないのかな?と思いました。迷惑でしたら申し訳御座いません。もう少ししたら、閉じますので、数日お待ち下さい。有難う御座います。