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人生

生きる意味って人それぞれで答えはないものだと私は思います。 あなたは何のために生きてますか? 死ぬため?家族のため?自分のため?

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  • mk0817
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回答No.18

この質問、永遠のテーマですね 中学の頃、死んだらどうなるのだろうと真剣に考えました何のために生きるのだろうとも、答えはわかりません しかし齢50代まで生きてきて、来し方を見つめなおすと平凡な人生ではありましたがこれが人生かなとも思います 10代はひたすら向上心に燃え勉学に体力向上に努め打算の無い純粋な友人をつくりできれば彼女の一人も欲しい 20代は勉学の一応の終結と生きるための糧を求めて社会参加(就職)をし、その中で良き妻を迎え、子供をもうけ慈しむめまぐるしい時 30代は家を建て、低収入の中子供の養育に明け暮れ、時々親に孝行するのが精一杯の貧しく厳しい時代(親に申し訳ない) 40代は一応の地位につき収入も少し増えるものの子供の高校大学進学を迎え、妻も働かなければならない経済危機の時代 50代は子供が社会へ旅立ち結婚を迎え喜びがある一方で、ろくに孝行できなかった親が場合によっては亡くなる寂しい時代で退職を目前に自分の第二の人生設計に入る時 こうやってみると忙しく、人間の輪廻といいますか2,30代では妻と子供の養育の楽しい時代から子供が巣立ち親を亡くし、最後にまた二人だけになる、日本国民の子孫を残すまた社会を維持しできれば一歩でも向上させていく歯車のようなものかなと感じています 社会向上を目指すための努力と、そのための子孫へのバトンタッチの繰り返し、そんなもののために生きているような気がします 勿論その中にいろいろな喜び悲しみを味わいながら いいお題をいただきありがとうございました

kikitetsu
質問者

お礼

美しい回答をいただきありがとうございました。 言葉の一言々々が詩のように心に響いてきます。ありふれているようでそのひとつひとつは特別で、みんな同じようでいて一人ひとり違う今を生きているんだなあ、と再認識させられました。 こちらこそこんな素晴らしい回答をいただき、ありがとうございました。

その他の回答 (19)

回答No.20

(#19です。「物質ではない部分」について、自分なりに箇条書きにした文があります) 1. 我等は、認識する個体である。 2. 我等の生存は、意志の結果であり、幸福の追求としての本質を持つ。 3. 幸福とは、認識に於ける意志と、その達成の認識により成る。 4. その個体的追求は、生存と認識に於いて為される。 5. その環境的対応は、生存は生産として、認識は学習として現れる。 6. より大なる学習は、より大なる社会的生産を可能にする。 7. また、より大なる生存に於いて、より大なる認識は可能になる。 8. これらの過程の認識とその意志化は、最大の生存と最大の認識に於ける、完全な充足を実現する。 9. そして、それらの統一的計量は、認識の深まり及び有効エネルギーの不可分な指向として、反エントロピーとして求められる。 10. 反エントロピーとは、宇宙の起源としての、絶対無=無限不確定性の潜在(有限)たる認識の自我仮説性(時間性~進化)の定性化である。 11. 潜在的認識性に対する相補的環境は、その認識の有限性による相補性の非自覚化により、他律的対象(=時空仮説)化する。 12. その他律的環境への反エントロピーの敷延は、自己矛盾として生じる環境を、その先入たる、仮説的時空性に於ける個体的有限性を、超越する意志化により、補償するものである。 13. 換言すれば、真理の限界は、愛により補完され得る。 14. 先述の要素との対応に於いて、真理とは認識の深化であり、愛とは社会的生産への意志に他ならない。 15. 宇宙の原理的本質は、自我成立の為の相補であり、そこに於ける完全な自覚に基づく完全な意志は、真の環境としての無限性=完全な自由を保証される。 16. この、利己と利他、あるいは唯物と唯心を包含した、完全な“自己”完結的過程には、金や地位といった外的価値、また主義・宗教他いかなる権威も介在し得ない。 17. 我等は、愛によって真理を成し、真理に於いて愛を為し、而して幸福なるべくのみ存在するものである。

kikitetsu
質問者

お礼

回答いただきありがとうございました。 しかし私の質問と主旨が離れすぎて、コメントに困ります。 少し万人向けに分かりやすく話をまとめてくれるとありがたかったかな・・・。 正直意味が分かりません。

回答No.19

物質に「目的」はありません。 しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。 「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。 (あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、やはり全体は「生きよう」とする) 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。 生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。 であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。 生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。 しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう? 人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。 原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。 お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。 要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕しているのです。 (「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質)

kikitetsu
質問者

お礼

回答いただきありがとうございます。 少し批判的なことを言ってしまいますが。ご了承ください。 まず、私の設問の回答になっていないことです。あなたは何のために生きていますか?という私の質問の回答がひとことも書いていないのはとても残念でなりません。 もし、私=物質 という意味で、物質に「目的」がないと回答されているのでしたら、物質である私に生きる意味はない。という回答になりますが、そういう答えだという前程で言えば、理解できます。 しかし、私という肉体は物質により構成されていますが、私はすべて物質により構成されてはいません。 物質に「目的」はありませんが、私という物質に付属する私という意思は物質ではありません。 私は物質であり、物質ではないんです。(まぎらわしくてすいません) まとめるのがへたなんですが、私なりにまとめると。 物質に「目的」がないという答えが、もし物質=私 という意味での回答と仮定したら。 私は物質ではない(自我)という意味で設問を解釈した場合での、あなた(物質ではない部分)は何のために生きていますか?という設問には答えていただけていない。私は理解できないということになるんです。(あくまでもわたしがあなたのいうところの「物質」という言葉を解釈した意見です) その後のこの世の中に対しての批判のような文章は、おっしゃるとおりだと思います。この世の批評論は的を得ていて、とてもすばらしい文章だなと思いました。 このコーナー以外で、あなたの前向きな実践哲学を拝聴してみたいと思いました。

  • kita33dr
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回答No.17

「生きるために生きてる」 こう書くと意味不明に聞こえますが、 自分の中で端的にあらわすとこうなってしまいました。 何が生きるために生きてるのか、はとりあえず置いといて。 「生きてる」ってどういうことか考えると、 目が見える、耳が聞こえる、息ができる、手が動く、足が動く、思考ができる、感情がある…… などなど数え切れない活動がありますが、 人間も動物も魚も鳥も昆虫も植物も微生物も生きてますよね。 ゾウリムシみたいな単細胞生物だって「生きてる」。 で、どんな生き物も「何か」から生まれてきたわけです。 人間だったら父と母、植物だったらおしべとめしべ。 生命の起源は38億年前に地球上に登場したとされているみたいですが、 それが正しいかどうかはともかく、「何か」からできたルーツがずーーっと続いている。 それが長い年月を経て、今「人間」として「自分」が生きている。 そして、自分と言う存在ができるまでに物凄い数の生と死が起き、 それが自分のところにまで続いて来た。 そう考えると、自分の存在の不可思議さとか希少さを感じずにはいられないのです。 何と言うか、はるか昔から「生のエネルギー」が脈々と受け継がれている感じがします。 この「生のエネルギー」が自分の中にある間は大事にしないといけないんだろうな、という感覚がします。 このエネルギーは自分に子供ができずに受け継がれなかったとしても、 生きている間のあらゆる行動、すなわち人に接したり、物を作ったり、考えを口にしたり、文章を書いたり 等を介して、他の存在に伝わっているような気がするのです。 何百年も前に描かれた絵を見て感動することもありますし、 何千年も前に作られた物を見て、その後生き方が変わることもあります。 それは絵や物からエネルギーが相手に伝わったということかなと考え、 そのエネルギーが動く様を「生きる」って言うのかな、と考えるようになりました。 だから、冒頭の文を言い換えると「命のエネルギーを動かすために生きてる」ということになりますね。 ……というようなことを五年前に死の淵からよみがえって、 しばらく動けなかったときに考え、これにたどり着いてからは気が楽になりました。 昔はこんなことばかり考え、答えが出ずに長年うつ病に取り付かれてましたけど、 現在は普段こんなこと考えもせず(考える必要もなくなり)、日々やれることをやってるだけです。 「何のために生きるか」という問いを久しぶりに見て、ついつい長く書きましたが、 意味不明であればごめんなさい。私の文章力と思索のまとめ方が拙いのです。

kikitetsu
質問者

お礼

壮大な回答ありがとうございます。 人々のエネルギーを感じあなたもそのエネルギーの一部として生きようとしている様が浮かぶようで、とても情熱を感じました。 私も皆さまの回答からエネルギーをいただいるようです。

  • second373
  • ベストアンサー率36% (36/100)
回答No.16

No.4です。お礼、ありがとうございます。 自己をはかないものと認識しているのにその意義を求める、ということに矛盾を感じ、意識が陥落してしまうのです。 ※各人の経験から導き出されるのは「人生の意義」ではなくて「自己とは」です。 我々は、何のために生きるのかの答えを未だ明らかにしていないのです。

kikitetsu
質問者

お礼

再度回答いただきありがとうございます。 少し否定的な言い方をしてしまいますが。お許しください。 自己をはかないものというふうにあなたは認識されているのですね。私は自己をすばらしいものというふうに認識しています。なぜなら私はここであなたと会話し、多くのことを考え、学んでいるからです。家族を思い、感動し、幸せを感じることができるからです。 各人の経験から導き出される答えは各人によって違うのではないでしょうか?あなたの経験から導きだしたあなたの答えが「人生の意義」ではなく「自己とは」だったということですよね? あなたは何のために生きるのか?を未だに見つけていらっしゃらないのですか? そもそも今回の設問は、あなたは何のために?です。設問の主語はあなたであり我々ではありません。できればあなたは?の答えをいただけるとありがたいのですが。

noname#130062
noname#130062
回答No.15

経済学で使われる意味の「効用」の最大化のために生きています。

kikitetsu
質問者

お礼

すばらしい回答をいただきありがとうございます。 最大に満足して死んでいけたら最高ですね。しかし自分の欲深さは他人にとって害を及ぼす場合があるので困ったものですね。 すべての人間が満足できる世の中になればよいのですが・・・。ちょっとヒューマニストっぽくなるのでやめておきます。そんなんじゃ地球を今以上に壊しちゃいますものね。

noname#105187
noname#105187
回答No.14

『欲しいものをゲットするため』

kikitetsu
質問者

お礼

簡潔ですばらしい回答をいただきありがとうございます。 欲望に忠実にということですね。違ってたらすいません。 人間欲望があるから現在の世界を作りあげていますよね。生きる原動力こそ欲望です。 欲望に溺れすぎ身をほろぼさないようにという自制心も、自分をコントロールしたいという欲望なのですかね。 愛も金も権力も智謀も健康も信頼も・・・すべてをゲットしたら人間どうなるんだろう・・・。とか考えちゃいました。

noname#160590
noname#160590
回答No.13

再度No.1です。 No.1でのお礼文 >ということはあなたの意見ではないということですか? できればあなたの意見が聞ければよかったなと思います。 誰の意見かは分かりませんが、あなたがその方の答えに共鳴したからここに書き込んだってことなんですね。 ということですが、 私は数年前に、この疑問(「何のために生きるのか」)について 考えまくったことがあるのですが、 その時に出た結論は、 「わからない」もしくは 「人生暇つぶし」でした。 というより 「考えれば考えるほど疲れ」ました。^^; でもその後になって 「暇つぶし」といっても「人生楽しまにゃ損」とばかりに 「人生楽しんでいる」人もいるなぁと思って、 「暇つぶし」はないかなぁ。。と。 でも、やっぱり 「考えれば考えるほど疲れ」たので^^;、 そんな時に誰かが言っていた、「人生に意味はない」。 これだっ!と、思った、次第であります。^^;

kikitetsu
質問者

お礼

再度回答いただきありがとうございます。 思慮深い方なのですね。意味を求めない生き方もアリだなと思いました。 人生に意味を求めるか求めないかも人それぞれですね。人生に意味を求めない生き方って男らしくてストレートでそこには美しさすら感じます。 「人生に意味はない」ってことに勝手に意味をもたせてしまい。申し訳ありません。 私は意味を求めるタイプなのかもしれません。 長文ありがとうございました。

  • awjhxe
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回答No.12

誰の為の物でもなく死は自分だけの物です。

kikitetsu
質問者

お礼

回答いただきありがとうございます。 そうですねおっしゃる通り死はあなただけのものですね。 しかし私は死は自分だけではなく周りの人間にも影響を与えるので私だけのものとはどうしても割り切れません。生きていることも自分のためだけとは割り切れません。 ところで何のために生きているのか?という設問の答えをいただけるとありがたいのですが・・・。

  • zki-yumi
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回答No.11

No.3です。 すみません、回答がちょっとずれてましたね。 私自身に生きる意味はありません。 特に目的があって生きているわけではないです。 死にたくないから仕方なく生きているだけです。 では生きていたくないのか?と問われると、そうとも言えないようです。 何故なら、これから先の未来を知りたいから。知的好奇心です。 未来のために生きている。そういうことなのかもしれません。

kikitetsu
質問者

お礼

再度ご回答いただきありがとうございます。 未来のために生きていらっしゃるのですね。あなたご自身の未来がすばらしく輝けるものになるとよいですね。

回答No.10

すべてを楽しむために。

kikitetsu
質問者

お礼

回答いただきありがとうございます。 こんな単純で楽しくなれる人生の回答は、他にありません。うれしくなりますね。 でも楽しむだけでよいのでしょうか?なんて疑問を置いといて、人生楽しみたいですね。

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