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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「日本は植民地にされる恐れがあった」 の根拠)

日本は植民地にされる恐れがあったのか?

このQ&Aのポイント
  • 日本は植民地にされるという恐れがあったのか、その根拠について考察します。
  • 日本が植民地にされる可能性があった根拠として、西洋諸国の目的やコストについて調査します。
  • また、幕末の軍事力や治安状況についても考察し、日本が植民地にされる恐れがあったのかを検証します。

質問者が選んだベストアンサー

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  • k16399638
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回答No.6

日本が植民地になる可能性は、極めて低いと思います。 1 国民全般に教育が広く行き届いていました。インドのように支配層が納得して英国の軍門に下り、下の階層が自動的に盲従するようなことが考えられません。支配層が納得しても必ず抵抗運動を思想的に指導する層、人物がでるでしょう。 また、下層階級の教育レベルが高いということは、彼らを思想的・軍事的に指導することが容易であることを意味します。武器より恐ろしいのは士気とそれを裏付ける思想です。日本はそれを用意することが可能な国でした。 2 日本は島国であり、当時のロジスティックス能力では、日本を軍事的支配下に置くだけの兵力を送り込み、それを維持することは不可能です。特に、内陸の地形が険しい、そして天候の影響が四季を通じて大きい、という特徴があり、当時の西欧諸国の装備では攻め亡ぼすことはまず不可能でしょう。 英国は当時アフガニスタン制圧に失敗しています。インドを索源にして作戦できるアフガニスタン攻略すらこの体たらくですから、日本攻略など不可能です。 3 天皇の存在があります。幕府も結局は天皇の臣下にすぎません。ということは、幕府がつぶれても他の組織が天皇を象徴にして、日本国防衛を組織できます。これは1に結びつけることが容易であることも重要となります。植民地支配の手段である「傀儡政権樹立」が、困難なわけです。 4 シベリア鉄道の建設が始まるのは1891年なので、日本侵略のためのロジスティックス機関としての存在意義は、幕末を中心に考えるとしたら論外だと思います。またヴラーディボストークは1890年代ですら人口2万5千の集落にすぎないので、同じく幕末に日本攻撃に使う索源としては、論外でありましょう。 5 日本は南北戦争終結(1865年)で武器装備過剰となるアメリカから、装備を購入することが幕末だと容易になります。史実でも装甲艦まで(甲鉄は、CSS ストーン・ウォールです)購入しており、日本側の装備が充足するのに時間はかからないでしょう。 6 中国大陸で太平天国騒乱がおきており欧米は日本どころではありません。列強は清朝に肩入れすることで利権を手にすることを極東アジア政策の最重要課題にしている真っ最中です。 また、正統政府に反乱した太平天国がキリスト教の国だと日本にも伝わっており、キリスト教にまだ反感の強かった日本で太平天国に対する評価が低く、ひいてはキリスト教列強に対する警戒感と一種の軽蔑が、支配層から庶民に至るまで広まります。宗教で侵略することも不可能なわけです。 以上を鑑みると、軍事・政治的に征服し植民地経営するのはペイしません。戦争しても割に合わないのがわかっているのなら、当然ながら交易です。また、どこかが日本と戦争し始めたら、だれかが日本の方について、自国の友好国として取り込むでしょう。 ただ、中国のように租界を作られる可能性までは否定できませんが、租界の治安を維持するのが難しいと思います。日本人個人、武士の戦闘能力が高いので、テロが頻発するのが目に見えています(それを支援する国も出ると思います)。 オチ そもそも、極東というのは東の果てです。欧州列強にとっても、アメリカにとっても遠すぎる地域なので、列強指導部は「あの辺にあるニホンってなんだ?」というのが実態ですから、自国民の血で征服して利益が出るところとは、考えていなかったでしょう。 私はこれこそ、日本が植民地化されない最大の理由だと思います。

kobatetu01
質問者

お礼

大変充実した回答をありがとうございました。

kobatetu01
質問者

補足

これほど完璧な列挙は見たことがありません。 感服しました。 このすごい知識をもう少し知りたい気がします。 遠慮なく連打お願いします。

その他の回答 (11)

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.12

6&7です。また失礼します。 私の知識は基本的に学問で得て裏付けもありますが、整理されていないのでまあ「漫談」くらいに受け取ってください。 1 植民地 どなたかのご回答で「文明国が非文明国を文明化する」というお言葉がありました。これを拝読しておもいだしたアフリカの一部族のことです。ある首長が戦士階層をあつめてこう言います。 「最近『太って座った白人』が、股の間からなにやら次々撃ちだしているようだが、そんなものはこの『祝福を我々の長老が授けた秘油』を体に塗れば、滑ってしまい何の効果もない。我が戦士の勝利は当然である」 戦士はみなこの『秘油』を体に塗って、「太って座った白人」は皆殺しだと息巻くわけですが、その「白人」の正体はベルト給弾方式の機関銃を構えた兵士でした。 我々は戦士の末路を容易に想像できます。結果、次のようなことがおこります。 ・『秘油』をさずけた首長・長老に対する徹底した不信感の芽生え ・白人に対する徹底した恐怖と畏怖の念の発生 土着部族が自ら自分を支配していた階層を不信に思い、白人に従属するという構成ができたら支配は楽でしょう。その後も、白人はウチの長老よりすごいのだから、白人に仕えるのが理である、と現地人が思ってくれれば侵略は完成です。暗黒大陸といわれたアフリカの多くの植民地は、基本的に「極端にレベルのちがう文明の接触により形成された」物なのです。SFでいうなら、「幼年期の終り」のように文明レベルが根本的にちがう側による支配が確立し、一方的な支配が成立します。ただ、支配されている側が不幸に感じているかが微妙で、●●国の配下にあるのだからわれらもまた偉大である、と思っている可能性が大きいのが、このタイプの侵略により形成された植民地です。グルカ兵になることは名誉である、という発想がネパールにはあります(その是非は別とします)。英国にとっては最良の植民地なわけです。 2 アメリカ ペリー指揮下の「黒船」の開国要求が有名ですが、その前にグリンが東インド艦隊のスループ艦で日本側にとらえられていた船員解放に成功しており、アメリカの砲艦外交を日本は経験していました。 ただ、ペリーは海軍長官、国務長官、そして大統領から「日本を開国させる」ための「命令」と「許可」を得ていた点でそれまでの外国船とは全く異なる立場にありました。ここが重要です。 しかし、日本側はオランダからの情報と、琉球を支配していた島津斉彬からの情報で、基本的になにが進行しているかは把握しており、混乱したが無策というわけでもありませんでした。これが他の植民地になった地域とは決定的に異なります。 で、アメリカは強気でしたがこのあとは南北戦争に突入するのはみなさんご指摘のとおりです。 そして、南北戦争に突入した段階でも、アメリカにはまだ西部に未開拓の土地がありました。文字通り、全くの人跡未踏の地帯が、テキサス州とカリフォルニア州の間に存在したのです。北部の西の果てはミネソタ・アイオワで、南部はテキサスが西の果てでした。今のモンタナからニューメキシコに至る地帯は本当に、空白地帯だったのです。江戸幕府の蝦夷地より未開の地域でした。 当然当時のアメリカは太平洋に拠点はなく、ペリーは東部バージニア州ノーフォークから大西洋に出て、インド、香港、上海経由で日本に来ていたのです。カリフォルニアが州になったのはペリーの来航とほぼ同時期ですが、その時同地はゴールド・ラッシュ景気だったのでニホンとか東インド艦隊なんか、別世界のハナシでした。  日本の明治維新から西南戦争までの期間、アメリカは南北戦争とその戦後処理、フロンティアの開拓、インディアン戦争、その只中に大陸横断鉄道の整備を行い、メキシコとの絶え間ない政治的・軍事的トラブル経て(これだけで卒論が書けます)、1890年にようやく国内のフロンティアが消滅します(この時代が西部劇の時代です)。 このあともハワイ、フィリピンを押さえその後もいろいろあってから、やっとアメリカの対日戦争プラン「オレンジ」が策定されます。 が、それは1919年のことなので幕末には関係ないでしょう。 3 鯨油 捕鯨 基地としての日本 まず、鯨油は機関燃料ではありません。 維新期の鯨油の用途はは灯火用燃料、火薬の原料、そして機械潤滑油です。鯨油は低温でも凝固しにくいので、1950年代まで特に懐中・腕時計の軸受け油として需要がありました。西欧捕鯨は鯨油確保が目的であり、食用ではありません。また当時は帆走の船が捕鯨船だったので、燃料も必要ありません。が、薪は必要でした。鯨油を船の上で精製するためです。 維新期、アメリカの捕鯨基地は東部に集中しています。メルヴィルの「白鯨」も基地はマサチューセッツのナンタケットであり、捕鯨基地の大半は同州に存在しました。当然捕鯨の中心は大西洋ですが、長期間航海があたりまえなので、日本近海まで出没し始めたのです。 なので、日本で捕鯨船の食料・燃料補給をしたいとペリーがざ要求したという認識はほぼ誤解です。日本は阿片戦争の結果を詳細に知っており、異国船薪水給与令をだしているからです。黒船がきたからアメリカが日本を植民地にしたがっていた、というのは、気持ちはわかりますが当のアメリカすら考えていません。アメリカがもとめていたのは商売の優先権、最恵国待遇に過ぎません。アメリカ海軍総司令部は、侵略のための武力行使をペリーに禁止していたくらいです。 そして、ペンシルバニアで油田が発見されてからは、アメリカ捕鯨は急速に下火となります。 4 アメリカと列強 ペリーは琉球を索源として活動するのですが、当然他国に行動はキャッチされます。アメリカ東インド艦隊は小笠原諸島を測量して領有宣言しますが、英国とロシアから即座に抗議を食らって引き下がることになりました。つまり、列強でのアメリカの地位はこの程度だったわけです。ペリーの基地は琉球より後ろは香港と上海であり、そこは英国の領土です。アメリカは当時南部寄りだった欧州とは関係がデリケートで、強気に出られません。ただペリーは香港で将軍家慶の死を知ると即艦隊を動かし2度目の来航を実施し、この機敏な判断が日米和親条約につながります。 しかし、その後アメリカは南北戦争に突入するので、ペリーが開国させた日本で実利を得たのは、結局英国とフランスという結果になりました。 5 日本国の内実 日本を巡って、列強はこのように牽制しあっていました。なので、ある国が植民地化を企図することは非常に困難だったとおもいます。 また、江戸幕府が統治権と軍事力はあっても、権威としては京都政府の下、というのが欧米人には難しい ことでした。中国大陸とちがって、簡単にどの勢力が正統でどれが対立していると色分けできなかったからです。列強は当面は江戸幕府に接近するのですが、結局本国と離れた司令部との連絡が必要な官より、カネ目当ての商人が巧く立ち回る結果となります。 一方、日本の教育レベルは当時の西欧並みに高いものであり、識字率は7割を越えていました。これは自国の言語で高等教育が可能なことを意味します。また武器の生産こそしていませんが、日本の各地域に地域を維持するだけの地場産業がありました。 マルクス学に「資本の原始蓄積」という概念があります。国を創る元手のことですが、日本は鎖国していた400年間の間に、各地の産業育成、度量衡の統一、通貨統一をなしとげ、これが新政府の「原始資本」となりました。鎖国の是非はともかく、原始蓄積ができていたことは非常な幸運でした。 植民地の多くは、この原始蓄積がない地域です。 さらに、江戸幕府は出島と琉球経由でアメリカ独立からフランス革命、阿片戦争、太平天国騒乱の内容まで把握していました。 カネ目当ての商人によい武器を発注する知識があり、兵士の教育と組織がたやすく、対外情勢に無知ではないのが、当時の日本です。幕府は横須賀にフランスの指導の下ドックと海軍基地建設をはじめており、沿岸防衛組織の育成を機動に乗せつつありました。 6 オチ しかし幕府の欧米接近は反欧米思想の攘夷運動をよびおこし、日本国内に史上なかったテロが頻発することになります。これが反幕府、尊皇の形となって、雄藩薩長土肥が連携し、その後の朝廷をたてた倒幕運動につながるわけです。5で触れた、日本国の正統権力者は? という欧米には判断の難しい状況の戦争が勃発したわけです。 ミリオタ視点でこの戦争を考えると、海軍で勝っている幕府側は東海道の兵站をどこからでも攻撃することかでき箱根、小田原、横浜を索源にして戦争ができます。戦意のある指揮官が上にいたらどうなったかわかりません。列強(アメリカのぞく)の介入は、内戦が長期化するこのシチュエーションでしか成立しえないと、私は長々書いてきた結果として、お答えにしたいと思いまはわす。 史実は最大都市の江戸が無血開城し、いわゆる「朝敵」は各個撃破され、一部が蝦夷地で新政府になりかけましたが確立する前に鎮定され、国家分断も植民地化もおきませんでした。もう一度、薩摩で騒乱になりますが、これが徴兵からなる鎮台兵に敗北したことで、日本植民地化の可能性は、ゼロになったと私は思うのです。 7 脱線雑記 ハワイ、ありますよね。幕末より以前にハワイ王朝があり、1840年英国が領土宣言し、1850年フランスが領土宣言し、アメリカ人農業主が海兵隊を引き込んで……とあるのですが、太平洋ど真ん中ハワイ植民地化の試みが幕末騒乱より20年近く前だったことは、日本植民地化の可能性を考えるとき、象徴的だと思うのです。

kobatetu01
質問者

お礼

いろいろありがとうございました。

  • kuroneko3
  • ベストアンサー率42% (250/589)
回答No.11

 NO.5の者です。  イザベラバードというイギリス人女性が,1878年(明治11年)に東京から北海道まで、一人(+通訳一人)で旅行をして紀行文を書き,その中で『私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている。』と書かれているそうですが,,質問者様はそれを根拠に「日本は治安の良い国だったから植民地化されるおそれはなかった」と考えているのでしょうか?  仮にそうだとすれば,そのような考え方はあまりに浅薄すぎると思います。  幕末から明治維新の時期にかけて,日本における外国人の襲撃・殺害事件は数え切れないほど起きており,その度に日本は(外国人側に非がある場合でも)賠償金の支払いや責任者の処罰を余儀なくされてきました。明治政府としては,日本に居留する外国人の安全を確保できなければ,いつまでも欧米諸国から近代国家とは認められず,治外法権の撤廃や関税自主権の回復も遠のくばかりか,薩英戦争のように外国人殺害を発端とする戦争の原因となったり,香港や上海のように開港した日本の港が理不尽な占領下に置かれたりするおそれもありました。  そのため,明治政府としては外国人の安全にとりわけ神経をとがらせざるを得ず,反対論を押し切って廃刀令を発し武士の帯刀を禁じ,これに反対する士族により1877年には西南戦争という国内最大規模の内戦が勃発しました。  1878年といえば,まさに西南戦争があった翌年です。その時期には明治政府の努力により,女性でも通訳を連れるだけで旅行できる程度に治安は良くなっていたかもしれませんが,それを理由に「日本は治安が良かったから植民地化されるおそれはなかった」という議論をする人がいるとすれば,私としては失笑するしかありません。  ただし,インドが最終的に「イギリス領インド帝国」という形になったのは,インド人の反乱に対処するためには従来の東インド会社より強力な統治体制を敷く必要があったからで,同じように日本を完全支配下に置こうとすれば,少なくとも数十年単位の時間とかなりのコストを必要としたでしょう。相手をイギリスに絞って考えるのであれば,インドのような完全支配下ではなく現地人の政府を間接的に支配する「保護国化」という形態がより現実的であったかも知れません。

kobatetu01
質問者

お礼

いろいろありがとうございました。

kobatetu01
質問者

補足

日本と貿易をする上での「治安」、ということを、当時のインド、中国、アフリカなどと較べて、教えていただけないでしょうか?

回答No.10

続き >コストというのは例えば戦争をしてでもしたかったか?というような意味です。 可能性は低いという認識である以上は、回答の責任はないが、前の回答で私見は述べたので、割愛する >もう一つの日本側の事情としては、幕末の軍事程度ではだめだったのか? ダメだった、ということの指標については、国際政治史から指摘できる。  戊辰戦役において新政府軍を圧倒し続けた幕府側の海軍力は、オランダに依存している。 『開陽』が幕府側の最新鋭の軍艦であったが、『開陽』そのものは新造艦であったが、その他の軍艦がいわゆる『外国の不用艦(廃棄船)』である。そのような幕府海軍力にさえ最後まで勝てなかった新政府軍の海軍力は・・・と言えよう。  ちなみに、17世紀最隆盛期のオランダが半世紀後に英蘭戦争・チューリップバブルで没落して、(軍艦)造船力でも列強で一段劣ることも付言しておく。 >日本のような治安の良い国は植民地にする必要が無いのでは?というような考察をお願いします。  発想になかった。 列強諸国の植民地支配の大義名分の根底には、『非文明国の文明化』がある。 日本の治安水準については、当時は怪しいものがあるが、周辺諸国に比較すれば、幕末洋務運動などから「文明国」扱いされる余地は過分にあっただろう。  西周を筆頭に列強を見た人物を見れば、維新志士のテロリストぶりは『文明国』とは言えないまでも、文明国と言えるような様態になりえる前兆はあった、とは言えるだろう。 < むすびに >  小生が思うに、各人の「植民地」という認識に大いなる齟齬が生じえることが予測される。 おそらく質問者が指摘する 『インドのような植民地』 の意味は無視されることだろう 思うに、世界史知識のない回答者は、おおよそ歴史において思慮するべき多様な植民地様態について配慮できないだろう。 極論をすれば、日本史の歴史でしか思慮できない回答者は、大東亜共栄圏構想のようなユートピア思想の植民地支配をモデルにしてしまうことだろう。  あのようなユートピア思想を唾棄せずに、共産主義思想を唾棄する諸氏の論理不整合は問わないにしても、植民地を国際政治で論じれない日本人の多さ・そのような状況に至らしめた教科書の功罪は大きいだろう 以上、予備校世界史講師より

kobatetu01
質問者

お礼

専門家からの回答をありがとうございました。 >日本史の歴史でしか思慮できない回答者は、・・・・。 という鋭い指摘で、私の質問の真意を自覚しました。 日本史の議論を世界史から見ることが出来る人が居るだろうか?という問いかけだったようにも思われてきました。

回答No.9

>「日本は植民地にされる恐れがあった」 の根拠 この質問は過去の二つの「質問;回答」を読んで、それを更にもっと深く知りたいと思ったものです。 質問;7376256;日本も白人に入植される危険性はありましたか? アポリジニーのようにされる可能性は無かったか?というもの 質問;7230055;日本は植民地にされる恐れは無かったのだろうか? 「その恐れは無かったのではないか?」という観点からの質問でした。 上記二つの質問の回答を読むと圧倒的に、「恐れがあった」と言う答えが多かったのですが、その根拠が種々書いてあり、それらがちょっと混乱しているように読みましたので、もう一度その根拠を整理して教えてほしいと思いました。 この質問の対象は、幕末・維新時期を中心とします。  質問の対象が<幕末・維新>動乱期と限定すれば、植民地化される可能性は低くない、と断じてもいいだろう。 幕末・維新動乱期をフェートン号事件から西南戦争まで、と期間指定させてもらう前提での回答ではあるが・・・ >植民地にされると言うときに、樺太・千島列島をロシアと争ったことをもって「恐れあり」とする人が居ましたが、これは先占競争の問題であって、侵略されたのではないので、質問の範囲外とします。  論外なのは言うまでもないだろう。そもそも樺太・千島列島は日本の実効支配が及んだ時期ではないし、なにより『18世紀』の話ではなかった。回答者が質問文を適切に読み下せないだけの事例であって、質問文で言及する必要性もない愚かな回答だと思ったが、質問者の配慮として好意的に評価しておきたい >質問は主に、「日本全体がインドのような植民地にされる恐れはあったか?」と絞り込みたいと思います。 限定性のある質問は回答者にとっては有難い。教養・知識のない人間の駄文回答よりも根拠・論拠を持ち合わせている人間にとっては、質問内容が精査されているほうが回答しやすいのであって、スレの健全化のためには望ましいように思う  ところで、『インドのような植民地』との表現に関して、諸氏がどこまで英国のインド支配が行われていたか?という前提知識っが必要になるだろう。その仔細は、”質問者が理解している”という前提にさせてもらうが、  『その可能性は皆無ではない』との回答が適切であろう。 (回答者諸氏が当時のインド情勢を理解してないことは明白なのだが、それを言及することが回答に帰結しにくいので割愛させてもらう) >そしてその根拠については、侵略側の事情と日本側の事情の両面からご指摘願いたいと思います。 A:侵略する側の事情について  まず、侵略する側としては、日本をインドのような植民地支配するための交通・輸送関係が十分に整備できていないことは大きい。植民地支配の上で本国との経済関係は極めて重要である。  英国側にとってのインドは、スペイン・オランダの大航海時代・ポスト大航海時代の貿易インフラ整備が整備されていた状況からしても、貿易差益主義(=重商主義)外交の余波をもって経済植民地化しやすかったことは言うまでもないだろう。 仮に日本を植民地とするには、経済的利益を誘導する必然性があるが、日本の場合は、良質な港が未整備であった。 このことでも、日本の植民地化の障害因子と指摘することが出来るだろう。  、もっとも、日本を植民地支配するに、貴金属地下資源が魅力であったことは十分に加味するべきだろう。 しかし、この貴金属を巡る植民地の野心にも一定の限界を指摘する必要性がある。 それは、植民地支配のための物理的暴力手段である軍事力の限界点の問題である。 列強諸国は動乱期は、欧州本土だけではなく、トルコ地域・南アジア地域・アフリカ地域・中国での植民地闘争に明け暮れていた時代である。確かに日本は魅力的な植民地になりえるとしても、上記したインフラ問題だけではなく、植民地として優先順位の高さ・国策としての軍事力投下の需要は高くない。  ”軍事力投下の需要は国益に比例する”ことは想像できるだろうが、日本はその需要・優先順位からして植民地化の必然性が低いと言うしかない。  仮に列強諸国が日本の地下資源に執心していれば、もっと早い時期に『開国』要請があっただろうし、日米和親条約の経緯(捕鯨基地の件)という件については嫌疑が生じるべきだろう。  以上の状況から日本を植民地化する野心はあったとしても、その現実性は低いと言うしかない。 ただし、これは、アフリカ分割会議であるベルリン会議(1885年)以降においては、ロシアが除外されうるだろう。 仔細は質問者の要請で回答したいと思うが、本件では割愛する   B:日本側の事情について  日本側の事情を鑑みると、実は侵略される様態を整えている。 例えば、幕末評論において、西洋史からみれば、雄藩・幕府の対立構造は、そのまま英仏代理戦争である。 雄藩はイギリスの援助を受けて幕府を攻撃し、それに抵抗する幕府はフランスの支援を受けている。 英仏はアジア諸国においては、正規軍投入の前段階で国内内乱を誘導するような武器供与が行われている。供与するのは国家ではなく商人の場合も多いが、それに国家政府が介在しているケースも多い  『歴史にIFはない』が持論ではあるが、仮に、戊辰戦役において幕府側が徹底抗戦を行なった場合は、どれほど戦線が膠着したか?もしくは戦役が長期化したか?という問題は大きい。  特に慶喜の早い段階での戦意喪失によって結果論にしろ、意図したものであろうとも、英仏代理戦争の構造を回避しえた部分は大きいだろう。  ところで、雄藩(新政府軍)は国防戦力の要である海軍力において、幕府側に最後まで劣勢であったことを失念している人は多い。  幕府の海軍力も総合的には列強には敵わないにしても、雄藩を軽く凌駕していたことは史実である。その幕府の海軍力を摂取することなくボロボロの新政府の海軍力の状況を考えれば、維新当時の国防力に関しては、極めてお粗末というしかない。  以上のように日本側の実情を見れば、植民地化されるに十分な下地を維新志士が創造している、と断定することが出来よう。  それでも動乱期に植民地にならなかったのは、上記した列強側の事情だろう。 もっとも、この動乱期が半世紀も後世にズレ込めば、列強の植民地化という可能性は高くなるだろうが・・・・ >西洋諸国がどういう目的で、日本を植民地にしたいと思ったのか?そのためにどの程度のコストを考えていたのか?という問題が一つです。  目的について 列強の諸事情から、目的は様々だろうが、貴金属輸入(収奪)が一番高いだろう。それに補足して、太平洋侵出上の補給・中継拠点などが挙げられるだろう。  しかし、時期としては、その必要性は高くないし、その余裕がないだろう。  コストについて 『可能性が低い』という側としては、そもそもコストなどは考えていなかった、と論じるべきだろうが、皆無ではないから回答しておきたい  おそらく国家としてコストを払って日本を植民地化する野心はなかった、と思われる。 簡単にいえば、"国際条約によって骨抜きにして実質的な植民化で十分だろう"という程度であろう。 つまり、軍事力展開による植民地化ではなく、貿易・輸送インフラ及び拠点を抑えるだけで軍事力・国力の恫喝を駆使して植民地化しよう、とすることが、現実的な列強の描く日本の植民地支配であっただろう。  事実、動乱期の日本の国際関係史は、国際条約による骨抜きである。軍事力の直接展開は優先順位から見送られたが、骨抜きにすることで、軍事支配による植民地化の準備は抜かりなく行われていた、とも評価できるだろう。  なお、本質問において指摘される『植民地化』はインドの様態であることから、国際条約上において骨抜きにされる状況は「植民地」としない。  本義、『植民地とはどのような様態か?』という精査した議論が望ましいが、ここは割愛する もっとも質問者がそれを精査したいのなら、嬉々として持論を述べることは可能である。 小生は回答者諸氏と違い、歴史・国際政治の基礎教養の前提をもって言葉を用いるのだから、説明できて当然であるべき立場であるのだから・・・ >インドを植民地にしたのだから、当然日本も狙っていたに違いない、というような推定のもう一歩踏み込んだ根拠を知りたいと思います。  求めても無駄だと思われる。その理論展開のために必要な歴史情勢を身につけていないのが、そのような見解を提示するのだから・・・ 長くなったので、続きの回答にさせてもらいたい。

kobatetu01
質問者

お礼

いろいろの観点からの回答をありがとうございました。 それで気がついたのですが、この問題は、あったか?なかったか?という択一的な答えはふさわしくなくて、どの程度のおそれがあったか?という質問にすべきだったか?と反省しました。

  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.8

>ロシアが対馬に拠点を置こうとしたことがありましたが、これは外交で切り抜けましたので、これも質問の中心ではありません。 ちょっと補足です。 1861年に、ロシアの軍艦が対馬に上陸して測量と同時に基地建設を行なっています。 対馬藩主は、幕府に対して「対馬を放棄するから、代わりの領土が欲しい」と述べていますよね。 幕府は、右往左往するばかりで(民主党政権の外交と同じ)何ら有効な対策をとっていません。 最後には、イギリス・フランスに泣きついて「イギリスの圧力(軍艦派遣)で、ロシア軍は退去」しています。 昔から、外交は苦手なようです。^^; >西洋諸国がどういう目的で、日本を植民地にしたいと思ったのか? 幕末は、イギリス・フランス共に「日本占領は考えていなかった」ようですね。 あくまで、日本が親英国家・親仏国家となる事を考えて影響力を保ちたいだけの様です。 (今の、「アメリカが風邪をひくと、日本がクシャミをする」関係です) 現に、倒幕派はイギリスの支援を受け、幕府側はフランスの支援を受けています。 ただ、新興国のアメリカは「完全に、日本の植民地化」を最終的には計画していた様ですね。 ペリーが浦賀沖に現れる前に、琉球王国に上陸。湾・港の測量。と同時に、本島に上陸していますよね。 アメリカ公文書館の記録では「日米和親条約を日本側が拒否すれば、先ず琉球を占領。琉球を拠点に、日本を攻撃支配する」となっています。 アメリカ西海岸からハワイを経由してアジアに向かうには、日本の地理的な場所は好都合です。 食料も飲料水が底を付く頃に、日本が見えるのです。 アジア進出に遅れをとっているので、補給基地として日本が欲しい! 井伊直弼が独断で条約を結んでいなければ、アメリカ合衆国日本州になっていたかも? >そのためにどの程度のコストを考えていたのか? 先に書いた様に、アメリカは(最終的には)「戦争をしてでも日本獲得」を目指していた様です。 ただ、幕末の日本の風俗・風習・教育水準などは案外海外で知られています。 右手で握手して、隠した左手に拳銃を持っていれば「日本は、YESと答える」と看做していた様です。 ですから、直接幕府に時間的猶予を与えて交渉したのでしよう。 アメリカが次に狙った朝鮮では、宗主国である清国の同意の下(清国の馬建忠が立会人となって)米朝修好通商条約が結ばれています。

kobatetu01
質問者

お礼

ここまでの回答8件をまとめて、私なりに考えてみました。 このNO.8の回答から考えて、少なくともアメリカには、日本に対して軍事力の行使によって、領土を奪おうと言う考えがあったことは、否定できない、と思いました。 つまり西洋諸国には、とにかく領土欲というものが存在した、と一般化できます。 しかしこのアメリカの考えにしても、自国が南北戦争(1861年)の混乱を抱えて、実行に移すことは無く、日本も結局開国したので、双方考えて、日米戦争になることはありえなかった、とも考えられます。 その外の回答を参考にしてまとめてみますと、「西洋の脅威は皆無ではなかったとしても、現実には殆ど無かった」と言えそうです。 そもそも「外国からの脅威」というものは、脅威そのものの現実性よりは、「それをどの程度の現実的なものと感じるか?」という側面が重要なのですが、明治の人々は、脅威を過大に感じすぎていたのでは無いか?という相対論的結論になりました。 例えば現在の日本に見られる「中国脅威論」がこのパターンで、過大な恐怖心におののいている可能性が高い、ということを警戒するための参考とすべきではないでしょうか? 大変参考になりました、ありがとうございました。 私の上のようなまとめで、よろしいでしょうか?

kobatetu01
質問者

補足

説得力のある情報をありがとうございます。 >アメリカ公文書館の記録では「日米和親条約を日本側が拒否すれば、先ず琉球を占領。琉球を拠点に、日本を攻撃支配する」となっています。 といわれると、そうだったのか?と思わざるを得ない気になります。 このことを何か本とか、ホームページで書いたものは無いでしょうか?

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.7

6です。連打失敬。 戦国時代に西欧が日本を植民地化、ですがこれも不可能でしょう。 1 当時日本は地球にある鉄砲の6割を国内に有しており、なにより重要なのは火薬を自国で完全に補うことができます。外洋を航行できる船舶がない以外は、軍事的に世界のなかでも極めて強力な状態です。 当時から江戸時代末期に成立した中国の民話では、粋でちょっとしたお金持ちの若者を形容するのに「日本製の鉄砲をもった若者」という言葉を使います。日本は武器輸出大国でもあり、日本製の鉄砲は大陸でも非常に需要がありました。 2 日本侵略は各国の東インド会社が担当するとおもいます。兵士は南方系人種で構成されるでしょうが、日本の極端な冬をのりきることができないでしょう。また、日本の雨期と夏に士気階層の欧州人が耐えられるとも思えません。当然、ロジスティックスの問題もあるので、 むしろ東インド会社が本国に、日本製の陶器や金銀財宝と一緒に「そういうムチャは、やめましょう」という手紙を送るのがオチだとおもいます。 3 1600年前後だと、最大の列強であるフェリペ2世のスペインは、ネーデルランド反乱と対英国戦争が外交の主軸なので、日本など後回しです。当然当事者の英国もです。無敵艦隊海戦が1588年ですから日本に軍事力は割けません。 フランスはこの間でうろうろしており、ロシアはやっとモスクワ中心の国家がイワン4世の手で確立しそうな状態だったのにノブゴロド攻略戦争でガタガタして、トンデモなことに英国のエリザベス1世に求婚して、同盟しましょうと言っている状態です。このイワン4世が、いまでもロシア人の恐怖であるイワン雷帝なのですから、まあ押して知るべしです。というか、イワン雷帝が戦国時代の人だと知ったときは新鮮でしたよ。 ポルトガル? スペインの一地方です。他の列強は、ニホンってなに? 状態でしょう。 で、当時は日本よりアメリカを侵略する方が西欧列強にとってはリアルな優先課題です。 4 イエズス会の宣教師が非常に活発に活動していましたが、日本人が対等に交渉できる相手だと認めているので、他の地域でやったような上から目線布教をして、文化的侵略を完遂するには至らないでしょう。ただ、キリスト教が根付いた可能性はありますが、日本のように多神教の国では、その他大勢のなかでも、ちょっと毛並みの変わった一人にカウントされてオシマイだとおもいます。また、イスラム教という対立軸がいないので、思想が先鋭化せずに終わると思います。 脱線失礼しました。ご容赦ください。

kobatetu01
質問者

お礼

さまざまな観点からの史実を教えてくださいましてありがとうございます。 参考になりました。

  • kuroneko3
  • ベストアンサー率42% (250/589)
回答No.5

 まずは侵略側の事情から。  19世紀の欧米諸国は,ほとんど全世界で切り取り合戦をやっているような状態でした。アフリカやオーストラリアなど,18世紀以前なら見向きもしなかった不毛の土地まで競い合って植民地化するような時代でした。アジア諸国において,欧米諸国等による植民地化を免れ独立を維持できたのは日本とタイだけであると言われています。  こういう世界情勢では,植民地化政策で世界の覇権を手に入れるには,できるだけ効率よく多くの土地を手に入れる必要がありますから,どこの国も辺境の日本に大軍勢を送り込んで植民地化するということはあまり考えなかったでしょう。しかし,日本国内の内紛に乗じ低コストで,しかも「内紛の収拾」とか「自国居留民の保護」といった当時の国際法的にも説明が付く大義名分を持って日本を植民地化できるチャンスがあれば,迷わず介入してきたと考えられます。  なお,ここでいう「低コスト」とは,白人自身はあまり手を汚さず,政治的に分裂した日本人が欧米諸国から武器弾薬を買い,白人達のために代理戦争をしてくれるような状況で,という意味です。インドはそんな感じの内紛を繰り返した結果,最終的にイギリスの植民地になったのです。  日本は,天然資源こそ大したものはありませんが,人口はそこそこいるので工業化社会に必要な労働力は手に入りますし,当時多くの国が狙っていた中国(清)を征服するにあたり,日本を押さえておけば前線拠点としても役に立ったでしょう。地政学的に日本を欲しがるとしたらまずアメリカ,イギリスとロシア,そしてイギリスが欲しがるのであればそのライバルであるフランスも当然欲しがる。  次に日本側の事情ですが,幕末時代の日本の軍事力なんて,それこそあって無いようなものでした。普通に考えれば,圧倒的な天領を抱えている幕府軍が長州に負けるなんてあり得ないはずなのに,それが現実化するほど江戸幕府はぼろぼろになっていました。政府要人や外国人などの暗殺事件も後を絶たず,治安が良かったなんてお世辞にも言えません。井伊直弼,坂本龍馬,大久保利通,伊藤博文,みんな最後は暗殺されてます。こんな国のどこが「治安が良い」と?  幕末の動乱に欧米諸国が介入し,薩長方と幕府方の戦争もなかなか決着が付かなければ,やがて日本は戦国時代並みの混乱状態に陥るおそれもありました。日本の各地で大小の戦闘が繰り返され,外国人の暗殺事件も後を絶たず収拾の見込みもないとなれば,いっそのこと外国人に統治を委ねるしかないと考える日本人も出てきたでしょうね。  何度でも繰り返しますが,日本がそのような事態に陥らなかったのは,幕末の動乱が短期間で終結し,明治維新という大規模な政治改革と近代化が奇跡的に成功したからです。アジア諸国のうち,自力でこのような近代化に成功したのは日本とタイだけです。

kobatetu01
質問者

お礼

ありがとうございました。

kobatetu01
質問者

補足

当時の日本の治安の良さについて イザベラバードというイギリス人女性が、1878年(明治11年)に東京から北海道まで、一人(+通訳一人)旅行をして、紀行文を書いたことを知っていますか? その中に次のような文章があります。 『私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている。』 これについてどう考えますか?

回答No.4

幕末の状況のみに焦点を当てて考えると、 まず、当時の日本の状況に関しては、オランダ、中国など交易のあった国から情報をとれますので、ヨーロッパ諸国などには意外と知られていました。 当時世界の覇者となっていたのはイギリスで、イギリスに関しては、インド、中国などに進出をして大いに潤っている中で、極東の日本への魅力というのは、それほど大きくありませんでしたので、戦争をしてコストをかけてまで植民地化する必要はありませんでした。 しかし、アメリカにとっては、太平洋上において、当時の燃料である鯨油の補給拠点などを求めていたので、日本は重要な拠点でしたが、交易を求める程度で十分と考えていました。戦争を行うためには、太平洋を越えて戦力を送り込まなければならないので、当時の技術としては、大変なコストがかかります。 イギリスは、当時の覇権国家として、領土拡大を進めてはいましたが、アメリカの独立戦争などもあり徐々に国力が衰退し始めていましたので、そういう意味では、タイミングとしては植民地化される可能性は低いといえるでしょう。 日本が一番植民地化の危険性があったのは、スペイン、ポルトガルが覇権を争った15世紀と大東亜戦争の敗戦のタイミングだと思いますよ。

kobatetu01
質問者

お礼

ありがとうございました。

kobatetu01
質問者

補足

幕末維新期についてはよく解りました。 質問のテーマではありませんが、16世紀のスペイン、ポルトガルについては、植民地化の可能性はなおさら無い、と思います。 戦国時代末期の日本には、ヨーロッパ全体よりも多くの鉄砲があった、と言われています。 信長は鉄甲船を作ったと言われています。 石見銀山では、世界の3分の一の銀を産出していたといわれています。 こういう国を侵略できるはずがありません。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

1,1806年の露寇事件は一つの根拠に なると思われますが、どうでしょう。 これは先占問題でしょうか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E9%9C%B2%E5%AF%87 2,薩英戦争。 3,当時のロンドンタイムズ紙には、 横浜は英国の植民地である、と紹介されて いました。 4,それと日清日露戦争ですね。 あれは、朝鮮半島を巡る戦争だった訳ですが、 どうしてロシアが朝鮮半島を狙ったのかと 言えば、日本侵略が目的だったのだ、と 考えられます。 5,それからシベリア鉄道も理由の一つになるでしょう。

kobatetu01
質問者

お礼

ありがとうございました。

kobatetu01
質問者

補足

5つの具体的根拠をあげていただいてありがとうございます。 しかしこれらによって、何を説明したいのか、理解できません。 もう少しくわしく、教えてください。 特にロシアが日本を侵略、ということは、どうしてそう考えるのでしょうか?

  • isoken
  • ベストアンサー率32% (596/1825)
回答No.2

>「日本全体がインドのような植民地にされる恐れはあったか?」 対馬・沖縄・函館等の一部租借という形態は別として、日本列島全体が植民地にされる可能性は極めて低かった、私個人としてはそう考えざるを得ないが、その理由に就いては以下思いつくままに列記します。 1.特殊な地理的・経済的要因 極東に於ける列強の興味はやはり中国大陸が中心であり、その遥か東に位置し、しかも換金性が高い産物を有さない日本列島に対する関心は副次的であった事、及び大戦力を派兵出来る列強が存在しなかった。 2.諸藩の戦意 いかに前近代的装備と言えども、武士階級という数十万人に及ぶ常備軍を抱えた国家・地域は、当時欧米を除けば世界的にほぼ皆無であり、しかも「尊皇攘夷」のスローガンの下、薩英戦争・下関戦争に代表される一部雄藩(薩摩・長州)の戦意が旺盛であった事が、日本に対する列強の軍事介入を躊躇させた。 尚中国に於いても「扶清滅洋」という思想が一時的に盛り上がりを見せたが、従来が満州族に支配された国であり、後に「滅満興漢」に変化していった。 3.列強の個別事情及び思惑 ペリーの来航以降アメリカは南北戦争の勃発及びその後の混乱で対外活動を行う事が事実上不可能であり、イギリスは中国大陸・インド帝国の経営で手一杯、ナポレオン3世治世下のフランスは国内が政治的混乱に陥っていた等、列強がそれぞれに事情を抱えており、日本列島を軍事的緩衝地帯とする事で暗黙の合意に到った。 以上

kobatetu01
質問者

お礼

ありがとうございました。 説得力のある回答で、納得しました。

kobatetu01
質問者

補足

具体的に説明いただいて、説得力があります。 ここまで書けば、これに反論するのは難しいと思われます。 しかし私としては誰か、これに反論してほしい、と言う気持ちです。 私の勉強のために・・・・。

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