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「神の見えざる手」とは
経済学の本で、アダム・スミスの「国富論」の引用と称して「神の見えざる手」という語が頻出します。しかし「国富論」第4編第2章には「見えざる手」とあって「神の・・」とはついておりません。 日本の経済学者でもアカデミックな人の本では「見えざる手」となっており、外国の教科書ではステグリッツ以下同様です。 日本は高校の教科書でも「神の・・」という表現が使われているようですが、何時、誰がこんな誤用を日本で広めたのでしょうか? 「国富論」を読まないで引用する日本の俗流経済学者は製造物責任法でいう欠陥商品の売り手?
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- at9_am
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> 日本の俗流経済学者 が誰を指しているのかは知りませんが、訳とは直訳だけではありません。例えば『国富論』の原題 "An Inquiry into the Nature and Cases of the Wealth of Nations" を直訳すると『諸国民の富の性質と由来に関する調査』になります。 「(神の)見えざる手」とは "invisible hands [of God]" (又は "God's invisible hand")の訳ですが、この語自体が国富論には、原著を全て(因みに第一版から第三版まで、三種類存在します)検索したことが無いので確認はしていませんが、多分無いです。 ただし、アダムスミスは経済学者の祖の一人ですが、神学者・倫理学者です。また実際、日本経済史学会編『経済思想史事典』のアダムスミスの項には、 「このような『国富論』体系の根幹をなす「自然的自由の体系」原理は、...神学的な作用→目的の論理に立脚するものであった。」 という記述があるように、一種神学的な風を帯びた語として、"invisible hand" が用いられています。 したがって、この意味で「神の見えざる手」は意訳に近いですが誤訳・誤用とは言えないと思います。 ところで、 > 経済学の本で、アダム・スミスの「国富論」の引用と称して「神の見えざる手」という語が頻出 している本って、どの本ですか? 今時のまともな経済学部出身者ならば「市場の失敗」という言葉くらい聞いたことがあり、「見えざる手」が万能ではないこと位は知っていると思うのですが。
補足
論争はしたくありません。