psytexさんのことばですね。
生命の進化が,互いに相補うような有機的システムを開発してきたことから,これを社会生命というのだと思います。社会生命の社会には人為的な意味を持たせていないですね。道徳などは必要悪だとおっしゃってますから。
だから彼が愛というのも,宗教的な愛ではなく,本能的な愛ですね。生命や生態系のシステムが本来的に機能している場合に愛が発現するのでしょう。そうすると食物連鎖も愛であると言わねばならないでしょう。
人が猛獣に食い殺される瞬間,社会生命的自覚化があれば,それも愛の行為となるでしょうね。けれども,食物連鎖から逃れた人類の生態系における社会生命的役割が確立していれば,猛獣も人を食い殺しはしないでしょう。人だけではなく猛獣にも社会生命的自覚化を啓蒙しないといけませんね。
人類は食物連鎖から逃れたけれど,まだ食物連鎖のシステム上で働く遺伝子が機能していていて,それを発揮する場を失って,人間同士殺しあったりしてしまうのかもしれません。その意味では完全に逃れていないのですね。
闘争本能は社会生命的自覚化ではないというのも都合がよすぎるかと思います。彼の思想は理想主義かユートピア思想ですかね。
私には,正しいとは思えませんね。アルケーの神は,愛について何も語っていないのだし。
お礼
>psytexさんのことばですね。 当の本人は、「ご提示の言葉は、私のものではありません。」と否定してます。 実際本人は性欲や母性本能が愛であるとゆーているので。