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少し迷いがあります。愛とはなんでしょうか?

愛とはなにでしょうか?ちなみにこの例はどこに愛がありますでしょうか? 一例) 社会的に認められてない不倫の上で燃え上がった二人の愛。 将来、障害乗り越えて結婚をしようと約束をするが、 一番考えなくてはいけないのは子供の事。二人は苦悩し最終的に子供の事を考えて別れる事が、その子供に対する愛。もしくはその相手にする愛。 どちらが愛なんでしょうか? それとも両方愛でしょうか?エゴでしょうか? それともスタートから社会通念に反してるので愛にはならないんでしょうか?愛とはなんでしょう? みなさんの解答をお待ちしてます。

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noname#210007
noname#210007
回答No.12

ANo.5の kokoro2006です。 >その子供に対する愛。もしくはその相手にする愛。 >どちらが愛なんでしょうか? >それとも両方愛でしょうか?エゴでしょうか? 子育て中の母親に、子供への愛と男への愛のどちらかを選べと言うのは酷かも知れません。 この愛を考えるには、女特有の母性本能や母性愛を考慮する必要が有るかも知れないですね。 男性には無い物なので説明は難しいですが、 姑と自分のどっちが大事かを問われて困惑する、究極のマザコン夫の気持ちに似ているのかも知れません。 でもその比ではありませんが。 母性愛が強い女性なら、きっと子供を選ぶでしょう。 だからと言って恋人に対する愛が無いのとは違います。 本当に難しいところです。 また女も男も確かに恋をすると、相手の遺伝子を継ぐ子供が欲しくなります。 それは紛れも無く男女間の愛だと思います。 ただ男と女の決定的な子供への愛の違いは、 女はその子が誰の子であろうと、紛れも無く自分の腹を痛めた自分の子で、 十月十日の間自分のお腹で大切に育み、確実に自分が産み落とした我が子です。 男性とは一緒には成らないでしょう。 おそらく彼女さんは母性愛の強い、子供の為には自分の情念を押さえる事の出来る女性だと思います。 これは母親としての本能ですから、子育てが終るまでそっと見守って待ってあげるしかないでしょう。 これを放棄させて一緒になっても、決して彼女さんを幸せには出来ないでしょうし、 結局は質問者様が責められて、二人の関係は終わってしまいそうな気がします。 >それともスタートから社会通念に反してるので愛にはならないんでしょうか?愛とはなんでしょう? 社会通念に反しようが反しまいが愛は愛だと思います。 社会通念が折角の美しい純愛を犯罪にまで貶めてしまう事も多々あります。 世界には一夫多妻の国だって有りますし、自由恋愛の国だってあるでしょう。 逆にその国へ行けば日本人の考え方は理解されないでしょう。 でも日本に住む以上は出来れば日本の社会通念で生きて行った方が生き安いですがね。 どちらにしても今愛する相手が望んでいる事を最優先させてあげる。 その為に自分が苦しさに耐えるのは究極の愛だと思います。 そう考えると子供の為には自分の情念をも立ちきる、彼女さんの愛が究極の母性愛とすると、 質問者さんとの愛はニの次ぎになっている?のかな?? でもそれを静かに見守るのが質問者様の彼女さんへの究極の愛なのかも知れません。 何にしても日本社会では不倫は不利ですし難しいです。

kohnewage
質問者

お礼

ありがとうございます。最後にいいまとめをいただけてうれしいです。現在、結論を出して、別れました。友達でいられるかどうかが、今の課題になってます。楽しかったあのころ、好きなまま、別れるところ、一部、認められないところは存在しますが、それはどの人にもいえるので。。まあでも、発言が興奮すると過激なところが、気に入らないところですね。とにかく、次の段階にむかって歩いていけるようがんばります。これで締め切ります。

その他の回答 (11)

noname#44725
noname#44725
回答No.11

「愛」とは何も求めない事。 何をするわけでなく、自然に発生しているもの。 愛を求めると、消える。 いろんな形があって、順位など付けられないもの。 でしょうか? 難しいですね。

kohnewage
質問者

お礼

ありがとうございます。 回答締め切ります。

回答No.10

NO.5さんへの返答にあった話はおそらく 「賢者の贈り物」O.ヘンリー http://www.hyuki.com/trans/magi.html お互いを想い合い、相手の喜びのため引き換えに自分の大事なものを差し出す夫婦の話です。 W不倫の当事者が引き合いに出せる話ではないと思いますが。 農家の男性が縁遠いのは、たとえ真面目でも家や世間体、「絶対同居でないと」…などの面子や因習に囚われている「長男病」の男性だったり、自分から積極的に動けない人が多いからですよ。(私自身が田舎の農家の娘ですからわかります) 趣味が多い・明るい・積極的だとか、妻や妻側の身内との関係を自分の身内同様に大事にする男性はちゃんと結婚して維持してます。 子供子供とありますが、その子供の片方の産みの親でありお互いが裏切っている相手への情・負い目や責任感などは全く無いのでしょうか? (そんなに質問者の奥様&不倫相手の夫は、傍の誰が見ても離婚を勧められるような非道な人間なのですか?) 今の時点では、恋にのぼせてるだけに見えますが…。 なんだか、「彼女に子供さえいなければ自分たちは一緒になれるのに」と言外に言ってるのが見え隠れします。 「子供が成人するまで待って」という彼女には、まだ「母>女」の部分がありますが、「そこまで待たされたら自分の子供が作れない」という質問者は、彼女の子供達は義理の子ではなく「全くの他人」てことでは? 彼女の子供達まで愛せたら「愛」なのではないでしょうか?

kohnewage
質問者

お礼

ありがとうございます。 質問締め切ります。

noname#39934
noname#39934
回答No.9

私の個人的な考えであり、うまく伝えられるか自信がないのですが、本当の愛はまず自分が自分の内側に感じるものだと思います。 自分が自分のことを愛している、大切にしている、自分がそのままで完全だと思っている、自分の今の在り方をありがたいと思っている…という感覚に近いでしょうか。 この感覚を持てない人は、結局のところ人を(とくに異性を)愛せないと思います。 自分の中に愛がない人は、それを異性からの愛や賞賛で埋めようとするからです。 自分に「愛をくれるから」相手が必要なのであり、本当はその人を愛してはいないし、本当のその人を見てはいません。 「愛」と思ってるものは執着だったり、エゴだったり、性欲だったり、刺激を求める心だったりします。 不倫愛は、「足りない何かをうめようとして」はじまることが多いので、必ずしも「愛」とはいえないパターンが多いような気がしますが、これも絶対ではないでしょう。 結局のところ、愛は自分次第だと思います。

kohnewage
質問者

お礼

ありがとうございます。 質問締め切ります。

  • koikoi810
  • ベストアンサー率12% (68/554)
回答No.8

NO.6です。 逆にお聞きしたいんですが、 質問者様は結婚に関してどのようなお考えなのですか・・・? 奥様と結婚なさったのは何故?なんとなくですか? 私は結婚=一生この人という覚悟を持つ事、と思っていましたが 違うのでしょうか。 不倫相手の女性と燃え上がり、結婚の約束までしておきながら 子供の幸せを考えて別れる、という選択肢があるならば その女性は結果的に、散々振り回された挙句 サヨナラされた、って事にはなりませんか。 不倫するという事は、結婚しているという自分(相手)の立場を 無視する、という事ですから 質問者様は勿論、相手の女性にも非難の目が向けられます。一般的に。 それを結局守り切れる自信がない、やっぱり子供が、と仰るならば じゃあ何故女性を抱いたのか?これもなんとなく? やっぱり、不倫が始まった時点で愛じゃないと思いますよ。 相手の女性を最初から渦中に巻き込まないというのが、 一番の愛の形だったろうに・・・と思いました。 女性にとっても、奥様にとっても、子供にとっても。 あぁ、なんか上手く説明できませんでしたけど・・・ 個人的には、そう思います。

kohnewage
質問者

お礼

ありがとうございます。 質問締め切ります。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.7

万物は、物理の法則の下にあります。ワタクシは、人間の心というものも脳の中での出来事であり、脳は科学と物理の法則によって活動しているので人間心理なかんずく恋愛もいずれ物理的に解明されるのではないかと思っております。その中で、恋愛と物理に相関性が考えられる法則を発見しましたのでご参考までに。 【恋愛ニュートン力学法則】 ニュートン力学によると、物体はその状態を維持しようとします。例えば、止まっている物体は止まったままを維持しようとし、動いている物体は動いた状態を維持しようとします。それにエネルギー(もしくは抵抗)が加わることによって状態は変化するのです。 同じように、恋愛においてもこのニュートン力学は当てはめられます。独り者でいる人は恋人が欲しいと思わない限りその状態を維持しようとし、付き合っている人は別れる理由がない限りその状態を維持しようとします。 【恋愛熱力学第二法則】 熱力学第二法則は別名エントロピーの法則とも呼ばれます。熱は、常に高いところから低いところへ、集まっていくところから拡散へと運動します。例えば、やかんに入れたお湯は放っておけば冷めますが、水をやかんに入れて放っておいてもお湯にはなりません。そこには「熱(エネルギー)」を加えなければなりません。また、コップの中のお湯はすぐに冷めますが、バスタブのお湯はなかなか冷めません。「熱の大きいものは冷めにくい」のです。 これは恋愛にも当てはまります。愛も、放っておけばどんどんと冷めてしまいます。そこにはエネルギーを加えないと拡散してしまうのです。ゆえに、カップルたちはデートしたりセックスしたりとお互いの関係に「エネルギー」を加えるのです。また、小さな恋愛(行きずりの関係など)はすぐ冷めますが、大恋愛はなかなか冷めません。これもまた恋愛の熱量が大きければ冷めにくいわけです。 我々が一般的に呼ぶ「愛とは何ぞや」というのは道徳であり、ルールであります。いうなれば、人間が作り上げた「信仰」であるといってもいいでしょう。もしあなたが神の存在を信じるなら「愛とは・・・」という定義づけも正しいでしょうが、もしあなたがこの世に神などというのは存在しないと断固として信じるなら、恋愛というものもしょせん人間が作り上げた宗教であるに過ぎません。なぜなら、恋愛においても信仰においても相手を信じるのに理由は必要としないからです。

kohnewage
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • koikoi810
  • ベストアンサー率12% (68/554)
回答No.6

例の場合だと・・・「愛にはならない」かな。 済んだ事を言っても仕方ないとは思いますが、 燃え上がる前に諦めるのが愛かなと思いますので・・・。 子供のことを考えて別れる、という選択肢があるのなら 最初から関係を結ばないという選択は出来なかったのかなぁ。 法で人の心は縛れないのかも知れませんけど、 「今後、私はこの人以外関係を結びません」と 宣言するようなものでしょう、結婚って。 それを無視して「愛とは」と悩むこと自体がエゴな気がします。 きれい事かな、すみません。 ただ「好きだ、好きだ」って服を脱ぐことばかりが愛と思ってるって 誰かが言っていたのを思い出したもので・・・。

kohnewage
質問者

お礼

解答ありがとうございます。 少しわかりずらかったのですが、 【「今後、私はこの人以外関係を結びません」と 宣言するようなものでしょう、結婚って。 それを無視して「愛とは」と悩むこと自体がエゴな気がします。 】の意味がいまいちわかりませんでした。 ぼやあんとはわかっていますがね。 参考にさせていただきます。

noname#210007
noname#210007
回答No.5

・恋は奪う物  (好きな人の全てを手中に入れたくなります。ある意味究極のエゴですね。) ・愛は惜しみなく与える物  (自分の事はさて置き、愛する人の利益だけを考えて動きますから、自分の犠牲の上に成り立ちます。) そうしてみますと、 >一番考えなくてはいけないのは子供の事。二人は苦悩し最終的に子供の事を考えて別れる事が この段階で質問者様と彼女さんの愛は子供に向いていますよね。 よってお互いの愛は成り立ちません。 いえ、お互いの気持ちを尊重し会い、我慢する行為はやはり究極の愛でしょうか? 難しいですね。 でも日本社会に於ける分別のある大人としては共に合格です。 逆に子供や自分の全てを捨てて彼女さんと逃避行なさるとしたら、 彼女さんとは究極の愛でしょうけど、子供さんや周りの全ての人達に取っては究極のエゴでしょうね。 もう既に質問者様には結論が出ていると思われます。 でもそれでは自分の欲望が満たされない訳です。 さて此処からが別れるか否かの葛藤の始まりです。 自分さえ我慢し押さえられれば全てが丸く収まる。 押さえられなければ両方の子供を不幸にしてしまう。 全て分かっているけど止められない。 迷っている間は彼女さんも子供達もどちらも幸せに出来ない。 これは愛ではなくエゴなんでしょうね。 周りを敵に廻しての愛は、究極のエゴに徹しないと成就しません。 必ず誰かを不幸にします。 私も周囲の大反対を押し切っての恋愛結婚ですから、人を好きになると言う事がどんなに苦しい事かは理解出来るつもりです。 また夫婦はそれなりの理由があって上手く行かなくなった訳ですから、別れる別れないは勝手です。 でも実行は、せめて双方の子供の義務教育が終るまで辛抱なさってみて下さい。 その道を選んだ彼女さんも質問者様も、 お二人の判断が間違ってなかった事に気付く日がきっと来ると思いますよ。

kohnewage
質問者

お礼

解答ありがとうございます。 一番現実的に、現状に対する方向性をしめしていただいたように感じてます。 彼女から成人になるまで、しかも、子供が結婚するまで待ってと言われてます。私の配慮に求める希望としては子供も欲しいと思ってます。 少なからず彼女の選択を受け入れることは私の希望を捨てることになります。(年齢的に) それで、6つの選択肢がある道から彼女に選んでもらうように話しました。(その選択は、別れることも選択肢の中にいれたもので、彼女がどの選択をしたとしても納得するつもりでいます。)私としても良心の呵責がありながらも、子供が将来欲しいという気持ちがあります。なんていうか、彼女から、求めてもらいたいのかもしれません。相手から子供が欲しいって気持ちを感じ取れれば、逆に私はセーブできるのかもしれません。昔話でありましたが、ある夫婦がいて、武士?(浪人かな?)がまずしくて苦労をさせてる女房にかんざしを買ってあげたいと思い、大事な刀を売ってきてかんざしをちゃぶ台の上においてる。また一方で女房の方は旦那の刀の柄を自分の髪を売って手に入れる。なんて話かは忘れましたが、それが愛だと思いました。彼女から心から求めてもらえれば、その気持ちがパワーになり、また彼女がおかれてる状況にも配慮をし、バランスがいい答え(子供が成人、結婚してからって考えと自分自身の良心の呵責の部分)を導き出すことが出来ると思ってます。多分彼女の覚悟を感じられる気持ちが欲しいのだと思います。それがあれば迷いなく、我慢できるのかもしれません。 一番、現実的に起こってる問題点に具体的に解答をいただいた答えだと思いました。 ありがとうございました。

kohnewage
質問者

補足

訂正です。 私の配慮に求める希望としては子供も欲しいと思ってます。 私の伴侶でした。

  • einn
  • ベストアンサー率37% (671/1802)
回答No.4

再び回答を。 >>愛とは消滅してしまうものでしょうか? これは消滅したり、しなかったりでしょうね。 世の中で永遠のものはありませんから、歩み寄ったりわかりあったりしなければ、そりゃ消滅します。 大事なアンティークだって、手入れをしなければ壊れるのと一緒ですね。 >>子は鎹って言葉がありますが、それでも言えるように子供を中心に生活していくことが愛、幸せでしょうか? 古来から、夫婦関係の維持には労力が必要だったのでしょうね。 理想論で考えれば一生続く愛ほど素晴しいものはありませんが、子は鎹っていうことわざが示すとおり、昔から失敗結婚が多いってことです。 なので、子供を中心に考える愛が全てかというと、そうではありませんよ。ものの例えであり、それだけ夫婦関係は難しいことへのことわざです。無償の愛を捧げられる共通の対象をキッカケに夫婦関係を維持することが一般的であるという意味です。 >>その際伴侶に対する思いは消えてなくなるのでしょうか? これも人それぞれですね。子供がいてもラブラブな夫婦は沢山います。 >>けじめとか倫理とか、大事にしてる人が果たして幸せになってるのでしょうか? ケースバイケースです。場合によっては別れた方が幸せになる人も多いでしょうね。 でも社会の歯車である『オトナ』としてけじめは大切ですよ。下半身が緩いのとは別問題です。 >>子供の立場で言えば、別れたらいいのにって思ったことがあるくらいでした。 これは私も同じ経験があります。結果的に両親は別れましたけどね。 結婚に失敗してしまって、お互いに歩み寄って解決しようとして、 結局分かり合えないのなら、それは別れても仕方ないでしょう。 ただ、それを理由にしたり、言い訳にしたりする人が非常に多い。悲しい事実です。 >>人の気持ちは規則でしばれるものでしょうか? 結論から申し上げると、しばれませんね。法律なんぞ低い柵程度で、ひょいっと乗り越えられちゃいますし。 ただし、世の中で不倫経験のある人が3割いるという現状で、 もしその低い柵が無かったら、もっとエライ事になっていますよ。そのための規則です。 >>仮に縛ったからといって、必ず幸せがまってるんでしょうか? 誰も、「結婚したら離婚したらダメ」とは言わないでしょう?(老人は抜いてですが。) 浮気否定派から見れば、「違う人と一緒になりたいなら、しっかり離婚してからしろよ」という一言に尽きます。 ようはケジメです。 >>農村に嫁が来ないって深刻な問題~まじめで働き者な方が多かったです。でも嫁は着ません。愛とはなんでしょうか? あの方たちは出会いがありません。出会いがあればそれなりに結婚できるでしょうね。 結婚しよう!と思う動機は、心の平穏と体の平穏の片方、もしくは両方が必要です。 心の平穏よりも体の平穏を重視する人からみれば、重労働で過疎地に嫁ぐわけはありませんよね。 ただ、好きな人と一緒にいたい・・・と静かに願う女性は少なからず必ずいますから、そういう人と会えていないだけだと思いますよ。農村の過疎の仕組みそのものに、なにも難しいことは無いです。 最後に。 >>愛なのか性欲なのか、はたまた逃げなのか。 その全てでしょうね。ごっちゃになっていると思います。 逆に言えば、その判別がついていないウチは、愛情よりも恋に近い気持ちです。「愛」なんてものと比べるのはまだ時期尚早でしょうね。

kohnewage
質問者

お礼

2回目の解答ありがとうございました。 私もあまり愛してるって言葉は使いたくないですし、あまり使ってきたこともありません。なぜなら愛は二人ではぐくむもので、現象?の事だと思うから。まわりの方がそのカップルをみて、愛してる、愛を感じるってのが愛だと思います。 私の今の現状では、恋とエゴが大半だと思いました。 一部分愛が存在してるとしたら弱いものに対する配慮、思慮(子供)でしょうか。 彼女の愛は一番には子供に向いてます。(愛ではなく恋かもしれないけど?^^) 社会通念って枠で捉えれば、彼女は自由人だと思います。 付き合ってる間でのやり取りで自分の感覚では処理できないくらいのおおらかさ?を感じます。驚かされることもしょっちゅうです。 逆にない感覚なので新鮮にも思いますし、注意したくなる気持ちにもなります。ですが、笑いのツボが同じなのでしょうか?会話がめちゃくちゃおもろくて、話がつきません。寝るのも惜しんでしゃべり続けることも出来ます。(後でめちゃ疲れますが^^;) 最後に なんにしても、動き出してますから、自分自身が希望が通るために、必要なもの、状況を整えて、待ちたいと思います。 ありがとうございました。

  • matrix256
  • ベストアンサー率24% (171/708)
回答No.3

愛の定義は様々です。 一般的には、「自己犠牲的」なものが包括されていると思います。 それに比べて「恋」は自分の情念のままの感情ですね。 恋は愛よりはシンプルで単純なものだと思います。 ・不倫相手と一緒になりたいがその思いを犠牲にした と言う思いは「愛」に近いですね。 それに比べて ・不倫相手といつも一緒にいたい。 は一見、愛のようで、実は「恋」なのです。 ・恋は直線的な感情 ・愛は自己犠牲を伴った複雑な感情 私は上記のように定義します。 よく言う 恋は下心 ⇒心という字が恋という字の下にあるので 愛は真心 ⇒心という字が愛という字の真ん中にあるので は言い得て妙ですね。 くれぐれも参考まで

kohnewage
質問者

お礼

まず解答ありがとうございました。昔の人は凄いと感じてしまいました。しびれました。そのとおりだと思います。今の私は恋をしてるんだと思います。今の時点ではあきらかに恋です。それどころか私はいままで愛したことがあるのかも疑問になってきました。楽しい事、楽な事、で選んでるのかもしれません。子供に対する気持ちは少なからずあると思ってます。それは愛だと思います。少なからず、私は親に愛されてると思います。余談ですが親同士は不仲ですが、父親の子供に対する愛は感じます。母親もあるんでしょうが、思いだけで、行動には移してこないので感じられないのが現状です。今回の悩みは恋の部分もありますし、愛の部分もあるって事になりますね。自分なりに最終決断をしてみたいと思います。シンプルですがかなり参考になりました。 ありがとうございました。

  • einn
  • ベストアンサー率37% (671/1802)
回答No.2

不倫は悪い事です…というのは前提においてお話を。 子供に向ける愛は無償の愛です。 なぜなら、愛を向けたところで見返りはありません。 心が癒されたりするのは、生き物としての当然の事だったり、過程だったりするので見返りには含みません。 異性に向ける愛は無償の愛だったり、そうでなかったりします。 (1)傷のなめあい。 (2)衝動。 (3)気が付けばずっと隣に。 (4)情け。 (5)流れ。 (6)紹介。 (7)優越感or劣等感。 大体はこんな感じでスタートするのが異性の恋愛です。 スタートは別であれ、最終的に行き着く先が無償の愛ならば、本物でしょう。 ただ、不倫。これは難しい。 私の個人的な意見を言わせて頂くのならば、 「不倫をした時点で愛は語れない」 これに尽きると思います。 不倫をする、という事はその前提として「一つの愛を裏切った」ことになりますよね。 そういった人たちは「違う。今の不倫相手が本物の愛をささげる相手だった」 とか言うと思いますが、それは言い訳であって、一回目の結婚はただの失敗結婚だったわけですよね。 っていうことは、同じ眼球で選別した不倫相手も、失敗している可能性が高く、不倫した人のクチから出る『愛』という言葉にはなんの重みも感じられないのは当然であります。 これは博打で失敗した人が、「今度は絶対勝つから!」と言っているのと大差ありません。 愛とは人それぞれです。 ですが、多数決の法則というのがあるように、 一般的に認知できる常識の範囲内で「愛」と呼ばれているものから反すると、それは愛ではなく、エゴと呼ばれるようになります。不倫もそうです。 よく言われるのが、「愛=自己犠牲」ですよね。これから不倫は大きくかけ離れています。 ようするに、不倫をしている当事者が愛を愛と言えば愛なんですよ。 ただし、マワリからはそう思われませんし、 結婚してから浮気していない一般の人から見れば、 「ずいぶんと下半身がゆるい愛だこと」となるのですよ。 まぁ、私もそう思いますよ。 だって、本当にその女性(男性)を愛しているなら、先に愛して結婚した人との清算をしてから、下半身のお付き合いになって当然ですからね。 けじめがつけられないひとは、今後一生けじめがつけられないと、私はそう思います。

kohnewage
質問者

お礼

まず、解答をいただきありがとうございました。 私の頭で考えてる異見に近いです。 でも感情では違う答えが出てしまいます。 愛なのか性欲なのか、はたまた逃げなのか、渦中にいるものとしては 冷静に判断しつつもすべてにおいて冷静にはなれないのが現状です。 子供に対する愛はわかりやすかったですし、そのとおりだと思います。 何より子供と触れ合ってるだけで、目を見てるだけできらきらしてて、 凄く幸せな気持ちになりますし、癒されます。子供に対しての愛が無償の愛であるならば、その産まれる過程における夫婦の愛は存在していないんでしょうか?愛とは消滅してしまうものでしょうか?それとも最初から愛がない関係の上で夫婦となり子供が出来たことによって、子は鎹って言葉がありますが、それでも言えるように子供を中心に生活していくことが愛、幸せでしょうか?その際伴侶に対する思いは消えてなくなるのでしょうか?けじめとか倫理とか、大事にしてる人が果たして幸せになってるのでしょうか?基本的な考えとしては、頭で考える分には合致してるので違和感はないんですが、答えをもらった後に、また質問をしたくなる気持ちが残ります。最終的には人それぞれ、愛の形があるってところに落ち着いて、なおかつ、その決断によって起こりうる障害において二人で乗り越えていく必要があるのが、理解できます。けじめの取り方ですが、社会的批判に晒されるのがぱっと思い浮かびます。私の両親は社会的通念を優先してもう40年近く連れ添ってますが、幸せとはいえない状況です。その子供たちである私等の問題があったのかとも悩んだ時期もありました。子供の立場で言えば、別れたらいいのにって思ったことがあるくらいでした。思春期に感じたこと、社会人になって感じたこと、今現在感じてること、経験を積むことで理解できることが増えてきましたが、、、人の気持ちは規則でしばれるものでしょうか?仮に縛ったからといって、必ず幸せがまってるんでしょうか? 農村に嫁が来ないって深刻な問題になってますが、農業に携わってる方と何度か接点があったんですが、まじめで働き者な方が多かったです。 でも嫁は着ません。愛とはなんでしょうか?ありがとうございました。

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