そうですねぇ、個人的な意見ですが、「その他」で「自分」でしょうか?
哲学の中で「偶然」という言葉の解釈を大切に(?)している派閥(?)があります。
例えば、死にそうな犬を助けるために、献身的に何かを犠牲にしてまでも助けたとします。ここで「自分」は犬を助けたいという「自分」の欲求を満たすために動いたのであって、犬が助かったということは、「偶然」「副産物的な現象」にすぎないというような考え方です。
冷たすぎる考えかもしれませんが、実は私が昔から思っていた事と同じ考え方だったため、学生時代に哲学書でこの解釈に触れたとき、胸のつかえが取れたような気がしました。
明るさを感じるのも、つらさを感じるのも、熱さを感じるのも、「自分」あってこそです。「自分」がいなければ地球自体(「自分」にとって)存在する価値がないのですから、ある哲学者が「この世は自分が生まれた(自我が芽生えた)時にできて、自分が死ぬときに滅びる」といったのも納得できます。
少し意味が違いますが「我思う、故に我あり」という言葉は、色々な事の原点なのではないでしょうか。
・・・で、私の勝手な思い込みでした。これが答えだとは言えませんが、いかがなものでしょうか?
では、再見!!
お礼
皆様、ご回答有難う御座います。個人的には生命より大切なものはないと思います。生命の尊厳を無視しては、他の全ての物は成立しないと思うからです。貴方の御意見が最も近いようです。