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仏法用語の染浄の二法について
- 仏法用語の染浄の二法について理解するために、深層心理学や大脳心理学の研究から現勢的無意識領域について考えます。
- 天台の止観に登場する九識論の第八識である阿頼耶識は、生死流転の潜在的な無意識層と関連しており、生命の癖や基本的な存在を包括しています。
- この第八識には染浄の二法と呼ばれるものが存在し、その詳細について理解したいと考えています。また、この八識が現存中の我々の前頭葉に与える影響も気になります。
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○ 「染浄の二法」は七識と八識の役割がわかれば容易に理解できるものです。 七識と八識は潜在意識と蔵識(記録意識)ですが互いに接して情報のやり取りをしているのですね。 同時に肉体の器官(五感)から得た情報は表面意識である六識を通じて七識と情報のやり取りをしていますから、つまり六七八識は機能的に動作しているわけです。この六七八識の違いは読み出し書き込み速度の違いだけなのですね。六七八識と順に遅くなるわけです。肉体からの情報は早く処理しないといけないのでそのようになっているのですが、蔵識から潜在意識へさらに表面意識へと向かう情報も同時にあるのです。これは遅い情報ですが個性を形成しているのです。 さて「染浄の二法」とは何かといえば、悟りを求めて修行をするものは正しい心理を得て、日々修行することにより六七八識へと正しい情報を書き込んでいくので蔵識には正しい情報か書き込まれていく、これが「浄」 一方、肉体五感だけが自分だと思う衆生は間違った情報を日々書き込む、これが蔵識に書き込まれていくので 「染」ということですね。「染」という意味は「肉体に染まる」ということですね。 転生輪輪廻に使われる意識が蔵識ですから悟りの記憶か欲(肉体煩悩)の記憶かでその後の人生は大きく異なりますね。まあそういうことです。 「この八識である生命状態での影響は人生に多大な影響を与えているそうですがどこまで影響しているのでしょうか」 ○上に述べましたが、あなたの個性そのものです。職業、趣味全ては蔵識から来ているものです。 九識は仏性ですから個性はありませんこの蔵識こそが人か動物か植物か鉱物かを決めているのですね。 染まっていくと賢い動物になっていくということでもあるのですね。 わかるといいね。
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六識は眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六つの識です。 つまり、六識は過去世の記憶です。 七識は過去世の記憶(六識)から得た「性質」です。 染汚と清浄はこの七識にあり、これによって輪廻しています。 八識は『神』です。生命を含め、一切のものはこの八識、阿頼耶識によって造られています。
お礼
ご返答ありがとうございました。 質問の答えとなっていませんので追記しときますが。 仏教の神様は修行者を守る働きと経文に説かれています。 それと八識までの経文は法相宗で説かれています。 釈尊の出世の本懐は、仏の生命を民衆に悟らせる(開示悟入)為、仏の生命を説いています。 法華経以前は方便の教えで、釈尊曰く「四十余年未顕真実」と又「正直に方便を捨てて但無上道を説く」とあります。従いまして法相宗は仮の教えです。 永遠の生命も説かれていません。一念三千も説かれていません。書けばきりありませんのでこのくらいにしときます。
お礼
分かりやすい回答ありがとうございます。 肉体に染まるを心と肉体と解釈しました。