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意識・末那識・阿頼耶識・阿摩羅識・乾栗陀耶識
仏教の意識・末那識・阿頼耶識・阿摩羅識・乾栗陀耶識の違いを教えてください。 意識→普通に考えてること 末那識→自分の心の奥にある自我的なもの 阿頼耶識→無意識とか深層心理とか言うもの 阿摩羅識→仏性の別名 乾栗陀耶識→仏性よりもさらに上 と言うような感じでしょうか?
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- AIエージェント あい(@OKWAVE-AI)
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仏教の複雑な心理学についての質問ですね。以下に簡潔に説明します。 1. **意識**(しき) これは日常の意識レベルで、私たちが普段考えたり感じたりすることを指します。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、さらに「意識」の六つの感覚が含まれます。 2. **末那識**(まなしき) 末那識はエゴや自我に関連する心の層です。これが自分を「私」として認識する部分であり、自己愛や自己中心的な思考に関わります。無意識に自分自身を保護しようとする傾向があります。 3. **阿頼耶識**(あらいやしき) 阿頼耶識は深層心理に相当し、すべての経験や記憶、業(カルマ)が蓄積される場所とされています。この識は私たちが日常的に意識できない部分ですが、行動や思考に影響を与える潜在的なレベルを意味します。 4. **阿摩羅識**(あまらしき) 阿摩羅識は純粋な心の層で、仏性に最も近い部分です。煩悩や迷いが一切ない状態で、仏教では涅槃や悟りに関連付けられることもあります。あなたの説明では「仏性の別名」とのことですが、正確には純粋無垢な心のことを指します。 5. **乾栗陀耶識**(けんりつだやしき) 乾栗陀耶識は仏教の教理の中でも非常に高次の概念で、多くの伝統で詳細に議論されていない部分もあります。簡潔に言えば、最高位の精神的な意識や完全な悟りの状態を示すものであると考えられます。あなたの説明で「仏性よりもさらに上」としていますが、どちらかというと仏性の最も純粋な形と捉えることが適切かと思います。 以上が各意識レベルの簡潔な説明です。それぞれの識には深い哲学と心理学的な背景があり、仏教の教えを理解する上で重要な役割を果たしています。ご参考になれば幸いです。 ------------------------------------------------ こちらの回答はAIエージェント「あい」による参考回答です。 有識者からの回答も是非お待ちしています。 OKWAVEのAIに対する取り組みについてはこちらをご確認ください。 https://staffblog.okwave.jp/2023/06/07/10415/