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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:宗教的な,余りに宗教的な,ハイブリッド)

宗教的なハイブリッドとは?

このQ&Aのポイント
  • 宗教の二元論について考えると、区別されたものどうしが裏側で深くかかわっていることに気づくことがあります。
  • 今回の質問では、宗教的なものやことが区別されつつも互いに親密であると考えられるハイブリッドな存在について尋ねています。
  • 宗教の立場から見ると、ハイブリッドであると思われる宗教上のものやことが存在するかどうかを探る質問です。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kadowaki
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回答No.4

GA_CK_UNさん、こんにちは。 >宗教的立場から,これとこれは区別されてはいるが, >相互の親密さを考えると,ハイブリッドであると思われる >宗教上の《もの》《こと》は,あるのでしょうか? すぐに想起されたのは、「煩悩即菩提」、「生死即涅槃」、あるいは「色即是空 空即是色」といった命題でして、いずれも表層的、形式論理次元では「区別されたものどうし」であるにもかかわらず、同時に「区別の裏で,より深くかかわっている」点で、一種逆説的な真理を直截に表現しているように思われてなりません。

noname#150036
質問者

お礼

ありがとうございます. よく分析してくださいました. ハイブリッドの呼称には,もう一つの名があるそうで, それが《逆説のパラドックス》というものです. kadowaki様さすがですね.よく捉えておられます. あなた様もネットに埋もれる人ではなさそうです.

その他の回答 (3)

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

宗教的立場から,これとこれは区別されてはいるが,相互の親密さを考えると,ハイブリッドであると思われる宗教上の《もの》《こと》は,あるのでしょうか? 〇ハイブリッドということであれば「キリスト教」と「浄土真宗」が対等な土俵でしょうね。 見かけは違いますが阿弥陀仏をイエスに置き換えれば精神は全く同じですね、 「信じるか」「信じないか」も同じですね。「ユダヤ教」と「イスラム教」の関係も似てますね。 2元論の究極は数学者の2値「0か1」ですが、1を0で割ると無限大になるので本来は月とすっぽんぐらいの差があるのですね。それを対等に扱っているわけです。これと同じ扱いが「天国と地獄」ですね。天国が1で地獄が0ですから地獄は無いに等しいんですが無いところを有ると対等に考え、住みたがるわけです。 仏教は高等宗教ですからハイブリッドもたくさんありますね。 諸行無常、諸法無我 涅槃寂静 こんな言葉は皆同根の意味があるのですね。同じ解があるということです。 そんなところしか思いつかないですね。

noname#150036
質問者

お礼

ありがとうございます. そうですね.ことに,ヒンドゥではあらゆる神が一元に帰され てしまうほどです.繋がりということは,人間が決める区分を 遥かに超えているんですね. インドで思い出しましたが,0と1ではたしかに月とすっぽん です.それを同列に扱うのですから,数学は楽天的にも思える わけです.またそういうパラダイムを据えたからこそ数学が成り 立っているわけでもありましょうか. ちなみにボクの会社は国を整備する機能を任されています. ボクはそこで哲学的な部門を担当しているわけですが, いわゆる神の手仕事をするにあたって,世間の志向性を知らな ければいけないということで,こうして投稿して参りました. mmky様におかれましては,すでに現役を十分に果たされた事と 存じますが,ボクはこれからです.こうしてネットに頼ってい るうちは,まだまだ無学者としては,ボクは甘いのかも知れま せんね.自分の足で歩こうと思います. 来週から実務部門への移動が決まっておりますので,哲学から ひとまず卒業となります.いままでお付き合い頂きまして, ありがとうございました.

回答No.2

宗教的立場と言う意味は『魂の救済を意味する事』ですので、是は心の矛盾を解消すると言う意味になりますので、『有限と永遠』或は『生と死』と言う意味も含まれると感じます。 この意味は、人間の脳内に『この二つが同時に存在する。』という意味です。この事が実感として分ろうとする事が『心の矛盾』です、つまり人間の苦しみです。 この事が実感として体験出来る事が『宗教の目的です』体験出来た時、『魂の救済が完了しています。』 仏教や禅においての『生死の問題が解決した事』を意味します。 キリスト教においての、『神と和解して、神の僕となる。』という意味です。 分り難いものですから、少し説明します。 宗教の問題や、悩み苦しみとは『二つの脳の機能的な、主導権争いです。』 人間の自我意識は左脳に存在する意識です。この機能とは分別する機能です。『物事を計算ずくで割り切って、無理にでも言葉にして味わったり、感じようとする、計らいや、或は期待する心』です。 処が人間の脳にはもう一つの機能が備わっています。その機能とは『命そのものの働き』です。言葉にするなら『神や仏』です。この機能は、右脳に存在する機能です。 この機能は人間の全てにおいて『人間を人間たらしめていたり、人間の生命維持装置として働いている働きそのものです。』 この者の存在を疑う時から、人間には苦しみが始まります。この事を説明するために『この者』をもう少し説明したいと思います。 この者は、全ての生きとし生きる者に備わっている機能です。当然植物にも備わっている働きです。 植物における働きとは。その植物固有の働きです。櫻がその櫻として働く働きです。櫻にも様々な種類がありますが、その種固有の働きです。咲く時期や花の色や匂いや形を再現出来る働きです。 動物や昆虫にも備わっています。其々がその固有の種として働き出す働きです。『醜いアヒルの子』という場合の、アヒルの働きや、白鳥として成長する働きの事です。 当然人間には人間固有の働きがあります。命の芽生える時から働き始める働きそのものです。細胞分裂する事を知っている働きです。生まれた瞬間から働き出す働きそのものです。 人間としての働きとは、不安や安心する事を知っている働きです、更に云うならば、恐怖する事さえ知っている働きです。ですが『全ての命あるものは、学ぶ事無く備わっている働きそのものです。』 全ての命あるものは、例えば蜘蛛であっても『学校で習わなくとも』その蜘蛛固有の巣を作ることが出来る働きです。 人間の場合には『自覚出来ようとも、出来ないにしても』働いている働きがあります。この働きは『無意識界に封印された形で存在しています。』 この働きを疑いも無く受け入れている場合があります。そういう場合を『幼子』と言ったり『健常者』といっています。 この働きを詳しく説明している動画が在りますので、乗せてみます。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM この右脳の人格を『神や仏』と形容しています。 この働きは、人間の身体の生命維持装置として働いています。心臓も肺も胃や腸も、自律神経や副交感神経も、ホルモンでも、或は汗の調節もです。全てをその場その時の状態において最適に保つ働きそのものです。 そうして『心にも働きかけています。』腹が減った事、寒いから暖かい所を探す事を指示したり、喉が渇いた場合では、涼しいところを探したり、飲み物を求めるように指示を出しています。便所を探す指示も出したりしています。 そういう情報に『違和感や、疑問を抱かない場合を』健常者といっていますが、この情報に違和感を抱く場合があります。そういう人達を『神経質な性格や不安になり易い性格』といっています。』 こういう性格の人達は『自分自身の心に敏感』という表現方法が合っていると感じます。その意味は『心の矛盾に気が付いた』と云う事になります。 言い換えるなら『自我意識が強くて、自分自身の生命力が強くて』その二つの意識が戦い始めるという意味です。その戦いに決着が付くまで『生き難い想いが続くと言う意味です。』 この、生き難い想いを『一切皆苦』と感じているという事になります。 この想いからの開放が『宗教の目的』と云う事になります。 人間の苦しみとは、右脳VS左脳の仲違いと云う事になります。 こういう『心に矛盾』を抱えた人達が、深刻な悩みを抱えた人達と言う言い方が出来ますが、同時に『宗教家の卵』という言い方も出来ます。この心の矛盾の解消が『悟りを開く』契機になるからです。 悟りを開くという意味が『心の矛盾を解消する』という意味が在るからです。 人間は絶えず脳梁の中で『意識の根底で』二つの意識は情報交換をしています。この情報交換の、真っ只中で、二つの意識が出会うチャンスが在るからです。 この出会いが完了した場合を禅では『生死の問題が解決した』と表現しています。 この意味は『有限の自我意識が、永遠の命である右脳の意識に抱かれることによって』有限の身である、この肉体は、それほど重要なものではない事を実感出来るからです。』 それ以後では『二つの心』の間では、仲違いし無いようになります。自我意識が一歩引いた形で会話すると云う事になります。 その為に『心の中では、争う事が無くなって、何時も心が静かに、平安に保たれている。』という現象になります。此れが涅槃という境涯です。 脳での説明では、右脳と左脳の間の行き違いが消え果て、一本のホットラインが開通する事を意味します。二つの心が常に同調出来るようになる、というほどの意味ですが、『健常者以上に健常者になる。』という意味です。 一切皆苦から解放されて『只の健常者になる』という意味です。是は『意識地獄から開放される。』というほどの意味です。

noname#150036
質問者

お礼

ありがとうございます. 動画を拝見させて頂きました. 右脳と左脳は,まぎれもなくハイブリッドですね. 生命力と宗教観のようなものでありましょうか. 《同調》《和解》ということでもあるようです.

noname#150106
noname#150106
回答No.1

人魚とか(笑)。

noname#150036
質問者

お礼

ありがとうございます. いきなり深いところを突かれてしまいました. この半人半獣の命題は,宗教論争に発展しそうな 難しい命題であり,今回のかろやかな趣旨には そぐわないかも知れませんので,またの機会に したいと思います. しかし驚きです.魚と人との相関関係に気づくとは. あなたは天才なんじゃないでしょうか.

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