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対訳本
今、独学で翻訳の勉強として、対訳本を読んでいるのですが、あまり数がなく困っています。 以前こちらでも言われて、あと、HPなどにも書いてあったのですが、翻訳と言うのは答えがあるようでないものなのだし、対訳があると、頼ってしまうので、対訳のついていない英文の本をどんどん読むほうが良いと。 英文のみの本だとたくさんあるので、いいのですが 英文を読んでいって、自分では読めたと思っていても本当は間違って解釈していた場合、意味がないんじゃないかと不安なのですが、どうなのでしょうか?
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「英語」の勉強じゃなくて「翻訳」と言う事であれば,ただ英文を読むだけでもダメではないでしょうか。その意味では,対訳本は良いかもしれません。 が,要は英文とその訳が共にあれば良い訳でしょうから,必ずしも対訳本である必要もない様に思います。日本語訳が出版されている本であれば,原書と訳書を読み比べれば良い訳ですから。 この場合,ある程度訳を付けるまで訳本を開かなければ良い訳ですから,対訳に頼ってしまうという事は減ると思います。ただ,2冊づつ購入しないといけませんので,御金が掛かるのが欠点ですが・・・。 ちなみに,私の場合理系の専門書でしたが,そうやって院試の英語の勉強をしました。
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英文を読むときの対訳は 例えてみるなら、自転車の補助輪や水泳のビート板みたいなものと考えてください。補助輪をつけた自転車で悪路を走ったり、ビート板で200メートルのプールで泳ぐよりも、自転車なら 平坦な道を補助輪をつけずに走ったり、水泳なら水深の浅いプールで10メートルくらい泳ぐことを覚えた方がいいですね。英語もこれと同じです。読んでいるテキストのレベルを低くします。 例えば単語一つとっても niceという一見簡単な単語ほど難しいものです。pleasant,attractive,sympathic,agreeableといった 難しそうな単語ほど簡単だったりします。これは niceに様々な意味があるわけではなく、観念はひとつなのです。逆に日本語の「ダメ」という単語にしても 和英辞典で引くと沢山の訳語がありますが、いちいち、禁止、拒否、無能、破損、腐敗と頭の中で きちんと分類しながら話しているわけでは ないですよね。 逆から考えれば 外人にとっては 禁止、拒否、無能、破損、腐敗といった単語よりも「ダメ」という単語の方が難しいものです。 それと、これはフランスを勉強したときなのですが、 フランス語の対訳を読んでいたときですが、対訳の日本語が難しすぎて苦労したこともあります。これは 和訳と理解は違うということを深く認識させられました。 momonngaさんて イタリア語も勉強していたと思いましたが。もしそうなら 英米人向けのイタリア語の学習教材も いいかもしれません。イタリア語の基礎を終えましたら 今度はそれで復習すれば 初級者レベルのイタリア語なら英語でフォロー出来ると思います。 私は喩えが好きなんですが、今まで頭の中で日本語に 甘えていた英語が 今度はイタリア語を引っ張ることで 自信がつくと思います。ちょっと難易度が高いかもしれませんが、、、。 それからですね、対訳ではないのですが、「不思議の国のアリス」がお勧めです。邦訳も何人かやっているので 原文と複数の翻訳を比べることで かなり為になります。 脈絡のないことを長々と書きましたが、少しでも参考になるヒントを発見していただければ幸いです。
お礼
cherry77さん、ありがとうございます。 イタリア語はやっていません。 今は、外国人の方が書いたコラムを読んでいます。 不思議の国のアリスはまだ読んだことがないので、 読んでみます。
あなたの現在の英語力と、どの程度の翻訳力を目標に掲げているかで、アドヴァイスも変わってくるかもしれませんが、将来的に英⇒和の文芸翻訳を目指していると仮定しますと、「対訳本」の類で翻訳力は到底つきません。 英⇒和の翻訳で求められる言語能力は、英語対日本語で表すと1:9くらいになり、圧倒的に日本語能力が問われるのです。しかし英語の1というのも、最低で英検1級、トウイックでも900点は必要です。日本語能力では、作家になるための訓練とでもいえばいいでしょうか、場面に応じて的確な文体と語彙がすらすらと出てくるために訓練を積む必要があります。翻訳の勉強というのは、これがメインだと思ってください。 「対訳本」の日本語は必ずしも「良い日本語」になっているとは限りません。したがって、これを翻訳の勉強に使ってはいけないでしょう。 あなたの目標とするレベルがもう少し下にあると仮定しても、同様のことが言えます。 したがって、基本的には英語の勉強は英語の勉強で、翻訳志望であっても音声面も含めてバランスよく力をつけていくようにしましょう。日本語の勉強は、プロの文筆家の文章に徹底的に触れ、気に入った箇所は暗記してしまうくらいにのめりこむことです。 さらに、英語の小説の翻訳は文庫本でもたくさん出ていますので、決めた行数を自分で翻訳してみて、プロの翻訳家が訳した文章と比べるという勉強法も必要です。ただし、ご自分の日本語表現能力がある程度しっかりとついていない場合は、すぐれたプロの翻訳のすばらしささえ理解できないため、「ぼくの訳とどうちがうんだろう」などと思いがちですから、日本人作家の文章にどんどん触れて自分の文章理解力、鑑賞能力を培っていかなければいけません。 (自分の訳文をプロのわざと比べるといっても、翻訳で大切なことは、いったん原文の意味を把握してから日本語に置き換えて終わり、というわけではありません。そこからが本番です。呻吟しながらよりよい日本語にしていくというプロセスが「翻訳」なのです。というわけで、書いてあることが分からない場合の苦労より、分かった後の苦労こそが大事だと思ってください。) 私自身は、若いころ英語の力をつけるために徹底的に多読に励んでいたことがありました。しかし、ただ冊数を増やしていくのが目標みたいになって、だんだんといい加減な読み方をするようになり、大意だけ分かればOKみたいな方向に向かっていましたので、精読の習慣をつけようとして翻訳の勉強を取り入れたことがあります。翻訳家志望でなくても、英文の読み取りがいい加減になっているときは、英語の勉強の一環として翻訳の勉強を取り入れるのはいいことだと思います。
お礼
ichi-kumiさん、ありがとうございます。 目標は産業翻訳のほうです。 いずれ、通信教育の翻訳講座を受けようと思っているのですが、すぐには無理なので、今、独学で対訳本をといています。
お礼
Kemi33さん、ありがとうございます。 やっぱり、対訳はあったほうがいいんですね。