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江戸時代のお家騒動や事変について

有名なお家騒動「伊達騒動・加賀騒動・黒田騒動」や事変「紫衣事件・慶安の変・島原の乱」が有りますが、 ◇貴方はどの出来事に一番興味がありますか? ◇余り知られていない小藩・小規模の騒動や事変について、ご存知の事柄をお教え願えますか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • fujic-1990
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回答No.2

 質問者さんの期待される「お家騒動」とはちょっと毛色が異なるかもしれませんが、お家がスッタモンダで大変だった大事件が、  江戸時代後期、上杉鷹山による、米沢藩の財政改革です。  後の明治時代に、日本国を救うことになったのですから、「日本史」に対するその影響力たるや、他のお家騒動の比ではありません。  米沢藩先代殿様が、贅沢をして米沢15万石の、上杉家の財政を傾けてしまいました。  一時は藩政返上も考えたほどだったようですが、高鍋藩主秋月種美の次男が「治憲」として婿養子になってやってきて、藩政改革を実行しました。  しかし先祖代々の重臣たちは「前例がない」「藩の体面にかかわる」などなどと現代の公務員のようなことを言って、こぞってこの小僧を非難して、公然たる反発行動、サボタージュやらなんやら大騒ぎになり、鷹山も一時隠居同然までになりました(実際に隠居したんだったかな?)。  しかし、その後もすさまじい努力で改革を推進した結果、藩政改革を成功させ、藩財政を立て直すことに成功しました。  彼が隠居するときに跡継ぎに示した「伝国の詞」 は有名で、 一、 国家は子孫へ伝えるべきもので、(殿様といえども)自由にしてよいものではない。 一、 人民は国家のものであって、(殿様といえども)自由にしてよいものではない。 一、 国家・人民のための君主であって、君主のための国家・人民ではない。  セオドアルーズベルトが、日露戦争終結を斡旋するとき、尊敬する日本人として「上杉鷹山」の名をあげ、「だから日本を助けるのだ」と言ったとか聞いています。  ちなみに、ポーツマス条約のころ、日本はもう財政破綻一歩手前で、戦争が伸びれば一気に形勢は逆転、日本は滅亡の淵に立たされていたようです。  日本に上杉鷹山がいなければ、日本は滅んでいたかも知れません。

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 確かケネディも尊敬する日本人として紹介したとされているが[都市伝説だとする説もある]、小泉純一郎元総理もしばしば引用され、日米の政治家・改革に立ち向かった人には、モデル&先駆者としての評価が高いのでしょう。

その他の回答 (3)

noname#217196
noname#217196
回答No.4

挙げられた中では伊達騒動で、特に一関藩田村家の立回り。浅野内匠頭の殿中刃傷後、預け入れ先となったのは田村右京太夫が奏者番になっていたせいもあります。伊達騒動で幕府から目をつけられていたはずなのにこの出世ぶりは興味を引きます。 ほかの教科書に載らないようないざこざは、観光ガイド本あたりでも載ってたりしますし、地元の郷土史本を読むのも面白いですよ。 個人的には貞享暦改暦直前に、元日日蝕に生まれたことを理由に僧侶にされた親王のこと、改暦権を取り戻したものの出来の悪さ(食予報の外れっぷり)に不評を買った陰陽寮(幕末明治維新時に再チャンスを得ますが太陽暦に移行しお払い箱)、元禄大地震で江戸城一番の被害が桂昌院の館が一位を朝廷から贈られた天罰と噂されたことなどあります。 いま一番の関心は伊達政宗が慶長の三陸大地震被害からの復興をどう進めたのかというところ。ご存知なければ相馬大作事件、対馬藩国書偽造事件、家重将軍就位反対工作の松平乗邑事件、熊本藩城主人違い殿中殺人事件なんかも興味をそそると思います。

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます 多くの興味を引く素材・事件事変をご紹介いただき、大変、参考に成りました。 そうですね、当該地区には郷土史があり市井の研究家が居られるのでしょうね・・・ そのような方々のネットワークや寄稿された雑誌等を史跡を訪ねた折々に探して見たいと思います。

  • Pinhole-09
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回答No.3

1.矢張り伊達騒動です。 真相は謎だらけ。    原田甲斐の刃傷の場の証言は あやしい。    推理するのがが面白いですね。 2.WIKIPEDIA の「お家騒動」に載っていないものから 1)慶長8年(1603) 米子藩(藩主中村一忠)の騒動 讒言で重臣横田村詮が謀殺され、飯山の横田一族が 抗議のたてこもりをして、討手と戦い全滅した。 藩主は脇坂氏にも援軍を頼むほどの激戦だったという。 2)寛永18年(1641)肥後 (藩主細川光尚)殉死の 問題から阿部一族がたてこもり、討手と戦い全滅した。 小説や映画にもなっている。 3)寛文12年(1672)宇都宮藩(藩主奥平昌能)で これも殉死の問題から重臣同士の争いになり、仇打ち 騒動に発展した。 奥平家騒動ともいうが、「浄瑠璃坂の仇討」で通っている WIKIPEDIA もこの名の項目。 2~30人で徒党を組み、仇をかくまっている浄瑠璃坂の 屋敷に討ち入り、相手方の2~30人と戦った。 必死の討ち入りで仇打ちに成功、のちの赤穂浪士の 討ち入りはこれを手本にしたという。 小説や映画になっている。 4)小笠原騒動、御家騒動ではなく事件。 小倉藩(藩主小笠原忠苗)財政窮乏で犬甘知寛を登用 倹約と重税で立て直しに成功したが、あまりにも重税で 享和8年農民一揆激しく、要求を呑んで、藩主は隠居、 犬甘は死んだ。 江戸時代一揆は千件近いがこういう結末は珍しい。 5)一万石騒動、これも農民一揆。 館山藩(屋代忠位))奸智に長けた川井籐左衛門が 藩主に取り入り、藩政をほしいままにした。 重税に苦しむ農民の怒り頂点に達し一揆発生。 正徳元年幕府に直訴。  幕府の決裁により川井は打ち首、 忠位は一万石余の領地没収となった。 いつの世も庶民の重税に対するパワーは凄い。 6)宇都宮釣天井事件 WIKIPEDIA にこの項目がある。 謎だらけの事件。 秀忠が日光参詣の道筋を突然変更し、宿泊を予定して いた本多正純の宇都宮城によらなかった。 後年本多正純が突然)改易になった。 宇都宮城には釣天井の仕掛けはなかった。 以上三点が事実だが、改易の理由がわからない。 正純は家光の弟の忠長派であったので、それもあった のだろうか。

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます 伊達騒動はNHK大河ドラマの「樅の木は残った」で観ましたが、当時は複雑な人間関係や心理・葛藤が良く分からずチャンバラに慣れていた私には退屈な時代劇だった記憶がありますが、その後再放送で観た時には、重厚感のある演技と忠孝信の複雑な心理描写や人間関係にドラマの面白さや魅力を発見できた思いがしました。 >WIKIPEDIA の「お家騒動」に載っていないものから ありがとうございます、お教え願った中から、詳細については関連資料&小説を今後勉強したいと思います。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.1

1,慶安事件です。 (1)紀州藩領主や、公家まで絡んでいたと  いいますから、かなり現実味があります。 (2)仲根正盛の活躍が、光ります。 2,http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 末期養子の禁、改易と牢人等の社会背景を調べて行くと、由井正雪・丸橋忠弥等のイメージが時代劇ドラマとは違って見えて来ますね・・・。

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