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古文について

大鏡の一部について質問です。 藤原隆家が父の道長が催した管弦の遊びに呼ばれ、その場に現れたとき、周りの人間が着物の紐を緩めているなか、隆家だけ改めて紐をキッチリ締めた。それをみた道長は「とく御紐とかせたまへ。ことやぶれ侍りぬべし。」と言った。そして隆家は紐をほどこうとする…。 というかんじの内容なんですが、道長の発言の「ことやぶれ侍りぬべし。」の現代訳の問題がわかりません。 1きっと評判も悪くなってしまいましよう。 2こうした宴でのしきたりに反しましょう。 3せっかくの興がさめてしまいましょう。 4そのうちに気分もほぐれてきましょう。 で、解答が3なんですが、2でも間違いではないような気がします。 解説は紐を解くことが宴のしきたりとは考えられないから、とあるのですが、「こうした宴でのしきたりに反しましょう」の「~しょう」が強意?ではなく勧誘(さあ、反しましょう!といったかんじ)にも読み取れてしまうからです。 これは他の選択肢から意味を推測しなければいけない、ということでしょうか? すごくわかりにくい本文と質問ですいません。もし補足が必要ならその旨おねがいします。

みんなの回答

  • fumkum
  • ベストアンサー率66% (504/763)
回答No.2

長くなりますが、この部分の原文は次のようになっています。 「 この中納言は、かやうにえさりがたきことの折々ばかり歩(あり)きたまひて、いといにしへのやうに、まじろひたまふことはなかりけるに、入道殿の土御門殿(つちみかどどの)にて御遊びあるに、「かやうのことに、権(ごん)中納言のなきこそ、なほさうざうしけれ」とのたまはせて、わざと御消息(せうそく)聞えさせたまふほど、杯(さかづき)あまたたびになりて、人々みだれたまひて、紐(ひも)おしやりてさぶらはるるに、この中納言まゐりたまへれば、うるはしくなりて、居直(ゐなほ)りなどせられければ、殿、「とく御紐解(と)かせたまへ。ことやぶれはべりぬべし」と仰(おほ)せられければ、かしこまりて逗留(とうりう)したまふを、公信(きんのぶ)の卿、うしろより、「解きたてまつらむ」とて寄りたまふに、中納言御けしきあしくなりて、「隆家(たかいへ)は不運なる事こそあれ、そこたちにかやうにせらるべき身にもあらず」と、荒らかにのたまふに、人々御けしき変りたまへるなかにも、今の民部卿殿(みんぶきやうどの)は、うはぐみて、人々の御顔をとかく見たまひつつ、こと出できなむず、いみじきわざかなと思(おぼ)したり。入道殿、うち笑はせたまひて、「今日は、かやうのたはぶれごと侍らでありなむ。道長(みちなが)解きたてまつらむ」とて寄らせたまひて、はらはらと解きたてまつらせたまふに、「これらこそあるべきことよ」とて、御けしきなほりたまひて、さしおかれつる杯(さかづき)とりたまひてあまたたび召し、常(つね)よりも乱れあそばせたまひけるさまなど、あらまほしくおはしけり。殿(との)もいみじうぞもてはやしきこえさせたまひける。」 問題の部分の前文と後文を見てみると 「入道殿の土御門殿(つちみかどどの)にて御遊びあるに」、「杯(さかづき)あまたたびになりて、人々みだれたまひて、紐(ひも)おしやりてさぶらはるるに、」とあって、遊び=詩歌管弦の遊び・遊宴のことで、そこに酒が入り(杯あまたたびになり)、座が乱れ、服の紐を解いている様子の所に、道長に呼ばれた隆家登場します。その隆家に道長が「とく御紐解(と)かせたまへ。ことやぶれはべりぬべし」と勧める場面です。その後の展開は、無理に隆家の紐を解こうとした公信に対して、隆家は運がなくて不遇のみであるが、お前たちにそのようにされる身分ではないと言い放ちます。それを、道長が私が紐を解きましょうと言って解くことをするという話です。ここで作者は、隆家のプライドの高さを表現しています。 隆家は道長の兄の関白道隆の息子で、隆家の兄の伊周は摂関の座を道長と争いますし、姉は有名な中宮定子です。兄の伊周は道長との政争に敗れ、その後の事件により太宰権帥として左遷されますし、隆家も連座して出雲権守に左遷されます。左遷が許され、権中納言になりますが、本来であれば自分は摂関家の嫡流であるとの自負は持っています。そのような自負心・矜持が現れた話としてこの部分は書かれています。ですから、唯の公卿などは相手にせず、最高権力者の道長の話は聞いたわけです。その道長も、隆家には一歩引いて対応していますが、プライドの高い隆家でも道長には従うことで、作者は道長の偉大さを強調したともいえます。 さて、ここで問題の選択肢ですが、隆家が着いた時には座は乱れているわけですから、紐を解く(当然無作法なことです)ことにより評判が悪くなることはありませんし、貴族の詩歌管弦の遊びはそれなりの規律が要求され、酒に乱れることはよいこととされません。酒の座が乱れることや、無作法なことがしきたりでもありません。ですから、1、2ともに不正解になります。 3と4ですが、道長の言葉の直前に、「うるはしくなりて、居直(ゐなほ)りなどせられければ、」とあります。座が乱れている中に登場した隆家が、「格式ばって、きちんと座り直しなどをさせられたりしたので、」とあります。「已然形+ば(けれ=過去の助動詞の已然形)」は確定条件で、理由・原因を表します。ですから、理由があって道長がやんわりと話したのです。座が乱れる中で、きちんと座っている人がいたらどうなりますか?そのように考えると答えは3になります。 この問題で一番重要なことは、直前の「うるはしくなりて、居直(ゐなほ)りなどせられければ、」の意味ではないでしょうか。それと、「已然形+ば」は理由・原因を表すこと。前文のおおよその訳だと思います。 長くなりましたが参考まで。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.1

 私は、正解の通り、3でよいと思います。  理由は、藤原隆家ほどの人間(貴族)が、「しきたり」を知らなかったとはとても思えないからです。  貴族というのは、勝手にしきたりを作って、それを知らない田舎者が礼を失するのを見て嘲笑するのが商売みたいな人たちです。 (^_^;\(^O^ )ペチッ!  隆家ほどの貴族(生まれながらの貴族)が、当時のしきたりを知らなかったと考えるのは、当時の貴族の生活に反しましょう。  「反しましょう」を勧誘とすると、掟破りの勧めです。  では、その掟は誰が作ったのか?  道長を筆頭にした貴族でしょう。  自分の作った掟ですから、破るのは自由でしょうが、だったらなんのために作ったのか?  自分で作ったルールを自分からやぶる、それを息子に勧める、と解するのは無理があります。  息子が掟破りに慣れてしまって、公の場でついうっかり破ってしまったらどうするのでしょう。藤原氏の失脚につながります。  選択肢の文意的にも、ほかのはみんな勧誘ではないのに、その選択肢だけ「勧誘」と見るのは難しいと思いますし。 > これは他の選択肢から意味を推測しなければいけない、ということでしょうか?  他の選択肢の意味を読み取り、共通点や違う点などに着目しさまざま推測しなければならないのは当然のことです。  選択肢を選ぶ問題では、「これだ!」と思うものがあっても飛びついてはいけません。  ひっかけを避けるために、読み比べて同じ点、違う点を読み取り、これじゃない、という選択肢に×をつける作業をもう一度やるべきです。

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