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エマソン「自己信頼」

エマソンの「自己信頼」について端的に教えて頂けませんか? また、キリスト教などにおける「神」に対して、どのような態度を取っているかも教えて下さい。 お願いします!!!!

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回答No.2

エマソンの思想を現代においてどう「生かす」かは大きな課題だと思います。 エマソンの文章はいわゆる哲学的なものではなく、字づらだけなぞるなら容易なことです。 「自己信頼」は岩波文庫『エマソン論文集(上)』に収録されており、とてもよい訳文です。 たとえば、「自己信頼」は「世間がもっとも嫌うもの」(198頁)とあります。 「人間でありたい者は、順応とは縁を切らねばならぬ」(同)とあり、 また「わたしのうちに住む精神(genius)がわたしを呼べば、わたしは父からも母からも妻からも兄弟からも遠ざかる」(200頁)とあります。 そうして「本当の人間(true man)はそこ以外のどの場所にも、そのとき以外のどのときにも属さず」(209頁)とあり、 「平凡なものを抱擁し、見慣れたもの、卑近なものの足もとにひざまずく」(「アメリカの学者」144頁)。 「平凡なもの」とはいわゆる「日常的なもの」ですが、これをどう理解するかでエマソンをどう見るかもがらっと変わってくるのではないかと思います。 「日常的なもの」ほど、また「見えていないものである」ということもできるのではないでしょうか。 それを見るひとは「父も母も兄弟」も捨てるといってます(いわば「出家」です)。 「自己信頼」とは、たとえば世間の物差しで自分を測らないこと、長いものまかれないことといえば、 およそのことは言えています。 「順応」を嫌うのが「自己信頼」であり、「社会がもっとも嫌う」ものが「自己信頼」です。 ですが、それは、たとえば「車を買ってくれたら、勉強してやる」という馬鹿息子や「都民のために~賞をもらってやる」という皮肉屋とも違います。 「自己信頼」の「自己」とはどういうものかが大事なところです。 質問者様は、「キリスト教」との関係も問われていました。 「神」を信じる、と一言でいいますが、 それにはそれなりの「構え」があって初めて成り立つことだと思われます。 思想史家アイザイア・バーリンの言葉にたしか「信仰のある人こそが真に生きる意味を見いだすことができる」(記憶があいまいで以下はあやしい)「生かされているということ、目的のなかで生きることができるということができるのだから」。 本当に生きることが、どんなに難しいかは、いまこそ実感できるように思うのですが、わたしたちには「宗教」(既成の)におむもくことはできません。 それよりは、むしる「信仰」にたどりつくために、どんな心の準備が必要なのかを考えることが先決的に重要だということではないでしょうか。 エマソンは牧師から出発した人です。 ただ教会へ行けばいい、キリスト教に入信すればいい、という発想に絶望し、 「神」を迎える前に、「平凡なこと、卑近なことにひざまずく」ことがまっさきに必要だと考えたのだというのが私の解釈です。 以上はたぶん一般的な考えではないでしょうが、参考になれば。

回答No.1

エマソンについて、ものすごく詳しいというわけではないので  回答を控えていましたが  他に答える方もいないようなので、  知っている範囲で答えさせていただきます。  エマソンは、大きく言えば「光一元」「善がすべてを覆い尽くす」  という自覚に至ったアメリカの思想家です。  ここで疑問がわくはずです。  私たちの周囲には「悪」がはびこっています。  その「悪」が「ない」となぜ断言できるのか?  もちろん「悪」(あるいは、少なくとも悪に見えるもの)は  とりあえず存在します。    しかしその「悪」は短期的・局所的なものに  過ぎず長期的・大局的に言えば必ず  「善」に包摂されていくということを説いたのです  歴史を見てもそうです。「善」を貫く人は  その時点では、理解されなかったり  迫害されたりしても、必ずや理解者が  現れ、しだいに世の中に受け入れられ  世の中の主流になっていきます。    そうでなくて、悪が栄える一方ならば  私たちの存在はとっくに滅びてしまっているはずです。    それこそ「神の恩寵」の証明です。  そして、その「善なる自覚」「正しい判断力」  は、どこを求めれば得られるか?  それは「自己」のうちにあります。  なぜか?  われわれ個別の存在は、一見分離しているように  見えて、実は「大いなる一者=創造者=創造主  =神」の一部だからです。    ここで、「神」の概念と「自己信頼」がつながります。  さて、最後の「キリスト教の神」に対してどういう  スタンスを取ったか?    ここからは、少し私の想像が入ります。  エマソンは、さっきも言ったように「神」の本質は  理解した人なので、イエス本人には  帰依したでしょうが、当時(おそらく)腐敗する  前兆のあった既成のキリスト教団(たとえばルーテル教団?)  などには、距離をおいたのではないかと思います。    学生さんで課題かなんかで  取り組まれるのでしょうか?  がんばってください。    

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