- ベストアンサー
キリスト教の信者さんに聞きたい2
キリスト教に信仰を持っている方々は 1「森羅万象の創造主は神」 2「神は全知全能」 3「神に対して失礼な態度でいてはならない」 4「全てを愛さなければならない」 という概念を大事にしているのでしょうか。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 クリスチャン(プロテスタント)です。 1.はい。この世の全てを作ったのは神様だと信じています。 昼・夜も、時間も、虹も、どっかの遠~いナントカ星も、 そして人間も。今のこの世界が偶然あるなんて思えません。 歴史という英語HistoryはHis Story(His=イエス様の)から来ているそうですよ** 2・はい。全知全能、唯一の完璧なお方です。 父なる神、子なるキリスト、聖霊の三位一体の神様が完璧でなかったら、 イエス様の十字架の上での死が私たちの救いには成り得ません。 3.う~ん。もちろん敬意を表すことは大切だけど、何においても愛の神様です。 どれだけ神様の愛を受け取って、また、神様を愛するかが大切だと思います。 自分の子供が自分に迷惑をかけまいと、必死で堪えている姿や、 失礼があったらいけないと、カチコチに緊張して接してくるより、 たとえ生意気でも、たとえ失礼でも、自分の胸に飛び込んできてくれる方が 嬉しいですよね。神様もそれと同じ気持ちでいてくださると思います。 4・目に見える全ての物に感謝して、愛せるようになりたいと思っています。 でも実際にはできていません。人間の力では無理です。 嫌いな虫もいっぱいあるし、苦手な人もいます。 全てを愛せるのは神様だけ。そういう自分に変えてくれるのは神様 だけ。 いつか神様のことをもっともっと知って、この世では無理かも知れないけれど、 いつの日かそんな“愛せる”霊を神様から受け取れるようにないたいです** 自分の罪の重さに気が付くことが、クリスチャンにとっての第一歩。 その自分の罪の為にどれだけの犠牲が払われたのかということを分かること。 その救いを信じ、感謝すること。イエス様は今も生きておられ、 必ずもう一度再臨することを信じ、待つこと。 これが全てのクリスチャンが通る道のりであり、忘れてはならないことだと思います。 あくまでも私個人の意見ですので、ご参考までに・・・。
その他の回答 (2)
こんにちは。 信仰歴半年で20代後半の男です。 これらに関して大事にというより、信じようとしてます。 4は大事ではないでしょうか。 しかし、これに関しては、常にこの世にいる限り葛藤 でしょう。みな平等に人を愛す、または、他人を愛すって ことは難しいので・・・。 ただ、人のいいとこだけを見よう、愛そうと努力はしてますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 やはり4は大事ですよね。 仏教ではとくに「愛」の中でも執着の伴わない「慈悲喜捨」を育てるように、その方法を説いています。 この「慈悲喜捨」は全ての生命の幸福に役立つもので宗教宗派などなど関係なく育てるべきものと思います。 興味があれば一度「慈悲の瞑想」を試してみてくださいね。 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~
- mariateresia
- ベストアンサー率32% (129/392)
面白い質問なので、ついお答えしたくなりました。 私は一応カトリック信者。 でも若気の至りで洗礼を受け、一応今はちゃんと教会に行って 教会の役もこなしております。 信者といっても千差万別。 信仰とはとても個人的なものです。 その上でお答えします。 1 神は宇宙を越える意思と捉えております。 2 当然完全というか、人間レベルでは推し量れない 宇宙の意思で、私達を圧倒するものです。 3 人間は不完全なもの。 私は神に対していつも失礼な態度をしてしまいます。 そのことを意識して毎日生活しております。 つまり毎日ゴメンナサイ。 4 すべてを愛することは無理です。 ですから、わが身の罪を意識して敵のことも理解する努力 をする、ということでしょうか。 最近私の身に覚えのない誹謗中傷がありました。 一旦は激怒しましたが、その相手の精神状態を考えて 今はその方がかわいそうと思っております。 そういう思いになれるのは、弱い私ですから やはり信仰が助けになっていると思っております。 以上。
お礼
mariateresiaさま。 回答ありがとうございました。 1△2○3○4○ といった理解でいいのかな… 「宇宙を越える意思」が創造主としているのかどうなのかちょっとわかりませんでした。 2・3・4は、自分は不完全だから、全知全能の神にたいして失礼のないように、全てを愛するように、少しでもそのようになるために日々反省し精進するとった理解でよろしいのですかね。 日々精進することは本当にすばらしいことですね。 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~
お礼
riehanaさま。 回答ありがとうございました。 <1・2>全ては完璧である神の完璧な作品。 <3・4>緊張したり強張ったりせずに、心軽く、かつ失礼な態度を取らないように、全てに感謝できるような人間を目指したい気持ちがある。 ということと憶測いたします。 <<自分の罪の重さに気が付くことが、クリスチャンにとっての第一歩。その自分の罪の為にどれだけの犠牲が払われたのかということを分かること。>> 今の自分の心が身体が言葉がどれだけの生命に迷惑をかけているのかわかりません。だからこそ心体口を自己のなせる範囲で自己を修習して他者に迷惑がかからないように、役に立つように、道徳的に論理的に人格向上を図るべき…後悔や怒りなどの暗い思考を滅し、明るい心・安穏な心で、全てを友のように思い、心配し、成功を喜び、一切の差別的思考をやめると言う「愛」をすべてにもてるように。 もしこのような視点であるならば、理性の道である「八正道」はクリスチャンの方々にとっても賞賛するに値するものではないかと憶測いたします。 すばらしいことです。 ~一切の生きとし生けるものが幸せでありますように~