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自己の居場所とは?アイデンティティの探求について
- 23歳学生がアイデンティティの居場所について悩んでいます。金銭や娯楽に価値を見出せず、学問にも興味が持てず、自己を見失ってしまっています。
- 精神科でアダルトチルドレンという曖昧な診断を受け、親の教育が自分の性格に影響していることに苦しんでいます。
- 自己を同定するために自己認識をしても、ますます自己から遠ざかっているような気がしています。アイデンティティの居場所についてアドバイスを求めています。
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経験則ですが時間がありますので回答します。 私も状況は同じような状況かもしれませんが、昔の自分と比較すれば今の私はアイデンティティは確立しているように思われますので、ご参考になれば。 あんまり偉そうな事を言えた人間ではないのですが、上から目線で回答しちゃいますね。 自己同一性 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%90%8C%E4%B8%80%E6%80%A7 上記からも一部引用しますと、自己同一性(アイデンティティ)が自己に喪失しているという発見と焦燥(「自分とは何か」「これからどう生きていくのか」「どんな職業についたらよいのか」「社会の中で自分なりに生きるにはどうしたらよいのか」が自分の中に無いのが分かり焦る事)とその確立なるものは、どの人間社会でも永遠普遍に見られるもので、kirin1985さんだけが抱えている問題ではありません。アイデンティティの喪失発見と希求自体は何ら問題はありません。 また、生きている上では皆誰しも誰かしらに迷惑をかけます。100%完璧超人な人間はおりません。 そうした皆が持っている罪悪感ですが、これは自分への贖罪意識のみに振り分けられると、自他共の人生にとってよくありません。 何事も中庸が肝心です。無反省もいけませんが、反省のしすぎもよくありません。 何故罪悪感が人間に必要かというと、それを反省し同じ事を繰り返さないように気をつけるためです。 しかし、私自身は社会に迷惑をかけたランキングで人を並べていったら、間違いなくトップ集団におりますので、こんな正論を書いていても、本当は人の事についてあれこれ言えません。 ただ、だからこそ「そのトップ集団にいる自分はどうすべきか」という対策も見えるので、もし迷惑をかけたと贖罪するなら一旦胸の内で整理すべきでしょう。解決策がハタと決まったならば、同じような悩みを持つ人はいるもので、アドバイスとして役に立ちます。 感情は意識に従うべきで、贖罪は反省から再起へと転ずるべきです。 また、「四十にして惑わず」(人間40代になれば迷ってはいけない)との言葉がありますが、これを裏返しにして言いますと、その手前の20代、30代はこうした「自分はどうするべきか」という点について迷っていて良い事になります。もっと突っ込んで言えば「人間は自分の人生に迷いやすいものだけれども、40以上は迷っちゃいけないよ」という事です(これは塩野七生さんの受け売りですが)。人間迷いがある事がデフォルト設定なので、特にここに悩む必要はありません。 ではその「自分とは何か」「これからどう生きていくのか」「どんな職業についたらよいのか」「社会の中で自分なりに生きるにはどうしたらよいのか」という点において、どのような解決をすれば良いのでしょうか。 私自身の経験則で言えば、様々な人と出会い、様々な映画、書籍、マンガを見て、読んで、楽しんで、少し難しい言い方になりますが世界に潮流している「人間としてこう生きるべきだ」という思想を発見していったのが「自分のやるべき事は何か」を発見した事が解決策の一つとなりました。 人間は友人を選ぶのと同様、その創作物である映画、書籍、マンガ、音楽などには相性がありますが、私が相性の良いものだと思ったものは下記のものです。相性は完全に合致はしないと思いますが、ご参考までに。 <書籍> 学問のすゝめ http://www.amazon.co.jp/dp/4061597590 一生に読む本はこれ一冊で良いと思ったくらいです。 斉藤孝さんの全訳も出ていますが、私は上記の伊藤正雄さん校柱版を推しています。 校柱版が読みにくければ全訳版を。 ただ、校柱版も頑張って読めば読めない事は無いのでこちらを紹介しています。 ファウスト http://www.amazon.co.jp/dp/408761008X 上記リンクは第一部ですが、私の注目しているのは第二部の終盤で、ファウストが人を使って社会に貢献する所ですね。 ファウスト自身も人生の意味に悩んでいます。 繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史(上)-マット・リドレー http://www.amazon.co.jp/dp/4152091649 発展し続ける人類社会は破滅へ向かうのか、更なる繁栄を迎えるのか。 フィナンシャルタイムズ&ゴールドマンサックス選ビジネスブックオブザイヤー2010候補作。 <映画> ロレンツォのオイル http://www.amazon.co.jp/dp/B0000QWX2C 爽やかなラスト。私はこれを観て色々と勇気付けられました。 デカローグ http://www.amazon.co.jp/dp/B0009OA5IE ポーランドのテレビドラマ「デカローグ」の第一話が大変良い。 人間は信仰と理解のどちらを優先するのか。どちらを優先すべきなのか。 誰もこんなん買わないと思うのに中古で\20000とか高すぎると思います。 地元の図書館などで蔵書として注文できる機会があれば行ってみて下さい。 鑑賞後はかなりヘコみますが、理解と信仰においてどちらが優先されるのかという部分について理解が深まります。 <マンガ> 固い本ばかり読んでいても気が沈んでバランスが取れなくなるので、 息抜きには元気の出るマンガを読むと良いと思います。 私は次のマンガが面白いと思っています。 ・ドラゴンボール ・ジョジョの奇妙な冒険 ・SLAM DUNK ・柔道部物語 ・ぼくんち ・うつくしいのはら ・鋼の錬金術師 ・はじめの一歩 ---- 自分自身を成長させる為には、できるだけ沢山の人に会って影響を受け、沢山の本を読んで良い思想を拾い、沢山の映画やマンガを見て感動する事により行動思想を自己強化させる事です。
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- rfrfr111
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名も知らぬ他人を慮ってくれる点は、あなたより自己が安定しているのではないでしょうか。自分は棚にあげていますが。 他人を貶して自分を優位に見せるというのも、また自己の確立の仕方ですね。回答ありがとうございました。 →おまえ、自信ないくせによく言い返したじゃねえか。ただそっちの反応かとやはりネガティブさを感じたがまあそりゃそうなんだからしょうがねえ。 再度言うが難しそうな言葉使って理屈整理したっぽくなってもお前の状況変わらないから。 もいっかたい言ってやるが、ただ「自信喪失」しているだけだ。 アイデンティティ?精神病になりたい?あほくさ。 要は、全ての人間が欲している自己重要感(自分の存在価値)が、感じられない状況にあるってだけだ。 で行動起こさず妄想ばっかしてっから、余計に不安ばかり思い浮かべてもやもやするってよくありがちな状況だ。 精神病になりたい?まあそれ系の大半が、自己重要感を感じられなくなり辛くて本能的にそっちに逃げ込んだ症状だからな、そりゃそうだ。 これ以上は仕事に戻る為省略。 また言い返してもらえるかな?笑
お礼
議論する気はありませんし、まして喧嘩するつもりも資格もありません。またこの場もそう言った場ではないと理解しております。しかしながらNo.14の冒頭が回答者全員を否定する形であったので、煽るようなお礼になってしまいました。否定したのは冒頭です。 No.14では自分の誤読でした。申し訳ありません。自身の無さに関して一番重きを置いていらしたのですね。自分に自信がねぇから、と突き放し軽蔑される印象を受けておりました。 自信が無いから、と言うのは確かにその通りだと思います。人に対しての劣等感やコンプレクスが多いのは自分でも自覚しています。確かに、うだうだ愚痴を言うだけで状況は変わりませんね。自信を回復させることが重要である、自信回復のためにいろいろと考えてみようと思います。 お忙しい中、回答ありがとうございました。
NO2です。 一寸風邪気味で遅くなってしまいました。 さて、回答を読んで、とても頭の良い方・・と感じました。 が、しかしです。 地に足が着く・・などは、頭の理解とは違う所にある・・様に感じます。 多くの人が、足が地に着く・・などとは思わず・・あるいは気にせずに暮らしています。 (断言してはいけませんが・・) 以前、職場の先輩から、地に足がついているか・・などと言われましたが、その時の本音は何の事か・・さっぱり分かりませんでした。 まあ、諺・・とか、先輩から聞いて・・言葉は知っていることでしょう。 が、それが現実にはどの様な事か・・が分からない。 もし、分かっても、「え!!そんな簡単な事」と、却って受け入れられない・・とも思います。 さて、さて、前置きが長くなりましたが・・ 足が地に着く・・は、とても簡単・・文字通り。 足が地に着く事です。 え!! でしょう。 でも、そうなのです。 唯、その地に付き方が問題です。 今のままでは、足は見た目には地に着いていることでしょう。 でないとあるけませんので・・ また、どの様にでも立つ事もできないので・・ しかし、本当に立てているか・・となると、話は変わってきます。 ここいら辺の事は秘伝でもあるので・・割愛します。 で、あなたが興味があるなら、チャレンジする事をお薦めします・・ 先ず、肩幅位に足開いて立ちます。 形上行う事はこれだけです。 その時、足裏にはどの様な感じがありますか?? つまり、足裏感覚と言う奴ですね。 私などは、ある種の圧力の様に感じます。 他に気を取れている(多くは考え事をしている)と、その足裏感覚も何処かへ行ってしまいます。 この足裏感覚を何時も意識出来る・・あるいは意識する。 本当は感覚なので、意識しなくとも、何時でも感じられる様にもなります。 まあ、長い時間がかかりますが・・・ 目標はそこです。 最初の内は、歩く時などに重さ(足裏感覚)が、踵から土踏まずを経て・・つま先に移動する・・等を追ってみるのも良いですね。 しかし、この様な訳の分からない・・様な事、そして単純な事は、一寸した刺激があると、直ぐに忘れます。 つまり、地に足が着かなくなります。 足裏感覚に拘る必要はないですよ・・ イスなどに座って、お尻に圧力を感じたら・・それも足裏感覚と同じ・・です。 まあ、お金もかからず・・少しの時間でも試せるので・・どうぞ。 但し、一朝一夕に目に見えた効果があるかどうかは、取り組んだ時間と個人差も多きいので・・何とも言えません。 まあ、足裏感覚を感じてみても、失うものは殆ど何もないので・・・
お礼
再訪ありがとうございます。 ただ立っているだけでも、いつも注意は自分の周りの物であったり、過去や未来の事に頭は回ります。怪我など体の不調が無い限り自分の注意を体に向けることはありませんでした。 アルバイトでは立ち仕事なので、そこでも実践しやすいです。今後意識して暮らしてみます。 ご回答ありがとうございました。
- JoyWorld
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参考までに ふわふわ浮遊している自己と聞いて思ったことです。 貴方の中に、いや誰でもそういうところはあるのですが、2つの人間がいるのではないでしょうか ひとつはあなたがこうだと思っている自分、もうひとつは無意識のほうにある自分 こうだと思っている自分は、過去の失敗を誤魔化し、ちょっとしたことを美化し、また他人に承認されている部分の自分だと思ってください。 無意識のほうにある自分というのは、誤魔化さず美化せず、自分を直視したままで、他人に承認されていない部分もある自分です。(人は他人に承認されている部分の自分を自分だと思いたがりますね) 後者が本当の自分だと言うつもりはありません。無意識を含めた自分でさえ、自分をすべて見ることはできませんから。 でも、その思っている自分と、無意識に閉じ込められた本当の自分の姿が乖離していると、自分が浮遊して、自己同定が不可能になるのではないでしょうか。 さて、さんざん自分自分と言ってきましたが、本当に自分などというものはあるのでしょうか。 あらゆるものは、それ自体として存在しているのでしょうか。 そして人間の思考それ自体は、その人間の思考として存在しているのでしょうか。 この世界で、他の何かと関係を持たず、それ自身として完結して存在しているものはありますか。 すべては関係性をもって存在しているのではないでしょうか。 そして関係を持っている存在と関係している何かも、別の何かと関係を持っています。 それは無限と続き、この世界すべてがひとつの関係性として存在しています。 あなたはその一部分です。いや部分として存在するという考え方自体がおかしいと言いましたね。 すべてはひとつの関係性なのです。 時間軸を動けば、あなたは生まれる前には存在せず、そして死んだあとも存在しません。 しかし見方を変えれば、あなたが存在しているのではなくて、この世界の一部分が、関係性の中でひとつの形態をもったというだけに過ぎません。 あなたの思考は、あなたがあなただと思っている自分は、あなたのものとして独立して存在していますか。 あなたの思考である脳内の電気信号は、周囲のシナプスと何の関係もなく自由に動きまわることができますか。 あなたの頭の中に何とも関係ももたず自由に存在しているものがありますか。 思考とはなんらかの存在とは独立したものですか。 もしそうでないと思うのなら、あなたの思考はあなたのものではありません。 すべてはひとつです。 そしてすべては関係性の中にあります。 あなたは世界です。 彼はあなたで、あなたは彼。 善も悪もありません。すべてはこの世界です。 マイケル・ジョーダンも乞食も、同じ世界です。 さて、世界は世界です。 いったい何を悩んでいるのですか という仏教の世界観でした。
お礼
空の思想、縁起でしょうか。 自分が乖離して双方の距離が浮遊感を生む一方で、自分そのものが存在しない……。関係性の中で生じる自分は無意識の自分と離れたもう一方の自分と言う事でしょうか。 今一度仏教に関して調べてみます。自分のものとして身に付けられたら良いのですが。 回答ありがとうございました。
- ukiyotonbo
- ベストアンサー率11% (91/788)
あなた次第です。この瞬間にも。 誰に聞いても、なにを読んでもいいですけど、結局、あなた次第。 アイデンティティってのを本当に欲しているか・・どんなアイデンティティってのを欲しているか・・・・単純ですよ。非常なまでにシンプルなんですよ。 ほら、アイデンティティが見つからない~と長く愚痴っているのもあなたのアイデンティティです。 アイデンティティの居場所がわからん・・とか、家族が・・とか、相談できない・・とか、精神が・・とか、できないことを並べ立てて、アイデンティティがないことを一生懸命証明しようとしている強いアイデンティティがあるんですよ。 だから、誰でもない、あなた次第。
お礼
自分の性格のどこかにアイデンティティーと言うあやふやなものを探しているのが間違っているのかもしれませんね。全てを総括した自分が自分である。もう少し深く考えてみます。貴重なご教授ありがとうございました。 回答ありがとうございます。
- rfrfr111
- ベストアンサー率14% (62/414)
ここに書いてるやつらは本読んで真にわかってもないくせに言葉遊びすることに自己満足するオナニストばっかだな。 難しい言葉不要。単に、自分に自信がない状態にあるだけだよ。 何故か?どうしたらよいか? 説明は以前どこかに書いたので省略(笑)
お礼
名も知らぬ他人を慮ってくれる点は、あなたより自己が安定しているのではないでしょうか。自分は棚にあげていますが。 他人を貶して自分を優位に見せるというのも、また自己の確立の仕方ですね。 回答ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
もし、アイデンティティが確立されておらず、確たる意思が なければ、「居場所がない」からと悩む事はない。 自我が十全に確立できないとすれば、その理由は2つの 方向性に求められる。 1.他人による評価や、環境による受容に依存して他律的に 自我を安定させているのに、周りが必要としてくれない。 2.自己や環境を深く把握し、他人の評価や環境の状態に よらず自律的に生きられるほど、認識が深まっていない。 1の方向を求めるなら、人の役に立つ能力を身につけましょう。 2なら、現状の向こうに生きる道を見出せるほど、認識を深めましょう。
お礼
人の役に立とうとすると、重い関係性を求めしばしば共依存のようになってしまいます。それが嫌で逃げや隠れやしては、関係性を絶とうしたりと……。2を選ぶ強さもありませんので、現状を踏まえれば1を選ぶのが妥当に思いました。 回答ありがとうございます。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 ★ 自己の居場所。・・・アイデンティティの居場所に関して、どなたかご教授お願いします。 ★ 自分を同定する為に自分を認識すればするほど自分が遠ざかっているような気さえしてきます。自己がどこにあるのか、全くわからないのです。 ☆ 《自分・自己》が何であるかは はっきりしていますが 《自己の居場所》と言ったって それは 必ずしもはっきりしているものではありません。 《自分・自己》は そのように《自分・自己》とみづからのことを呼んでいるあなたのことです。その動態です。 もし《居場所》をもはっきりさせたいというのでしたら そのあなたのつねにその《いま・ここ》をそれとして決めてみればよいのではないでしょうか? ちがっていたら また場所を移動したあとあらたにそう決めてみてください。 ということは――《いま・ここ》が居場所だということは―― 《わたし》のあるところ どこでも《わが居場所》だということになります。 《わたし》が 仮りに宇宙大だとしますと この世界の全域がわが居場所であるとなります。 いちど考えてみてください。
お礼
回答者様の仰る《いま・ここ》が、物質的な《いま・ここ》であるならば、自分にもなんとなく経験があります。身の丈に合わぬほど楽しい時、美しい風景を見たとき、《いま・ここ》にいるのだと感じます。確かにその時は心が体の主軸に置かれる様に落ち着いていました。 《いま・ここ》が居場所であると、自分の経験則と合わさって非常にしっくりときました。今後意識して生きていきたいと思います。 ご回答ありがとうございました。
- tttyyyuio
- ベストアンサー率6% (13/196)
もっと素直に物事を捉えてみたらどうですか? あなたがこれと明確に認識できるような自己(自我)はあなたの中に そもそも芽生えなかったんではないでしょうか。 だからこそ自己がどこにあるかわからず、ふわふわ浮遊しているような 感じなのだと思います。 だからもしも地に足をつけたいのなら自己を自分の中に探すのではなく これから自己を形作っていかなければならないと思います。
お礼
凝り固まった頭では考えてもいなかった考えです。 自己を一から構築する。意識して日常を営みたいと思います。 回答ありがとうございました。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
学問に興味のない人間が大学に籍を置いていると言う事は、正にモラトリアムであって、このモラトリアムは時間によって解消されるので、心配しないでよろしいと思います。 大学モラトリアムは多くの人が経験しますが、学生時代をモラトリアムとして過ごしてしまった人は、目的を持って学生時代を過ごした人と大きな差を生じます。しかし、こればかりはしょうがないので、モラトリアム終了後(=社会に出てから)10年、20年を掛けて挽回してゆくことです。 >金銭にも娯楽にも価値を見出せず、かと言って学問に興じると訳でもなく、 これは普通ですよ。金銭に価値を見出す人など、感覚的には1%未満であって、多くの人にとって金銭は手段にすぎません。むしろ必要悪と位置付けてる人も多いですから心配ありません。娯楽に価値を見出すには、まず勤労の苦痛があって、苦痛からの一時的解放が必要なときに、娯楽の価値が発現するものです。学生は、逃れがたき勤労の苦痛がありませんので娯楽の価値を見出さないないのは普通です。 問題は、学問に興味が無いことです。(通常、学問は興じるものではありませんが、貴殿の「興じる」というのは、文脈から「興味を持って取り組む」と解釈します)。 学問に興味を持たない人間が学問をする場所に居る、このことが違和感の原因であり、これを解決するには、すくなくとも「学問に興味を持つ」か「学問と関係ない場所に移動する」の二者択一の選択が必要です。 なにもしなければ、時限によって、「学問と関係ない場所に移動」することになりますので、その時点で悩みは解消されるでしょう。
お礼
金銭に価値を見出さないのが普通。目から鱗でした。考えもしなかったです。 母親が最重視するのがいつも金銭であったので、それが普通であるように感じていました。それを隠す人は無理をしているように。その母親の反動形成で自分は金銭に価値を見出さないようにしているのだと、こんな当たり前な事に回答者様のお陰で初めて気が付きました。 学問がやはりネックでしょうか。学問から逃げていた節もありますので、学問に取り組むという道しるべが見えました。気張らないといけませんね。 回答ありがとうございました。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
ふわふわしている、居場所がない、アイデンティティの危機、 これみんな、グラウンディングができていないことの表れだと思います。(心理・スピリチュアル用語) よかったら検索してみてくださいね。 グラウンディングというのは、自分の心の根っこを強化する事です。 きっと今、あなたの心は、大地にしっかりと根をはっていないのです。 人間は一本の木のようなもので、枝葉をしげらせても、根っこが弱いと危ういのです。 根っこが強くなると、たとえば木は、 多少の横からの衝撃でもぐらつきませんし、横から誰かに支えてもらう必要がうすれ、 養分もしっかり吸収できます。 同じように、人間ならば、心の根っこが強くなれば、他人の言葉で傷つきにくくなり、 自信や心の余裕が出て、地に足がつき、生命力がわきます。 他人の評価で、自分を支えてほしい・・なんてこともなくなります。 劣等感や嫉妬心がうすれ、どっしりとした人間になります。 グラウンディングにはいろいろな方法がありますが、 朝の散歩、ラジオ体操、運動など。黒や赤い服を着ることもよいです。 個人的に、最も手軽で有効な方法と思うのは、 オブシディアンなどのグラウンディング用のパワーストーンを持つことです。 でも、グラウンディングが弱い人は、一般的に、親子感情に問題がありますから、 自分の心に向き合って癒すことが、長期的に大事だと思います。 親というのは、大きな自分のルーツ(根っこ)なのです。 親本人と話し合うと、むしろ責められてつらい目にあいそうなら、 まだそのことは親と話さないことです。あなたのために。 いろんな人に聞いてもらったりして、あなたの親への気持ちを洗い出して行きましょう。 わたしも同じような道をとおってきたので分かりますが、 「親を責めてはいけない」とか、「怒ってはいけない」とか、 私が「いけない」と禁止してきたそのことこそが、まさに私に一番必要なことでした。 怒りの抑圧、それが、アダルトチルドレンの典型的症状です。 おさえつけられた怒りは、今も腹の中でグルグル回っています。 例えが悪くてすみませんが、抑圧された怒りがたまった心は、一種のゴミ屋敷みたいな感じです。 ゴミ屋敷をきれいにする時に、中の物を一旦全部出すみたいに、 ぜんぶ出してやることから、心の整理ははじまります。 際限ないように見えて、ちゃんと終わりがありますよ。 怒りも、いったん全部吐き出し終わると、次は悲しみや不安を吐き出します。 どんどんネガティブな気持ちを吐き出して行くと、 最後には親を理解し、愛する心が自然に出てきますからね。まったく無理なく、本当に自然に。 だから、安心して怒りを吐き出してください。そのための道なんですから。 それは、ゴミ屋敷からゴミがなくなって、キレイな床が見えるような過程です。 ネガティブな感情を無視していると、どんどんたまって行きますから、 ちゃんと感じて、出してあげることで、ちゃんとお掃除できるのです。
お礼
親は精神的にとても弱い人間です。 自分が怒りをぶつけることで、親が壊れてしまわないか、身が震えるほど怖いです。ただでさえ迷惑をかけっぱなしでもあり……と、それも親に対する感情抑圧の一因でもあるのかもしれません。自分が悪いのに親に責任転嫁をするのはつらいですね。 グラウディングは初めて知りました。調べてみると、チャクラ、エネルギーと疑似科学の匂いを感じましたが、その実そうでもないみたいですね。もう少しよく調べて実践していきたいと思います。 今後の動向の指針を示していただき大変助かります。 回答ありがとうございました。
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お礼
幅広い推薦図書と推薦漫画、映画ありがとうございます。 現状で考え、行っている自己強化の延長線上で行えそうです。書籍に関しては恥ずかしい話全て未読なので、今後読み進めていきたいと思います。 ご回答、本当にありがとうございました。
補足
この場をお借りして。 多くの方々、ご回答本当にありがとうございました。 答えを求める自分がベストアンサーである人を選ぶなんて皮肉にも思いますが、こちらに選ばさせて頂きます。 どの方の回答も何度も読みましたが、正直なところ『ダウンロードは出来ているが、インストールは出来ていない』と言う感じです。今後も何度も読み、一つ一つ実践し、身に付ける事が出来ればと思います。 また自分は敬語が苦手であり、節々で淡白で無関心な文面になってしまったかもしれません。ここにお詫び申し上げます。 半分以上の回答が自分にとってベストアンサーでした。自分にとってはどんな本よりも考えさせられる質問になりました。みなさん、本当にありがとうございました。