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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自己否定感・劣等感)

劣等感と自己否定感とは?苦しんでいる理由と克服方法

このQ&Aのポイント
  • 自己否定感・劣等感が強い理由として、幼少期の両親の愛の不足が挙げられます。しかし、過去に親の愛を受け取った経験があることも事実です。なぜ劣等感が強くなるのか理解できないで苦しんでいます。
  • 劣等感とは、大きな失敗をすることなく自分を貶める傾向にあることを指します。しかし、この劣等感は向上心を生み出す一方で、心的にはつらいものです。
  • 劣等感が強い人は真面目な性格であり、自分の行動に厳しい条件を課してしまいます。もっと自由に生きたいし、人との関わりをより気軽に楽しみたいと思っています。劣等感を克服するためには、自分自身を受け入れ、自己肯定感を高めることが重要です。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ast0718
  • ベストアンサー率41% (35/85)
回答No.1

私も痛烈なコンプレックスにさいなまれたことがありますが 最近は相当解消されて自由になった気がします。 無意識のうちに自分で自分を追い込んでしまうんですよね。 私はどこかで昔の自分と戦っていて、昔の自分にすらまけていると思っていました。 私は物を書くことを通じて頭を掃除することで楽になった気がします。 頭の中ばかりで考えていると本当に自分が必要だと思うことと 自分には特に必要ではないのに必要だと思い込んでいたことというのが混ざってしまいます。 一度文に起こすと本当に大事にしたいものと、いらないものを区別できます。 要らないものが何かわかれば後は捨てるだけです。 文を書くのにはパソコン、あるいはノートと鉛筆さえあればいいですね。 私はコンプレックスを持つ人間は欲張りなのだと思っています。 時間がほしい。知識がほしい。センスがほしい。お金がほしい。 でも私にはない!と思い込む。 私はそういう欲望を否定しません。その欲望は大切なものです。 しかし何かをただで手に入れることはできません。 欲張りなのでそのことをどうしても忘れがちになってしまう。 どんな天才でも絶対に諦めなければならないものというのがあります。 上手に何かを諦めるということができればいいのではないでしょうか。 私には妙なコンプレックスというかプライドがあって 知識を詰め込まないと勝負にならないと思って必死に頭に知識を叩き込むということをやっていました。 それはそれでいいのですが、そればかり続けているとどうなるか。 頭がパンクします。 私は文章を書くこと自体にも奇妙なコンプレックスを持っていましたが 文章を書き始め自分の頭を整理すると、悟りを開いたような気がします。 私は自分のプライド、知識を沢山持ちたいという欲に潰されかけていたわけですが それを救ったのは私が不得手だと思っていた文をかくことでした。 もし自分が不得手だと思っていることがあればそれに向き合うのも一つの道なのかもしれません。 そしてしなきゃ、でなきゃに潰されかけているのであればやはり思考をまとめるべきです。 そして優先順位をつけるべきです。 それをうまくできれば何かを諦めることに、諦めざるを得ないことに納得できると思います。

tennt
質問者

お礼

ご回答をありがとうございます。 > 私には妙なコンプレックスというかプライドがあって 知識を詰め込まないと勝負にならないと思って必死に頭に知識を叩き込むということをやっていました。 それはそれでいいのですが、そればかり続けているとどうなるか。 頭がパンクします。 まさに、私そのものです。 そつなくこなすタイプの真逆で、 とにかくできる限りを尽くそう→知識を頭に詰めまくろう としていました。 中学・高校も、どんな小さなテストでも知識を詰め込まなくては、と 寝る間も食べる間も惜しんで必死に勉強していました。 病的ですね・・^^; 最近、時間と成果は比例しないことに気づき始めて改善しつつある気もします。 ast0718さんのように、文を書くことで 本当にするべきことを洗い出して、うまく諦めるように 少しずつでもしていきたいと思います。 新しい視点でした。 全ての方のアドバイスが本当に感謝してもしたりないほど ありがたいものだったのですが、 実際にast0718さんが痛烈なコンプレックスから 解消され自由になれたという言葉にとても希望を感じましたので ast0718さんをベストアンサーに選ばせて頂きます。 ありがとうございました。

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その他の回答 (4)

noname#179235
noname#179235
回答No.5

幼少期の愛着が足りなかったのでしょうか。 こういう場合は、もし親御さんと仲が良いのなら、もう少し腹を割って話してみる。 「実はあの時~~思ってたんだ」と、昔の話だけど、それを聞いてもらう。 これもカウンセリングの方法の一つです。 直接話してみませんか? 幼少期の愛着はとても大事なので、この時にたくさんの愛情を受けていなければ猛烈な反抗期まっしぐらです。 すでに20前半という事ですが、昔の哀しかった、辛かった思い出が癒えないのなら、それを直接伝える事がベストでしょう。 他のカウンセリングでも有効ですので、試してみてください。 友人に話してみるのもよし、 誰かに聞いてもらいましょう(^^) 真面目なあなたを責める人はいませんよ。 体をお大事に。

tennt
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 愛着という部分で考えたことありませんでした。 片親が他界し、その親に伝えたいことはたくさんあります・・ 親のことを考えると、涙がでてしまう 涙がでると天国の親が悲しんでしまう と思ってしまい、今では1人でうまく泣く事が できなくなってしまいました。 ただ、誰かのふとした優しい言葉だったりだとかがきっかけで 突然号泣することもあります。 今回、みなさんからの温かい言葉に、泣くことができて 少し心が軽くなりました。 すみません、少し話がそれてしまいましたが・・ もっと積極的に自分の想いを話してみようと思います。 本当にありがとうございました。

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  • 23tomo-u
  • ベストアンサー率27% (433/1565)
回答No.4

今までの考え方・生き方を再選択する時期にやってきましたね。 別に「仕事を変えろ」とかいうわけではなくインナーチェンジです。 ようは中身です、重要なのは「気付き」です。 まず「欲求」については善悪関係なく、人間は持ち得ているので 認めましょう。「私はこういう欲求があるんだー」ぐらいに 眺めていればいいです。 劣等感は、まず「戦い」をやめることです。 あと「対決姿勢」とか。 人生と戦ってはいけません。うまく付き合っていくのです。 戦いをやめたところで負けという考えは偏っています。 戦いを諦めたところで負けという考えは偏っています。 「よい関係で付き合っていく」のです。 真面目は真面目でいいんです、 問題は「劣等感から自己否定して真面目になっている」ということです。 自分を認めてあげましょう、がんばってきた自分を。 おそらくいろいろがんばってきて成功もしてきたでしょう、 ただ成功しても達成感や満足感がない、という状態かと思います。 自分を認めてあげれば劣等感以外の感情から物事が始められます。 そうすると人の顔色も伺う必要もありません、 人付き合いも最低限あれば特に家で1人でいても寂しさを感じません。 いつも満足しているから。 自分を認める、言葉では簡単ですが時間がかかります。 まずは自分を褒めてあげましょう、ノートにとるのがベストです。 ただ疲れたらやらなくてもいいです、それも「疲れた」という自分を 認めてあげることなので、自分にとってはプラスの作用です。 劣等感はやめる、自己否定はやめる、 やめれなかったら「今私自分を否定しているなー」と 気付いてあげる、ところから。 自分のがんばったことをノートに書く、 疲れて休んでも、それは自分にとってがんばったこと。 自分を褒めてあげてください。

tennt
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 仰られる通り、自分に満足して、自分をよりどころにできる人になりたいです。 自分を認める人になりたいです。 今日から、無理しない範囲で自分の頑張ったことを認めるために ノートをとっていきたいと思っています。 具体的なアドバイスをありがとうございました。 まさに今が再選択する時期ですね。 この20代でインナーチェンジを遂げたいです。 まずは早く気づけてよかった、自分よくやった!と思うようにします。

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  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20303/40253)
回答No.3

特に読んでいてイライラしない文章だよ? むしろ貴方は書き方にさえ微妙に気を遣っている。 顔色を窺う部分が言葉選びにも出ている位。 優劣の感覚は、 別に貴方の「中」に存在している限り問題無い。 貴方が比較級を創ろうが、どうしようが、 貴方の周りの人たちの生活には何の影響もないから。 貴方の向上心の源が、 仮に劣等感からの、自己否定からの浮上力であっても。 別にそれでも良いんだよ。 ただね、 こうして書き込んでみて、 自分という人間に「客観的」に向き合ってみると。 改めて今の自分を疲れさせているのは「自分自身」なんだよね? 周りじゃないんだよ。 貴方に対して過剰に頑張れとか、 真面目という目線に拘れとか、気を抜かずに日々を過ごせとか。 誰もそんな事言っていないんだよね? 自分で自分にひたすら鞭を打ち続けている貴方がいる。 鞭を打ち続けた手が腱鞘炎になっても。 打たれ続けた部位が赤く腫れ上がっても。 やっぱり貴方は基本的に鞭を打ち続けてしまう。 その手を止められないんだと思う。 止めるのが怖いから。 本当は止めたいし、止めても良いと思っている貴方もいるんだよ。 でも、 今までの貴方が頑張る自分を「基本」にしてしまっている分。 今更力を抜くとか、微調整するという事がむしろ「応用」に感じる。 貴方のような人は、 むしろ頑張る方向に自分を鞭打つ方が自然なんだよ。 それが出来なくて悩む人もいるんだよ。 どうしても頑張れない。 どうしても自らに逃げ道を用意してしまう。 真っ直ぐに進みたいんだけれど、 ついつい頑張れない、頑張らない自分を選んでしまう。 貴方はそういう人から見たら羨ましい人。 逆に言えば、 貴方は力を抜ける人、バランスを取れる人が羨ましいな~となる。 「~しなきゃ、~でなきゃ」。 貴方をずっと駆り立てている文句であり、方向性。 でも、 何故そう思うのか? 何故しなきゃいけないのか? 何故真面目に生き「たい」のか? その鞭打つ先に、 貴方のどういう「心地良さ」であり「達成」が待っているのか? 貴方は疑問符を付けない人なんだよ。 不思議な位付けない人なんだよ。 だからこそ「バカ」真面目になれる、とも言える。 確かに考え過ぎる貴方がいるのは事実。 でも、 考え過ぎてイジっている部分って実は小さくて、狭い。 今の自分が周りから見て真面目に見えるのか? 今の私のしている事は頑張っている事に入るのか? 実はそれ「ばかり」なんだよね? 私が良いなと思える自分とは? 自分で今の自分にオッケーを出せるとしたら。 どういう自分なら素直にオッケーを出せるのか? 出せないとしたら、 どういう部分に自分はオッケーを出せないのか? どういう部分は大切にして、 どういう部分はもっと角を取って、ほぐして、整えたいのか? 貴方の悩む作業って、 意外に建設的な方向には手が付けられていないんだよね? そういう自分の「傾向」に気付けるのも、 実はこういう書き込みだったりするんだよ。 それだけでも意味がある。 貴方は自分の言葉で書いているよ。 もっと「楽に」生きたい。 もっと「気軽に」人と関わりたい。 それがそのまま、 貴方がオッケーを出せる、出したい自分像なんだよね? 急に真面目から楽にはならないよ。 おそらく貴方の固い部分ってこれからも続いていく。 急に柔らかくなって、悩まなくなる自分って。 それって自分じゃない自分を想定するようなものでしょ? それは無理。 でも、 真面目なのと、真面目「過ぎる」のとは全然違う。 気を遣うのと、気を遣い「過ぎる」のとは全然違う。 今の貴方にある「~過ぎ」の部分をケアするだけで。 貴方は随分呼吸がしやすくなる。 真面目の貴方がいても良いんだよ。 気を遣う貴方がいても良いんだよ。 そういう貴方「なり」に、 バランスを取っていける自分を目指せばいい。 周りに対して発動できる力があるなら、 その分を自分自身にも丁寧に行使してあげる事。 ただ鞭打つだけでは疲れてしまう。 疲れているようなら、 疲れている自分を「ケア」する方向があっても良いじゃない? 最終的には、 疲れないように頑張れる貴方が生まれるように。 バランスを崩しやすい自分だからこそ、 「~過ぎ」になっていないか? 必要以上に背負い「過ぎ」ていないか? 目線が小さく細くなり「過ぎ」ていないか? 自分で自分の隘路を明るくしてあげる事。 自分の傾向には、自分なりの対策を取っていけば良い。 貴方の中には、 真面目か、不真面目の二択しか無いんだと思う。 どうしても白黒になってしまう。 ちょっと頑張れない、疲れた自分は即「不真面目」なる。 そういう自分に頑張れ、頑張れ、頑張れ。 必死に「真面目」な自分を取り戻そうとする。 でも 「真面目」という感覚にも居心地が無いんだよ。 とりあえずそうしておいた、という状態であって。 真面目な自分として深呼吸が出来ていない。 ただ真面目で居続ける事がテーマになってしまっている。 だから苦しい。 その結果、 真面目だけれどバランスが悪い。 真面目だけれど、 見ている方も息苦しくなるような真面目さなんだよね? 真面目という言葉自体から少し離れてみても良い気がするよ? 今の自分自身を大切にして、 シンプルに自分が今出来る事に丁寧に向き合える力がある人。 それを=真面目って言うんだよ。 貴方はどう思う? 大切な貴方の人生だからね? 自分の中のアラームが鳴っている事。 貴方はそれに気付き始めている。 直ぐにどうしたらいいのか?が分からないだけで、 頑張る自分、疲れる自分が悲鳴を上げ始めている。 もっとゆっくりいこうよ。もっと丁寧に生きようよ。 一日一日を優しく生きようよ。自分にも周りにも。 貴方は既にその声を聴いているよ? 後は、 貴方が貴方のペースで自分自身を導いていくだけ。 聴こえないふりをして頑張り続けてもそれもそれ。 少しずつ聴こえてくるメッセージにも向き合っていこうかな? そう考えてもそれもそれ。 本当に貴方次第。 深呼吸を忘れないで。 自分をもっともっと大切にね☆

tennt
質問者

お礼

>こうして書き込んでみて、 自分という人間に「客観的」に向き合ってみると。 改めて今の自分を疲れさせているのは「自分自身」なんだよね? 周りじゃないんだよ。 >真面目という目線に拘れとか、気を抜かずに日々を過ごせとか。 誰もそんな事言っていないんだよね? 自分で自分にひたすら鞭を打ち続けている貴方がいる。 鞭を打ち続けた手が腱鞘炎になっても。 打たれ続けた部位が赤く腫れ上がっても。 やっぱり貴方は基本的に鞭を打ち続けてしまう。 その手を止められないんだと思う。 止めるのが怖いから。 >ちょっと頑張れない、疲れた自分は即「不真面目」なる。 そういう自分に頑張れ、頑張れ、頑張れ。 必死に「真面目」な自分を取り戻そうとする。 ご回答、ありがとうございます。 私の文で、ここまで汲み取ってくださって、さらに親身にアドバイスを頂けて嬉しいです。 上に引用させて頂いた言葉は、まさにおそろしいほど私の姿でした。 真面目をやめたいけど、真面目をやめるのがこわいです。 今まである意味真面目が私のアイデンティティとしてしまっていたので 辞めてしまうと私はどうなるんだろう。何が残るんだろう 私が私でなくなる。社会からいらない存在になるかもしれない。 そんな恐怖で不真面目になれません。 しかし >真面目という言葉自体から少し離れてみても良い気がするよ? 今の自分自身を大切にして、 シンプルに自分が今出来る事に丁寧に向き合える力がある人。 それを=真面目って言うんだよ。 という言葉が本当に胸に響きました。涙がでました。 真面目で居続けてもいいから、真面目の定義をかえる。 シンプルに自分が今出来る事に丁寧に向き合える力がある人。 そんな素敵な人になりたいです。 シンプルという言葉は「-しなきゃ」と考える今の私と対立するものだと思いました。 アドバイス頂いた言葉は、これからも読み返して励みにしたいと思います。 本当にありがとうございました。

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  • piraippi
  • ベストアンサー率27% (47/168)
回答No.2

恐らくそういう「戦略」で生きているのでしょう。 劣等感を持つことによって、失敗したときに「私は人より馬鹿だから失敗した」。 「人より劣っているから失敗しても仕方がない」と思うことにより、 傷つかない戦略をとっているのではないでしょうか。 高田純次さんと、ご自分の中間を目指してはどうですか?

tennt
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに、もしかしたらこの生き方が私の生きる戦略なのかもしれません・・ 高田純次さんみたいに、(もちろん彼は彼なりに努力はしていると思いますが) 底抜けの明るさっていいなあーと思っていました。 性格を変えることは難しいかもしれませんが、 この私の戦略でなくては生きていけないわけでは全くないので 少しずつ考え方を変えていければと思います。 ありがとうございました!

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