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至急!/鯨油、中国、アメリカの貿易航路
至急、お願いいたします。 今、ペリーについて調べているのです。 中国とアメリカの貿易についてですが、何故太平洋という航路を選んだのでしょうか? 単純に、距離の問題なのでしょうか? そして、その時代の鯨油についてですが、何故鯨油を使ったのでしょうか? そして、その時代マッコウクジラだないと駄目だったのでしょうか? 質問内容が分かりにくくて申し訳ないです。 回答よろしくお願いします。
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>アメリカの貿易航路 英国との綿布競争の為です。 イギリスは産業革命に成功し、高品質で安価な綿布を大量に中国に輸出していました。 米国は出遅れ、利権獲得を逃していたのです。 パナマ運河や大陸横断鉄道は開通していませんでしたから、 パナマ地峡鉄道のショートカットは魅力的でした。 当時はスエズ運河が開通していませんでしたから、大西洋航路より太平洋航路の方が断然有利だったのです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8A%E3%83%9E%E5%9C%B0%E5%B3%A1%E9%89%84%E9%81%93# これによって太平洋航路は大幅に短縮期待出来、英国との綿布競争に勝てる期待が高まりました。 更に大陸横断鉄道の完成によって太平洋航路への期待は高まって行きます。 マッコウクジラからは良質の鯨油(灯油)が採取されました。 船内で鯨油を樽に詰める作業をしながら航海するには薪と水の補給が必要でした。 樽が船一杯になるまで数年航海を続ける事はざらでしたから、日本の開国が必要になったのです。 日本は捕鯨基地と中国貿易の拠点として重要だったのです。
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- tanuki4u
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帆船から汽船の時代へ 貯炭拠点が必要になります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E8%AB%B8%E5%B3%B6 ペリーが小笠原に行って最初にやるのが「石炭補給所用の敷地を購入」 なぜ鯨油か? 安かったから。 石油がアメリカで大量に発見されるのは1859年 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%AF%E6%B2%B9%E7%94%B0 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AF%A8%E6%B2%B9 マッコウクジラの脂は食えないから、工業用=明かり用とか