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シェークスピアのマクベスの言葉

最近感銘をうけた言葉です。 きれいは、きたない。 きたないは、きれい。 最近、この言葉をきいてその通りだと思います。 きれいにするには、きたない物を排除して、ノイズを取り除きスムーズにします。そのスムーズにするということの中に暴力が隠されていて、近代は、その『きれい』『スムーズ』『ノイズ』をとりのぞくのに、力が入った時代だと思います。その極地が、デズニーランドであり、資本主義だと思うんですが。 きれいは、きたない。 きたないは、きれい。 このことを、実感しますけど、 世の中の常識ではなく、アドルノ、ホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』も述べてるのに、今だ、きれいが、きたないになるのに、気付かず、今だきれいにする、暴力が続いてます。 きたないは、きれい。 を研究してる哲学者は、ドゥルーズやベンヤミンやアドルノだと思いますが、もっとパンチがきいてる人は、だれですか?

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noname#155689
noname#155689
回答No.1

パンチが効いてる、ってのは どう考えていいか分かりませんが とりあえず、近代科学主義やイデア・ロゴス主義に対する反論で ドゥルーズやベンヤミンやアドルノ以外、ということでいいでしょうか? まず、よくあるであろう考え方として 「オリエンタリズム」のエドワード・サイードがいますよね。 この流れでは、インドの哲学者であり反世界化運動家のヴァンダナ・シヴァ なんて人もいますね。 個人的には、東洋思想が有効だと思うんです。 >その極地が、ディズニーランドであり、資本主義だと それを支えるのが悪しき人間中心主義であり その根っこに、例えばキリスト教があると思います。 ということで最近、仏教を勉強してます。 般若心教なんて 色即是空 空即是色 ですからね。 日本人が本来持つ「無常観」もなかなか素晴らしい。 「マクドナルド化する社会」よりは奥が深いですよ?

passagen1919
質問者

お礼

ありがとうございます。中々しぶといんですよ「マクドナルド化する社会」単に否定するだけじゃ、浮き出てくるし、マクドナルドやセブンイレブンは、何もかも標準化してコスト下げて増殖していく。最近中沢新一の「緑の資本主義」という本を読んだら、マクドナルド化する社会が、交通と流動を隠ぺいし塞いでる。と書いています。私もその通りだと思います。人間がこの非を悟り、それを乗り越える知恵が生まれてくるべきだと思います。このことを気付いていた賢者の言葉に耳を傾け掘り起こし鍛え上げていくそんな気がします。

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noname#15238
noname#15238
回答No.4

回答ではなくお礼です。 この質問のおかげで、面白そうな事がたくさん見つかりました。鬼が笑うかもしれませんが、来年も忙しくなりそうで時間がなくて幸せです。 資本主義を否定せずに資本主義に代わるものがあるのでしょうか、資本主義のスピードを速める結果はどうなるのか色々考えさせられます。 ゲゼルはご存知ですか? 私もうわさだけで、直接著作を見つけていませんが、貨幣の問題点に関して、「減額する貨幣」と言う考え方をしているらしいのです、おそらく貨幣を交換手段だけに限定して資本に転化することを否定しているのではと想像していますが、そうなら、パンチがありそうで・・・・ お役に立てなかったかな。お邪魔しました。

passagen1919
質問者

お礼

資本主義に変わる運動の代名詞は、社会主義の計画経済です。計画経済は、商品ー貨幣ー資本に、利潤を否定して、大変スムーズに、商品が貨幣に変化して、それが資本に変化すると、思い込んでいました。スムーズにいくはずなのに、いかないから、犯人をさがして、国中が牢獄とかしたり、生産物の分配がうまくいかなかったりします。 商売の歴史は、人類の歴史と同様に古いらしいけど、資本主義が、たえず新たな差異を作り出し、それを運動エネルギー源として、動くということは、「やめられない、とまらない」で、ますます、「きれいは、きたない」に変化して 私たち人類は、その可能性を閉ざすことによって、いまあるこの世界をつくりだして、おろかにも、自分のたましいのなかに内蔵された富の多くを、それがどんな価値を持っていたか、深く考えることなしに無造作に捨て去ってきてしまった。 ニーチェが、西欧人に仏教を理解するには、早すぎる。といいました。

passagen1919
質問者

補足

ゲゼルですか。地域通貨に発展したんですよね。坂本龍一のNHKでやってました。非常に興味深いです。あくまでも局地的にそのような運動をやるのは賛成です。あと坂本龍一の音楽が好きだから、感心はあります。

noname#155689
noname#155689
回答No.3

あっ! 色即是空 空即是色 が、かわされてしまった。 最近感銘をうけた言葉だったのだが・・・ イロ、即ち「きれいとか、きたないとか」他々の 見た目、概念、言葉、他々は 是れクウ(空っぽ、何もない)に過ぎない、と そして 空に至れば、即ち是れイロが浄化される、と。 ジョン・レノンも言っているではないですか。 天国なんて、無いと想像してごらん そうすれば地獄も無くなり 我々の周りには「空」があるだけだと。 何だか、我ながらくだらないですね。 逝ってきます。 ※こんなに簡単に空を語ってはイケマセンよね。  竜樹に怒られてしまう・・・

passagen1919
質問者

お礼

色即是空 空即是色 色とは現象界の物質的存在。そこには固定的実体がなく空であること。 固定的実体がなく、空であることによってはじめて現象界の万物がなりたつこと 仏教って、すごい可能性がありますよね。可能性を歪めてるのも、仏教徒達というのも、また真実です。 きたないは、きれい、というのは、差異を差異として肯定し享受する、ポストモダンな振舞いだと思うます。まさしく、仏教 井筒俊彦の「意識と本質」を読み返してみます。

noname#15238
noname#15238
回答No.2

passagen1919さんに、一票。 グローバル化が進んでいますが、地域性とか、主観の位置とかも考える必要があると思います。←余分 質問の趣旨に合うかわかりませんが、内山節さんなんかいいのではないでしょうか。

passagen1919
質問者

お礼

内山さんの言葉に耳をかたむけ、非をみとめそこから、オルタネイティブな可能性を見つけ、鍛え上げていく必要があると思います。でも資本主義の仕組みは、早く回転して、あらゆる物事をノイズと判断して、スムーズにする意志によって、空間をマクドナルド化してしまいます。だれも、止めることはできません。ドゥルーズは、資本主義を否定するのではなく、資本主義より早く回転して、資本主義を追いこすことを提唱しましたが、いまだ実現してません。70年代より80年代より90年代そして2000年以降、世界は、ますますきれいになり、「きれいは、きたない」に突っ込んでいく。 このことに関して、ペシミズムなんです。

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