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創氏改名と当時の戸籍
マンガ、はだしのゲンには朴さんという朝鮮人が登場します。実際に国会議員になった 朴春琴なんて人も当時いました。 まあ実際には日本人ぽい名前に変えた朝鮮人のが多かったでしょうけど、 当時の戸籍の統計みたいなの残っていませんかね? 戸籍にのっている朝鮮人の内訳、日本人ぽい名前にした朝鮮人の人数の割合と朝鮮人ぽい名前のまま戸籍に入れた毅然とした(笑)民族の誇りがある(笑)朝鮮人の割合ってどれくらいなんでしょう? 9:1くらいかな?
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あ, 間違えた. 参考に挙げた資料を読めば明らかですが, #1 では設定創氏と法定創氏の比率を逆にしてしまいました. つまり, 設定創氏と法定創氏の割合は 内地: 1:6 外地: 3:1 程度です.
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- tyr134
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>当時の戸籍の統計みたいなの残っていませんかね? >戸籍にのっている朝鮮人の内訳、日本人ぽい名前にした朝鮮人の人数の割合と朝鮮人ぽい名前のまま戸籍に入れた毅然とした(笑)民族の誇りがある(笑)朝鮮人の割合ってどれくらいなんでしょう? 創氏改名についての戸籍等の史料は、日本側・韓国側(北朝鮮は謎)に多数のこっています。 歴史学では、この史料に加え当時の新聞・政府文書・政治家の日記や書簡・当時生きていた人の証言(朝鮮・日本側ともに)etc,,,を用いて比較考証して真実を明らかにしようとしています。 で、最大の争点は「法令運用をめぐる見解」において激しい論争が戦わされています。 朝鮮では、苗字のことを「姓」と呼ばれ、これに加え「本貫(ボンガン)」というものがついてきます。 「本貫」というのは、自分の始祖の出身地のことを言い、「同姓」でも「本貫」が違うと全く違う他人として扱われます。 つまり、朝鮮では「父系血縁共同体意識」が著しく強く残っている社会です。 朝鮮では、一族の系譜を族譜と呼ばれる冊子にまとめているため、日本以上にご先祖様が誰かということがたどれます。 もちろん、長い歴史の中で改ざんが行われたりもしたでしょうが、日本でも堂々とやってますので、その辺はどこ行っても同じですね 閑話休題、戦前朝鮮合併をした後、日本では大論争が戦わされていました。 朝鮮人を同化させるために「氏」を造らせるべきだという意見。 「氏」というのは、日本でいう苗字ですが、明治以前は武士や公家などの特定の人々しかもっていませんでした。 それを明治時代にすべての人にまで広げたわけですね。 で、みんな自由に選んで名前を付けました。 これには、武士や公家などの身分制度を否定して民主主義(デモクラシー)を推し進めるという意図があります。 朝鮮を併合した時も、身分制を否定し朝鮮人を同化させるために、「氏」をつけさせるべきとの意見が出てきたわけです。 だから、「創氏(=氏を新たに創る)」なんですね。 方法としては、朝鮮の「姓」に新たに「氏」をくっつけて「姓」が見えにくくしたという方法が多かったようです。 例)姓「金」に氏「田」を付け加えて「金田」とか、姓「安」に氏「原」をつけて「安原」とか 一方、日本人か朝鮮人か見分けがつかなくなるのは問題だとして「創氏」に反対の勢力がありました。 そこで議論が紛糾し、内地人(日本人)と見分けられるように朝鮮風の「氏」をつけるべきだとか、色んな意見が出ていたようです。 実際の運用としては、「創氏」は、期日までに届け出ることで自由に決めることができました。 しかし、届け出が無い場合は戸主の「姓」をそのまま「氏」としました。 「姓」をそのまま「氏」にしたんだから、別になにも変化ないやん・・・と思いますが、そこには「朝鮮」と「日本」での文化の違いが入り込んできます。 日本では、婿か嫁どちらかの「氏」に改めますが、「父系血縁共同体意識」の強い朝鮮では結婚しても別姓が普通でした。 そこに、日本の「氏」制度を投入したのですから、父の「李」は変わらないが、母の「朴」は「李」に改めなければなりませんでした。 創始改名は1940年2月11日から実施されました。 届け出期間を半年とされました。 総督府は当初「氏設定の届け出は「強制でない」」と言明していました。 その結果、受付では閑古鳥がないていたようです。 「寂しい創氏受付」という見出しの新聞(『京城日報』2月13日付)が残っているそうです。 実際、の統計としては、届け出戸数(累計)が全戸数に占める比率は、2月末0.4%、3月末1.5%、四月末3・9%と低調続きだったみたいです。 4月を超えた辺りから「強制ではない」という言葉の代わりに「内鮮一体」という言葉が踊るようになったと言われています。 その後、多くの道(日本でいう県に相当)を初めとして多くの自治体で「届け出の奨励」するような文章が残っています。 その結果、「創氏」の届け出数は飛躍的に伸び、期間終了の8月10日には80.3%に達したようです。 では、「改名」のほうですが、こちらは任意でした。 自ら役所と裁判所に届け出て、一定の手数料を払うことで日本風の名に「改名」できました。 もちろん、任意なのでしなくてもかまいません。 というより、手数料が高すぎてしたくても出来ないというのが本当のところのようです。 ただ、朝鮮人は差別されることを嫌がって「通名」を名乗っていることが多いようです。 終戦前の「通名」というのは、所謂「ペンネーム」ですから、日本人・朝鮮人関係なく使っていました。 とはいえ、ただの「ペンネーム」なのだから公文書には使えず、そういったものが必要なときは当然本名がばれたでしょうね。 その辺りは、公文書で通名が認められている現在との違いでしょうか。 余談ですが、現在の韓国の戸籍には、朝鮮解放後、朝鮮姓名復旧令(1946年)によって、戸籍の記載も本来の「本貫」と「姓名」に戻されましたが、その過程の跡に「創氏改名」の名残が見て取れるそうです。 ではでは、参考になれば幸いです。 参考URL http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/etc/kanyocho/seimei.html http://www.daito.ac.jp/gakubu/kokusai/asia21/naming/korean.html
- Tacosan
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「#1 の参考に挙げた」とまで書かないとダメですか?
- Tacosan
- ベストアンサー率23% (3656/15482)
内地と外地ではかなり違うみたい. 設定創氏と法定創氏の割合は, 内地だと 6:1 程度, 外地では1:3 程度.
補足
参考に挙げた史料が見あたりませんが…。 約八割が設定創氏、二割の朝鮮人がはだしのゲンにでてくる朴さんや朴春琴さんみたいな法定創氏だった、 って結論で良いでしょうか?