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日本による朝鮮人の「創氏改名」について
参考URL http://www5.sdp.or.jp/central/timebeing03/danwa0602.html http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-06-03/01_01.html 自民党の麻生太郎政調会長が5月31日、東京都内での講演で、「日本による朝鮮半島の植民地時代に朝鮮総督の命令で同化政策、皇民化政策の一環として実施された「創氏改名」について、「朝鮮の人たちが『名字をくれ』と言ったのがそもそもの始まり」という趣旨の発言をし、韓国政府が謝罪を求める声明を発し、共産党や社民党なども「歴史的事実を歪曲し、日本の植民地政策を肯定しかねないような発言」として厳しく非難しています。 麻生氏は「日韓関係に齟齬を来すことになるのは遺憾だ、韓国国民に率直におわび申し上げる」と陳謝しましたが 発言の内容自体については「歴史認識については日韓双方の学者らで話し合いを続けており、その経過を見守らないときちんとした発言はできない」と語り、撤回しない考えを示しました。 わたしは中学校や高校の歴史では日本が強制的に朝鮮人から名前を奪ったと教えられてきましたが、その後いろいろ調べて行くうちにどうもそうではないらしいとも思うようになってきました。 それで、詳しい方におたずねしたいのです。 できればその時代(1940年)に実際に体験された方のお話しを聞きたいのですが、無理でしょうねえ。
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- tiuhti
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>いや、かなり本質に関係するのではないでしょうか? 私が「話の本質とは何の関係もない」と言ったのは、質問者の方の「わたしは中学校や高校の歴史では日本が強制的に朝鮮人から名前を…そうではないらしいとも思うようになってきました。」という疑問に対しての事です。大多数の人が望んでいなかった事であれば、千人か1万人かわかりませんが、「日本風の名前を望んだ人もいた」からといって、『日本が強制的に朝鮮人から名前を奪った』のではない、という事にはならない、と考えました。(尚、「強制的に名前を奪った」というのは、ケチはつけられない事もありません。氏という家族単位は完全に『強制』しましたが、従来の姓も戸籍上、おまけのような地位で残ったそうなので。) >「植民地人」を本国人とおなじように扱おうという発想は、当時各地に植民地を持った欧米の人間にはない発想でかなり興味を持ちました。 仰られる意味の細かい所は、これだけではよくわかりませんが、植民地支配の類型の一つとして「同化主義」というのがあります。「宗主国側への同化を求め、同化した人間に関しては、同等に扱う」というもので、フランスが典型とされています。(下のURLには、そこらへんにちょっとだけ触れた私の回答があります。参考URLには、フランスの植民地支配の結果、「真剣にフランス人と同列になろうと思った」植民地側の人の事も上げています。) http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=563621 但し、日本、特に国家総動員体制下の日本の方が、より広範囲に「同化」を追求したのはおそらく事実だろうとは思います。でも、「本国人と同じになる事を求め、なれた者は本国人として扱う」という方針(建前?)があったり、実際に本国人に同化したいと思った『植民地人』がいた、というだけでは、欧米と違う、という事はできないと思います。 >大植民帝国の英国が本国以外にオックスフォードやケンブリッジを作ろうなどと考えた事はなかったでしょうし、アメリカもハーバードを海外に設置しようとは思ってないでしょう。 英国は、植民地支配下のインドに3つの大学を作りました(19世紀)。今回調べて分かったことですが、西アフリカのガーナでも、イギリスは大学を作っています。 ここでも、大学を作ったかどうかだけでは、日本とヨーロッパの植民地支配の違いにはなりません。 以下のページにある講演要旨(日本語版のpdfファイル)では、欧米側からの視点ですが、アジアにおける高等教育への宗主国の影響を述べるのに、イギリス、アメリカ等と日本は同列に扱われています。 http://www.cshe.nagoya-u.ac.jp/seminar/kokusai/altbach.html 最近、基本的な事実も調べぬままに、断定的に「日本と欧米の植民地支配は全く違う」という結論を出す風潮が、一部で強いように思われます。表面的な事実だけでは、共通性も相違点も判断できませんが、表面的な事実すら調べないのに判断ができるとは思えません。私は、ホントか?って一度は疑ってみる事をお奨めしたいです。
- tiuhti
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「創氏」の受付が始まったのは1940年2月11日で、その後6ヶ月間受け付けましたが、圧倒的大部分は、後半3ヶ月で受け付けられました。なんだかんだ色々言っても、この事実から、「創氏改名」が望まれていた事かどうかは、十分推測できると思います。詳細は、参考URLをご覧下さい。私自身は ・ 参考URLで「後半3ヶ月が圧倒的に多かった」としている資料の出所を、ある論文で発見。(帝国議会へ朝鮮総督府が提出した説明資料。たしか第79回帝国議会だったと思います。ご興味があれば、国会図書館なら実物を確認できると思います。) ・ 当時の新聞の復刻ダイジェスト版の記事で、「6ヶ月の受付の締切日に当たる8月10日には、役人を動員して夜12時まで受け付ける」といった、日本側が気合をいれていたのがよくわかる記事を見つけた。ポイントは、8月の時点で「5割突破を目標に…」とあった事。創氏の届出は、受付終了の最終局面に集中していた。(最終的には8割強になった。) なお、その復刻ダイジェスト版では、「創氏改名は、朝鮮人が望んだのに答える為のもの」という総督府側の発言も載っていたし、「5割突破を目標に…」の記事でも、氏を手に入れられる事に朝鮮人は万歳をせんばかりに喜んでいる、かのように書かれています。 補足情報ですが、韓国の人は、日本などに比べるとずっと家系図が好き、といわれています。(遡るとかなり疑わしいものも結構あるようですが。)もう一つ、これは有名な話ですが、「同姓同本」(同本とは、先祖の出身地が同じ、という事)の男女は、つい4~5年前まで結婚する事が認められていませんでした。「姓」をこのように考えている人達です。 後は、質問者御自身の判断にお任せします。 なお、満州にいた朝鮮人が、現地の中国人に対して優位にたつ為に、日本風の「氏」を欲しがった、という事を主張する人がいるようで、それが事実かどうかは知りませんが、事実であっても、それほど驚きません。創氏改名自体、朝鮮人の側から「氏をくれ」と言ったとしても、これまた驚きません。(支配者に媚びる例はどこにでもあるしし、真剣に日本人と同列になりたかった人がいたのかも知れません。)そもそも、興味が湧きません。話の本質とは何の関係もない事だと思っているので。
お礼
お礼がおそくなりすみませんでした。 調べるうちに 「満州にいた朝鮮人が、現地の中国人に対して優位にたつ為に、日本風の「氏」を欲しがった」 「創氏改名自体、朝鮮人の側から「氏をくれ」と言った」「真剣に日本人と同列になりたかった人がいた」 ・・・・・ということも事実のようです。 >そもそも、興味が湧きません。話の本質とは何の関係もない事だと思っているので。 いや、かなり本質に関係するのではないでしょうか? 確かに朝鮮人に対する差別はあったにせよ、そもそも「植民地人」を本国人とおなじように扱おうという発想は、当時各地に植民地を持った欧米の人間にはない発想でかなり興味を持ちました。 「名前」に限らず、当時日本はソウルやタイペイに「帝国大学」を設置していますよね。大植民帝国の英国が本国以外にオックスフォードやケンブリッジを作ろうなどと考えた事はなかったでしょうし、アメリカもハーバードを海外に設置しようとは思ってないでしょう。 ありがとうございました。
- taroimo_hasami
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麻生発言が嘘八百であっることは、このページを見ると良く分かりますよ。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~katsuaki/sesou36.htm
お礼
さっそくありがとうございます。 参考URL拝見しました。 しかし、このHPの作者自身が「体系的に歴史を学んだことのない身」と書いておられる一アマチュア作家の説が正しく、「麻生発言が嘘八百であっること」にはすぐには結論づけられないと思います。 このHPはつい最近まで北朝鮮を「この世の天国、労働者の楽園」で「拉致事件は日本政府の捏造」と主張していた社民党や共産党の言っている事とほとんど同じではないでしょうか。
お礼
> 英国は、植民地支配下のインドに3つの大学を作りました(19世紀)。 > 今回調べて分かったことですが、西アフリカのガーナでも、イギリスは大学を作っています。 初めて知りました。ありがとうございます。 > 表面的な事実だけでは、共通性も相違点も判断できませんが、表面的な事実すら調べないのに判断ができるとは思えません。 > 私は、ホントか?って一度は疑ってみる事をお奨めしたいです。 その通りですね。 いろいろ勉強していきたいと思います。 ほんとうにありがとうございました。