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ジョブス追悼文の翻訳のなぞ?
- スティーヴ・ジョブス追悼文の翻訳について疑問があります。
- 特に、「an inspiring mentor.」の正しい訳出法についてお知りになりたいです。
- さらに良い訳文があれば教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
私はあなたの質問で初めてこの文に接したところで,Jobs氏に特別の感情や期待も持っていないと思いますが,訳をされた方の苦労も考えて訳を弁護する形で,再度解答してみます. http://www.eibunpou.net/08/chapter19/19_1.html より (1) 名詞の前に置く場合(単独修飾) (a) 現在分詞 ふつう自動詞の場合は進行・継続を表し、「~している」と訳すことが多く、他動詞の場合は能動的な意味で「~させる」と訳してみることもできます。 http://eow.alc.co.jp/inspire/UTF-8/ より 【自動】元気{げんき}[霊感{れいかん}・ひらめき]を与える 上記の2例より,"inspire"には【自動】元気{げんき}[霊感{れいかん}・ひらめき]を与える・・・の働きがあり,継続的な解釈が文法的に許容されることがわかります. ただし,問題の訳でなければならないという根拠にはなりません.むしろそう訳した方が自然だろうという考えを次に述べたいと思います. "a man/person"でなく"mentor"という日常用いない語を選択してある点から判断して,この原文を起草した人はJobs氏を(常識外れに)持ち上げていることがうかがえます.ですから,inspiringが加わったときに「インスピレーションを持ち合わせた師」では拍子抜けしてしまいます.しかも,この文が故人をたたえる文章(追悼文)の一部であることを考えれば,現実以上に褒め称えていても許されることであり,むしろその方が自然だと判断します.もしWikipediaなどに掲載する場合なら,それを証明する事実がいくつも必要となるだろうし,それがなければ,ただのオタク賛美に終わるはずです. 共感していただけますでしょうか.
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- ucok
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#3で回答した者です。たいへん失礼いたしました。#3欄の回答の最後の部分を以下に訂正いたします。 さて、以下は英文法・語法と関係のない「日本語らしい表現」のお話なので余談になります。では、「私たちは、大切な友人と、インスピレーションを与えてくれる師を失いました」で終わる3行の日本語と「私たちは、大切な友人と、常にインスピレーションを与えてくれる師を失いました」で終わる3行の日本語とでは、どこが違うか。後者のほうが「常に」のところで、読者の気持ちが高揚します。 それから、英辞朗のリンクは単に参考用に貼っただけです。どうぞお気にならさないよう。
お礼
早速のご回答ありがとうございました。生意気を言って申し訳ありませんでした。ありがとうございました。
- MayIHELPY
- ベストアンサー率49% (335/674)
このinspiringは、現在分詞 が形容詞化したもので、 「常には」は前後関係を考えた単なる意訳です。
- googoo1956
- ベストアンサー率47% (623/1316)
>「常に」が、どこから訳出されてきたのか、全く分かりません。 これは、この場でも何度か議論の対象になったことがある「現在分詞が持っている特質」によるものです。 その特質とは、名詞の後に置かれた現在分詞は「その時点で進行していることや状態」を表すのに対して、名詞の前に置かれた現在分詞は「その名詞が持っている分類的特徴や恒常的特徴」を表すというものです。 (1) The dog barking in the park is Tom's. 「公園で(今)吠えている犬はトムの犬だ。」 (2) A barking dog seldom bites. 「いつも(常に)吠える犬はめったに咬まないものだ。」 (1)は「今まさに吠えている犬」を表すのに対して、(2)は「いつも(常に)吠える犬」を表しています。 お尋ねの英文の中の「an inspiring mator」は、「(普段から)いつもインスピレーションを与えてくれる師」という意味で用いられています。 ご参考になれば・・・。
補足
ご回答ありがとうございます。心より感謝申し上げます。大変、恐縮なのですが、ご指摘いただき、なおかつ、例文を掲載していただいた出典元となる、英文法・語法書やWebサイト、Webページを教えていただけると幸いなのですが、可能でしょうか。大変なワガママで、恐縮なのですが、よろしくお願いいたします。
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
英文法と語法ですね。「an inspiring mentor」は直訳すると「人の想像をかきたてる一人の師」です。以下の辞書もご参照ください。 http://eow.alc.co.jp/inspiring/UTF-8/?ref=sa これは日本語のニュアンスの通り、「(ほんの一時期とか、ごく稀にではなく)わりと日常的に、人の想像をかきたてる」と解釈するのが自然です。 もちろん、「常に」がなくて「大切な友人と、インスピレーションを与えてくれる師を失いました」でもそのような意味の日本語になります。しかし、「日常的」に想像をかきたてていたわけですから、「常に」があっても間違いではありませんよね。したがって、英文法・語法の観点から言えば「常に」は、あってもなくても構いません。 さて、以下は英文法・語法と関係のない「日本語らしい表現」のお話なので余談になります。では、「私たちは、大切な友人と、常にインスピレーションを与えてくれる師を失いました」で終わる3行の日本語と「私たちは、大切な友人と、常にインスピレーションを与えてくれる師を失いました」で終わる3行の日本語とでは、どこが違うか。後者のほうが「常に」のところで、読者の気持ちが高揚します。
補足
ご回答ありがとうございます。 大変、生意気ですが、 質問をする前に、アルク・英辞朗・英文法書で、既に確認しております。また、日本語らしい表現の前者と後者は、全く同じ文です。何が違うのでしょうか。今一度、ご回答願います。
- angkolwhat
- ベストアンサー率45% (182/404)
動詞は一度限りの動作と習慣的な動作の両方を伝えることが可能なことから,~ingは「~している」の意味に加えて,「よく・繰り返し~している」の意味を持ちます.ですから,「何度も・繰り返しインスピレーションを与えてくれた人物」と解釈することに不自然さはないと思います.
補足
ご回答ありがとうございます。お礼申し上げます。 ~ing形が「よく・繰り返し~している」の意味を持っていると解釈した方が、良いと考えられる例文が、ございましたならば、お教えいただきたいのですが、お願いできますでしょうか。 お手数をおかげして、申し訳ありません。
- bakansky
- ベストアンサー率48% (3502/7245)
文法の問題でも語法の問題でもありません。訳者が、日本語の文においてはそういう表現にするのが適当であると思ったからそう訳されているというだけのことです。けれど、全体としてはかなり直訳調だとは思います。 冒頭に 「スティーヴを知り」 とありますが、違う訳だってあり得ます。たとえば、「親しくスティーヴとともに仕事をしてきたわたしたちは、友人としてのスティーヴのみならず、あふれるインスピレーションの源としてのスティーヴをも失ってしまったのだ」 などというように訳す人だってあるかもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございました。お礼申し上げます。しかし、会社の公式ウェブサイトでの追悼文で、日本人が読むことが、確実な文章に、過剰な美化や賛美ともとられかねない訳文「あふれるインスピレーションの源としてのスティーヴ」という訳は、日本の企業風土からは、過剰に離れていると思い、私は賛同できません。その一方で、" and "の訳語に「のみならず」を使われた点は、大変、参考になりした。日本アップルの公式サイトでは、「と」が使われており、二人の人間を失ったような印象になる点に違和感を感じておりました。ご回答いただいたにも関わらず、ケチをつけるような行為してすみませんでた。今後も、有意義な回答を頂けると幸いです。
補足
ご回答いただきありがとうございます。また、今まで考えもしなかった点を指摘いただいたことに関して、本当に勉強になりました。生意気で申し訳ありませんが、100%の共感ではありませんが、80%くらいの共感を感じております。言葉ですから、精緻で、普遍的なものを求めることには、学者じゃない私には、どうでもいいことです。英語が有って、英文法がありますが、その関係性は、「物理学と法則」、「数学の定理(公理)、公式」とは、全く違うと思わないと、かえって英語学習の妨げになることは、私なりに理解しているつもりです。 「Apple本社で英文を起草された方の"お気持ち"」と「その文章を翻訳された方の"お気持ち"」を組みとって文章を読むことの大切さを、全く忘れておりました。 私は、「テクニカルライティング」を少しかじっていたのと、「経済学の研究」と「エンドユーザーコンピューティングによるホワイトカラーの生産性向上の研究」と「プログラミング技術と、その土台となる、論理学及び情報数学の教育の研究と実践」等を生業としていた時期が長かったために、「人の心」の大切さよりも、「ヒトの認知・判断・解釈・反応行動」を重視しておりました。映画は、観ますが、それは「何かしらの感動を求めて観る行為」では無く、どのようなセリフと画像と背景音(BGM)で、「何が伝わるか、何を受け取れるかの研究行為」に似ています。 なので、デートの後で、モトカノに「そんなこといわれると、映画の余韻に浸って、ウチに帰れない。帰りの電車の中で、どういう"検索キーワード"の組み合わせで、心理学の答えがみつけるかを考えながら、時間を過ごさなきゃいけなくなるじゃん」と怒られたこともありました。 人の心を組みとるための、一手段としての「英文法・語法」には、意味があると、私は思います。 その一方で、「読む」行為の中で、「人の心を大切さ」を忘れていては、人間ではなくて、「ヒトの形をしているにすぎない、単なる機械になりさがる」とも思います。本当に、私は「バカな機械」です。 大変重要なご指摘をいただき、感謝いたします。同じような質問時にも、ご回答いただけると幸いです。 ありがとうございました。