- ベストアンサー
祈るとき、人は目を閉じる
本を読んでいて、章の終わりに出てきた言葉です。 どういう意味でしょう。 前段で、見る(能動的、客観的)と聞く(受動的、相手が声を出してくれなければ成り立たない)を対比して、この計画が「聞く」ものであるとして出てきたフレーズです。 普通に前向きに考えられるのは 1 敬虔に祈る時は、神の言葉を聞きたいので目を閉じる・・・ 絶望的な解釈は 2 希望の可能性が少ない時は神頼みになる・・・ 上手く表現できていませんね(^_^; 皆様はどう解釈されますか。自由な幅広い解釈で結構です。 なお、相手というのは地球外知的生命なんです(←これにはとらわれなくて結構です)
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんばんは。 gorou3さんが読まれたのは、よくわからないのですが、「真理」に関するような内容の本なのでしょうか。。。。 1が私の見解としてもそうじゃないかな、と思いますので、書かせて頂きますね。 祈りを通して人間の心の(内なる)声=神の声という風に解釈して、以前読んだ本に、人の深層心理の更なる奥に、超意識体(潜在意識のもっと奥)と呼べるものがあり、そこへ意識を集中すると(いわば、一種のトランス状態と言えるそうです)届くそうで、そこにアクセスすれば神の声が聞けると書いてありました。 よく信心深い人が、祈るとそういうことも可能ですが もちろん、邪心を持っていると届かないそうです。 きれいな心(魂)でいるということでしょうか。 人の”想い”もエネルギーですし、人間の身体も細胞からできているということで、gorou3さんが最後に書かれている地球外知的生命とは、宇宙生命体のような”何か”ではないでしょうか。(推測ですが^^;) これも読んだことですが、人間(いわゆる生命体と呼ばれるもの)と宇宙エネルギーとの密接な関係があるというのは、何となく私もそのように感じています。 私たちの常識ととらえている事も、ひょっとしたらそうじゃないかもしれないですし、科学で何でも証明されないと納得できないというのも以外につまらないかもしれません。 ”この計画”と書いていらっしゃいますが、その地球外知的生命とのコンタクトの取り方ということなのかな・・? 全く的外れな回答でしたら、ごめんなさい。
その他の回答 (3)
- seiso
- ベストアンサー率20% (73/352)
こんばんは。 補足、読ませて頂いて再び書き込ませてくださいね。 その本は読んでいませんが、例えば人が”調心”つまり瞑想状態に入る、あらゆる思考がストップ、すると生命エネルギーが満ち溢れる、ある種の至福に満たされる、自分がなくなる、宇宙と一体化する、こういう境地に入った時に生命の源のようなものに触れることができる、時間も空間も越えた”空”の世界、その時にエネルギーが頭上に突き抜けるような現象が起きる、そうして”可視領域”や、”可聴領域”が広がって普通なら、見えないビジョンが見えたり、天上の声が聞こえたりする・・・。 人間はまだまだこういう状態に持っていくのは、私自身もできないですし、今3次元の世界ですが、宇宙はそれよりはるかに次元が高いと言われますね。 宇宙飛行士達が、帰還した時に”自分をいっぺんに変えるぐらい宇宙は次元が高かった”と言う話をきいたことがあります。 普通の人といいますか、次元がはるかに高くならないとその次元の高い地球外知的生命のメッセージは受け取れないということと、 地球は戦争を起こしていますし、それを当たり前のように感じたり、何とも思わない人が多い、NASAは特殊な能力を軍事目的などに使う、、こういうことをしているのを地球外知的生命から見ればなんと愚かなことをしている、ということになり、作者は”可視領域”で「見る」、”可聴領域”で「聞く」、そういう意味でそのフレーズを使ったのではないかと推測しますが。 文章がうまくまとまりませんが、gorou3さんはとても難しい本を読んでいらっしゃるのですね(^^ゞ。 勝手な解釈ですので、気にさわるようでしたら聞き流してくださいね。
お礼
再度ご登場ありがとうございます。 >地球外知的生命から見ればなんと愚かなことをしている、ということになり・・ そういうこともあるかもしれないんです。 「人は祈るとき」 不思議な言葉です。 肯定にも否定にもとれるんです。 えー、確かに難しい本でした。昨日読み終えましたが、半分解りませんでした^_^; しかしこの言葉にあっただけでもよかった。 そうおもいます。
- timeup
- ベストアンサー率30% (3827/12654)
>祈るとき、人は目を閉じる ⇒此れだけへの返答です。 「目」は掌よりも強力に気を発揮するので、それを出さないようにして、内部へ充満させると、神だか?の生命体に連絡はつきやすいようです。 つまり、目を閉じなくても充分に気のコントロールの出来る聖人などは其の必要は無いわけです。
お礼
うーむ 聖人が出てくるとは思いもよりませんでした。 今の私のテンションからすると最後の2行は参考になります。 また教えてください。
- Ulu_lun
- ベストアンサー率26% (269/1019)
その本は読んでいませんので、書かれた文章からの推測です。 「見る」事が出来ず「聞く」事しか出来ない対象に対して我々(人)は「祈る」-即ち目という感覚器官を閉じて、聞く事に集中するのだ、ということではないでしょうか。
お礼
お早い回答ありがとうございます。 (遅い御礼ごめんなさいm(__)m) そうですね、祈るということが本来は神などの声を聞くことにすごく集中するということでしょうか。 これからは、そうしようかな・・・
補足
いつもお世話様です。(あ、今は#3様の回答を見る直前で書いています。お礼は遅れます。申し訳ありませんm(__)m) また、解りづらい質問文ですみません。 (あえて、一般的な意味の解釈も聞きたかったので出典を隠そうと思ったのも確かですけど) 出典は「美しくなければならない」 副題「現代科学の偉大な方程式」 編者「グレアム・ファーメロ」 紀伊国屋書店 アインシュタインのE=mc2など物理学、天文学、化学、生物学の方程式にまつわるエピソード、11編からなる本です。 問題の章はドレイク方程式を取り扱っていて、SETI(地球外知的生命探査)がメインの話になります。 SETIは他の星の知的生命体(エイリアン)が、発信する電波を観測しようとする計画で、一時はNASAがやっていました。 すなわち「見る」とは、ある惑星の文明を直接見ることを指します(それはできるわけが無い) 一方「聞く」とは、文明が現在の地球レベルであれば、電波を出しているであろうから、それを観測できれば良い(エイリアンが交信する意図で地球方面に電波を出していれば尚良い)ということですね。 というわけで、ごく、前向きの話のラストにあのフレーズが出てきたのです。 お分かりのように、SETIは無茶な研究です。だから、NASAも予算を打ち切られたのです。そこも踏まえると、本章の作者はラストのフレーズで何を言いたかったのか。肯定か否定か。 (さて、ここを読んだとき、少々テンションが下がっていました。 「人は祈るとき、目を閉じる」でビックリして、 この質問をきっかけに、復活しようと思ったりもして、 するとカテゴリーは何が良かったんでしょうか。 科学? 天文学? 哲学? それともメンタルヘルス?)
お礼
この質問は、私の怠け癖のせいで2段構えになっておりまして・・・ 質問より長い補足など反省しきりですが・・・ また、いろいろなお声を伺いたいのです。 あ、#4のお答えを頂いてますが、ここからまずお礼いたします。 「きれいな心でいる」ということで、気がつくということですね。 ・・・#4でまたお返事いたします。