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オイゲン・ヘルギル『弓と禅』

表記の本が、過去何種類か出版されています。 また、岩波文庫に「日本の弓術」があります。 1、「弓と禅」と「日本の弓術」は同じものですか。 2、どの訳がいいですか、その理由、 以上、教えてください。

みんなの回答

  • hanniyagi
  • ベストアンサー率15% (14/88)
回答No.1

禅宗の僧であり、弓道の師範でもあった老僧が、夜の道場で。 一本目の矢を放ち、的の真ん中に的中した。 その後、灯りを消し。闇に向かって乙矢(2本目)放っと、カチン、という音がし。 灯りを付けると。矢は一本目の矢に当たっているを目撃した。 ということが書いてあったようです。(弓道に惚けていた?)学生時代に読んだ 「弓と禅」という書から、思いだせる、私の記憶に残る内容は、それだけです。 1、「弓と禅」と「日本の弓術」は同じものですか?  著者が同一人物なら、同じようなものでしょう。  それに、弓道教本は非売品、になっているはずであり、弓術の書が出版されることは  ないでしょうから。弓と禅から離れた、弓術の書(技術書)ではあり得ないでしょう。 何故非売品となっているかは、解りますよね、弓は元々は武器、 殺傷兵器、なのです。 それを、不殺生の禅僧が、修行、修養、の手段としている。 牧師が射撃の訓練をする、という形態は、西洋人の認識では理解出来ないこと、なのでしょう。 2、どの訳がいいですか、その理由は?   欧米人が理解出来ない、日本の「道」や「禅」に対する、驚き、評価、を西洋に、紹介   しようとする書を日本人が読んで、学ぼう、というのでしょうか?   数種の訳書があるからと、弓道や禅についてどう理解、誤解、しているか、 の興味だけで、すべての訳書に目を通すような者はいないでしょう。 どの訳書がいいか、その理由?との質問は、  的はずれ、ではないでしょうか?

omati846
質問者

お礼

残念ながら、回答になっていません、お説教にはなっていますが。 冒頭の挿話はよく知られていて、その程度のご記憶をお聞きしたかったのではありません。 小生、弓にも禅にも哲学にも、そしてドイツ語にも門外漢なので、翻訳の評価ができる方に回答をお願いしたのであります。