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日本人である皆さんはこの文の意味がわかりますか。

今日、教材の中で「(夏草や)兵どもが夢のあと」という文が載せてあります。これは私の母国語から訳されている文かもしれません。私はどうしてもこの日本語の表現が覚えられません。日本人である皆さんは、この「(夏草や)兵どもが夢のあと」という文は理解できますか。もし理解できなかったら、私はこの文の暗誦を諦めることにします。。。

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  • marinfish
  • ベストアンサー率25% (18/72)
回答No.8

fine_dayさんのおっしゃったように俳人・芭蕉が平泉という古戦場を訪れた際に詠んだ時に。 今自分の立ってる「ここ」はかつて、壮絶な争いがあった場所だ 、、そして、今ここに、雑草が生えている、 今は雑草だらけになっているこのただのなんてことない場所にみえる「ここ」は そういう事が確かにあったはずなのに、 今は「何も無かったかのような、」場所にすぎなく見える。 しかし、、、確かにあったのだろう、 時の流れとは、、 芭蕉や利久は禅宗をやっています。 「一期一会」という事を両名ともいつも頭にいれているはず。 「一期一会」とは、せっかく今回会ったのだから、その機会を大事にして、よろしく、、、なんて意味に使われがちだが、全く違う。 (1)「今ここに、この瞬間自分と出会っているこのまわりの総てのもの(つまり、この場合はこの雑草の場所) は、それぞれさかのぼれば、いろいろな事があって、今ここに、自分と出会っている。」 すべてのモノは自分も含めありとあらゆるものは 「縁」によって、今ここに出会っている。 (2)そして、また仏教では「諸行無常」も根本思想です。 つまり、あらゆるものは変化し、同じ姿をとどめる事はない(出来ない) (1)と(2)を心に置いて 雑草の生えるこの場所に立った作者は かつてここに二大勢力を争った激戦などなかったかのように、「何事もなかったかのような」この地を見て永い時の流れと、そしてうつろゆくこの「自然」の わびしさ(わびしさとは、そういう事)を感じ どうしようもない自然の「時間」と人間のはかなさと 「そこまでやった事(激戦)も、、今やなにもなかったかのようにすらなってしまう、「人間の存在感」 、、あらゆるものすべては、時間が過ぎれば、このように「何もなかったかのようになってしまう」 それなのに、人はいつも争い、欲望を膨らませ、必死に他者と比べ生き急ぐ。 それがいったい何になるのだ、何になったというのだ。 、、という意味でしょう。 日本人がかつて第二次世界大戦でやってしまった過ちも、今まさにある「欲望のかたまり」の「損得」だけで気が狂わんばかりになってしまったこの国のいじましさも、またアメリカの気狂いじみた独裁行動も、 ヨーロッパの右往左往も、アジアの必死の経済のあがき、世界中の宗教、経済にがんじがらめになっている事も、学校や会社、家庭、国、で、「見栄、」「権力」「地位」「欲望」などに、ぐちゃぐちゃになって 自分を見失いそうな時代です。 しかしこれもまた、「たかが人間の考える事、やる事、欲望」に過ぎず、時間が過ぎてしまえば、、、 たとえば1000年もすれば、 もはや、「今この時」など歴史の授業の暗記する事柄にも入らないささいな事にすぎず」また、いつか 太陽の核融合が尽きた時、この地球もろとも消え去り、この広大な宇宙に地球が存在していた事すらだれも知らなくなっている、(人類がいないのだから)ような時がくれば、あらゆる事は「無かったも同然」かのような事になる。 なのに、人間は、なぜこうも自分の我欲に必死にとらわれるのか、、、。 この雑草は、そんな事何も知らないまま、 あるがままに自然にただ生えているというのに、、、。 って、、まあ、今芭蕉に説明させれば、このようになるかと(^.^;) 長々と御静聴ありがとうございました(笑)

awayuki_ch
質問者

補足

marinfishさんの素晴らしいご返事を拝読しました。大変いい勉強になりました。日本語を勉強するとともに、日本の文化とか、歴史とかも勉強しなければなりません。今自分の勉強不足と痛感しました。 失礼しますが、私の日本語はまだ下手なので、marinfishさんのご返事の中で、ちょっと分からない文があります。 芭蕉や利久は禅宗をやっています。 「一期一会」という事を両名ともいつも頭にいれているはず。 「一期一会」とは、せっかく今回会ったのだから、その機会を大事にして、よろしく、、、なんて意味に使われがちだが、全く違う。 「一期一会」という言葉は私にとっては、初耳でした。gooの国語辞典辞書を調べてから、意味がわかりました。marinfishさんのお書きになった「全く違う」のは「一期一会」の普通の意味と全然違う意味でしょうか。この普通の意味と「全く違う」ことはどういうことでしょうか。また、「芭蕉や利久は禅宗をやっています。」とどんな関係でしょうか。ちょっと困っています。もう一度教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

その他の回答 (16)

回答No.6

ほかの方々が書いているとおり,有名な俳句なので,たいていの日本人は(この文を)よく知っています。 蛇足ですが, 「兵どもが…」は「つわものどもが…」と読みます。

awayuki_ch
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 「つわもの」という読み方は教材の中にちゃんと書いてあります。とても覚えにくく感じがします。。。

  • ranx
  • ベストアンサー率24% (357/1463)
回答No.5

外国人の方ですか?これは、大抵の日本人が知っている 有名な俳句です。ですから、外国語からの翻訳ではありません。 分かりにくいと思われるとしたら、それは多分助詞「が」の 使い方のせいでしょう。 現代語ではこんな言い方はしません。古文特有の言い方で、 現代語に直せば「兵どもの夢のあと」とほぼ同じです。

awayuki_ch
質問者

お礼

わざわざもう一つの言い方を書き換えていただいて、ありがとうございました

  • fine_day
  • ベストアンサー率70% (6285/8867)
回答No.4

この俳句が詠まれた背景を知らないと、意味を理解することは難しいと思います。 この俳句は、俳人・芭蕉が平泉という古戦場を訪れた際に詠んだものです。「昔は栄えていた地方だが、今は雑草が生えている。戦った者たちの夢のあとだ」と。むなしさのようなものを感じたのかもしれません。

awayuki_ch
質問者

補足

これは松尾芭蕉さんの俳句でしょうか。恥ずかしいことに、日本の俳人のなかで、松尾芭蕉さんしか知らないです。この俳句が詠まれた背景を丁寧に教えていただいて、どうもありがとうございました。大変いい勉強になりました。 そういえば、「夏草」というのは「雑草」の意味でしょうね。私はこの俳句について、もうちょっとお聞きしたいんですが。この俳句の意味は「雑草と勇敢な兵士はみんなただの美しい思い出だっただけ」でしょうか。ちょっと理解できません。「勇敢な兵士はみんなただの美しい思い出だった」と理解したら大丈夫だと思いますが、「夏草(つまり雑草)なんかも美しい思い出だったと理解したらちょっと理解できません。「夢のあと」というのは普通プラスのことを言うべきですね。もう一度教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

  • BIGMAC
  • ベストアンサー率25% (624/2491)
回答No.3

言うまでもなく、杜甫「春望」の 「国破山河在、城春草木深」が土台としてあります。

awayuki_ch
質問者

補足

BIGMACさんは中国語も出来る方だと思います。教科書の中の中国語は「今朝夏草从生,昔日干城何在」です。でも、これはBIGMACさんの書いた杜甫の春望のあの文の雰囲気にもピたりような気がします。

noname#5868
noname#5868
回答No.2

訂正 これがを知らなくて→これを知らなくて

noname#5868
noname#5868
回答No.1

これがを知らなくて、出てきていきなり判るかといわれればらわかりません。が、知っているので判るという感じです。 俳句なので、表現方法とか、意味とかは、説明されないとわかりません。

awayuki_ch
質問者

お礼

早速ご回答して頂いて、ありがとうございました。

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