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口語文法(形容動詞)の質問
「きれい」の品詞について考えています。一番自然なのは形容動詞「きれいだ」の語幹と考えることだと思うのですが、「それってとてもきれいね」などという日本語もあるような気がします。形容動詞の活用表をみると必ず活用語尾がついてくるので、こう考えると「きれい」は活用語ではなくて、名詞扱いになるような気もします。形容詞でないのは自分でもわかるのですが、詳しくはどう解釈すべきなのか教えてください。 それともあまり文法的にはよくないことだけど、形容動詞の「だ」抜き言葉、なんていうものがあるのでしょうか。
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「とてもきれいね」という言葉は確かに耳にしますが、文法的に正しいとはいえません。 「とてもきれい(だ・です)ね」が正しい文法です。 「美しい・ね」と「きれい・ね」はやはり成り立ちが違います。 「美しい・なぁ。」「美しい・ぞ。」「美しい・わ。」は言えますが 「きれい・なぁ。」「きれい・ぞ。」「きれい・わ。」は言えませんから、やはり「きれい・ね」や「きれい・よ」は正しい文法ではないのです。 また、名詞(体言)はその直後に「は」や「が」などの助詞をつけると主語になれます。「きれいは花。」などとは言えないので「きれい」は名詞ではありません。
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- solisere
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「専門家」というほどえらいものではないですが、えらそうな話をするのでごめんなさい。 まず大前提として、「文法があって言葉があるのではない」ということができます。 いままで日本人が使ってきた言葉を規則的に分類したり定義づけたりするのが文法ですから、中には例外的なものもあります。(その中で代表的なのが例えば「カ行変格活用」とか「サ行変格活用」なんだと思います) 「形容動詞」というのもなかなかに微妙なものでして、質問者の方の疑問ももっともだと思います。 「そんなものは存在しない」という文法学者の方もいらっしゃいます。もちろん名詞に助動詞「だ」のついた形だという方もいらっしゃいます。 ただ、今学校で教えている文法は、たくさんある学説の中で「最も破綻が少なくわかりやすい」ものだから、といえるのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。でもやっぱりきっちりと理解できる文法体系を望んでしまうのは僕の性なのかな。
- big_barn
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こんばんは。 ちょっと長くなりますが。 金田一春彦氏は、岩波新書『日本語 新版 (下)』のp211~で次のように述べています。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (略) 日本語は、こんなふうで、センテンスの最後がはっきりしている。ところが、日本人はこの性格を利用しているというよりは、むしろもてあましてきた。日本人は、はっきり文章が終わってしまうと、何か切り口上のような、そっけない ― 今のことばでいえば、ドライな漢字がすると考えていやがった。 電話のベルがなって、女の人が出る。 ハイハイ、渡辺でございますけれども・・・・・・ 外国人は、よく、この最後の「けれども」はどんな意味だとたずねる。どんな意味もない。切り口上をさけたのである。あるいは次に来ることば、たとえば「何か御用でございますか」というようなことばを略したというべきかもれない。どっちにしても、はっきり切れるべきところで文章を切ることを避けている湖とはたしかである。その結果、センテンスの途中でセンテンスを切る。この傾向は、特に女性の表現に多い。 (中略) 今の日本語で、動詞には文法でいう終止形と連体形との区別がない。たとえば。両方とも「する」「する」だ。これは、実に特異な言語である。が、平安朝ごろまでは、ちゃんと区別があった。終止形は「す」、連体形は「する」だった。ところが平安朝の末頃、終止形で終わるのがドライだというわけか、文の最後に連体形を用い、終わるような終わらないような口調で文をとめるのがはやり出した。 (中略) 今、男の言葉と女の言葉を比べると、女は「だ」という助動詞を使うことが少ない。 ほんとうだよ ― ほんとうよ そうだねえ ― そうねえ 上(左:原文は縦書きなので上に位置する)は男の言葉で、下は女の言葉だ。なぜ女は「だ」を避けるのか。これは「ダという助動詞をさける」と言っては正しくない。「だ」という助動詞は、連体の形と終止の形がちがう唯一の単語である。「だ」というと、いかにもセンテンスが終止した感を与える。だから。これを避けるので、これも、終止の形を避けるあらわれである。 (以下略) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 要約すると、 断定の助動詞「だ」は、終止形の「だ」を用いることを避け、連体形を用いることによって、センテンスが終わったような終わらないような雰囲気を作り出している。 ということです。 ただし、助動詞「だ」の連体形「な」は、現在あまり用いることがない形になっているので、消失しているものと考えられます。 形容動詞の語尾に関しても、助動詞の「だ」と同様の活用をすることから、同様に考えることができます。 それでは、また。
お礼
ありがとうございます。確かに「きれいだ」ってどうも重いんですよね。特に女性なんか、形容動詞の終止形は使わないだろうな、と想像します。それに反して、「汚い」は形容動詞ほど重さがない気がします。
- honnori
- ベストアンサー率32% (72/220)
先ほど回答いたしましたhonnoriです。 忘れ物をしてしれしまいました。 下の参考URL書き込み欄に「ばか」についてのページを打ちました。みてくださいね。失礼しました。
お礼
参考urlおもしろいですね。形容動詞の終止形に「だ」を抜いた語幹のみというのを追加したらスッキリするのかも、と思いました。この案ダメかな...
- honnori
- ベストアンサー率32% (72/220)
形容動詞と名詞の見分け方ってけっこう難しいし、ほとんど分けようがない、またはどちらともとれるものもあるようです。 まず、名詞について。名詞は活用がなく、その言葉に格助詞をつけると主語になることができます。 形容動詞は、「な形容詞」とも呼ぶ人がいて、形容詞的な役割をもち、あるもののある状態を表す言葉です。 「な」をつけて言うことができても、主語にならなければ形容動詞といえるでしょう。 そこで。 「きれい」ですが。 確かに形容詞ではないですよね。形容詞は語尾が「い」のままで単独で述語になります。「花はは美しい」がそうです。「きれい」だと、「花はきれい」となり、意味はわかりますが、尻切れトンボのように感じますね。形容動詞独特な「だ」「です」をつけた方が響きがよくなり、座りのいい文になります。 本来形容動詞は、「きれいな」「きれいだ」とういうように「な」「だ」「です」をつけて言うことができます。では「な」をとったら名詞なるでしょうか。「きれいは」「きれいが」まして「きれいも」ということはあまり考えられません。「きれいが一番!」と無理矢理言えばいえなくもないです。ですから、今後は名詞の仲間に入る可能性はあります。が、今現在では「形容動詞の語幹」というのが正解でしょう。 次の所にアクセスしたら、「バカ」について述べていました。なかなかおもしろい話です。「ばかだ」「ばかな」という形容動詞は、「ばかは」「ばかが」「ばかも」というように主語にもなれるので、「ばか」で名詞になると考えられます。というのです。読んでみてください。 この程度しか説明できなくてごめんなさい。
- poor_Quark
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柳田国男著「国語の将来」によると、日本語は形容詞の数が不足していて、その不便を埋め合わせるのが形容動詞の役割だそうです。形容動詞は「名詞の形をした語幹」+語尾によって構成されており、正確には「体言」+「助動詞」という分析をする人もいて、その柔軟性の高さから品詞として認めないという立場があるくらいです。 と http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=262227 で回答したことがあります。この質問に寄せられたみなさんの回答がヒントになるかもしれません。ごらんになってください。 「きれい」ですが、形容詞の「美しい」と比べるとはっきりすると思います。「きれい」には活用がないので、体言と考えてかまわないと思います。また口語であっても体言で終わる表現はあってもおかしくないのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。参考url拝見させていただきました。「この部屋は汚い。この部屋はきれい。」ではあまり不自然さを感じないのが相変わらず不思議です。綺麗⇔汚い、で品詞が異なるというのはしかし不可解なものです。
お礼
ありがとうございます。やはり名詞と考えると少し怪しいですよね。いろいろ考えて、形容動詞は何かに接続する場合は通常の活用語尾がつかないといけないけど、単独で言い切りの場合は語幹のみで使用してもわりと違和感がないように思えてきました。そしてごく一部は名詞化しているものもある、ということでよいのかも知れません。例えばhonnoriさんも紹介してくださった「バカ」なんかは名詞とも形容動詞語幹とも両方取れる、あるいは形容動詞擁護派は二つあると考えてしまうかな。