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すぎるの文法的解釈

A:食べすぎる B:悲しすぎる C:穏やかすぎる Aは動詞の連用形+すぎる→複合動詞? Bは形容詞の語幹+すぎる Cは形容動詞の語幹+すぎる Aを複合動詞と考えると、「食べなおす」「食べだす」(こちらは接尾語というのでしょうか。)のような「なおす」・「だす」は、形容詞、形容動詞の語幹につくことがないので、「すぎる」だけが特別になってしまいます。 名詞にくっつく「さ行変格動詞」と同じく、B、Cのように、「形容詞・形容動詞」の語幹にくっついて、 新たに動詞を作る言葉、と解すると、独自性が高いので「すぎる」だけで、「~動詞」という新たな項目立てが必要かと考えます。 「すぎる」だけが、他に文法的な仲間を持たない独立した言葉のような気がするのですが、 どうなんでしょうか。

みんなの回答

回答No.2

 日本語の文法にも、様々な学説や立場がありますので、一概には言えないと思いますし、私も多くの説を概観して述べるだけの力はありませんが、新明解国語辞典第五版で、たとえば「はじめる」を見ると、「他動詞・下一段活用」の動詞として、[一]に通常の動詞としての説明をあげ、[二]に「(接尾語的に)」として、説明と「書きはじめる」「言いはじめる」などの例を挙げてあります。「すぎる」に関しても同様の書き方です。  「新明解」の立場は、「すぎる」は動詞であり、その中には「接尾語【的】」な用法もある、というもので、接尾語そのものとして認定しているわけではないと私は判断します。  同じく「新明解」の「接尾語」の項に「複合語の後(アト)要素のうち、それ自体は単語として独立することの無いもの」とありますので、単独の動詞としての「過ぎる」の用法が存在する「すぎる」を、「新明解」を根拠として「接尾語として捉え」るのは無理があるように思います。質問者が最初におっしゃっているように動詞の連用形+「すぎる」で「複合動詞」と考えるのがよいと思います。    さらに、手元の中学生用の文法書の「複合動詞」同じく「新明解」の項には、「形容詞の語幹+動詞」の例として、「遠のく」「長びく」が挙げてあります(それぞ「退く」「引く」を動詞として単独で用いるので「~+動詞」としてあるのでしょう。なお「形容動詞の語幹+動詞」についての記載はありませんでした。)。  したがって学校文法の立場では「悲しすぎる」「穏やかすぎる」もそれぞれの語幹+動詞という成り立ちの複合動詞として教えることになるはずです。  確かに「すぎる」は「なおす・だす」などと接続の仕方が異なりますが、それで「~動詞」とい新たな項目を立てるのは、分類を繁雑にするだけで、あまり益がないのではないかと思います。まあ、これは考え方によるでしょうが。  ちなみに、動詞の場合は連用形に、形容詞・形容動詞には語幹に、という接続の仕方は、助動詞ではありますが、「たくさん食べそうだ」「とても悲しそうだ」など様子や状態を表す、様態の「そうだ」がありますね。

fall60
質問者

お礼

ありがとうございます。だいぶわかってきました。特に、「そうだ」の提示は、なるほどと思います。 「すぎる」は、(1)単独動詞としての用法、(2)複合動詞を作る、(3)他の言葉にくっつくとき助動詞「そうだ」と同じつながり方をする。この3つの条件を満たす言葉が見つかれば、それが「すぎる」の仲間になりますね。

  • shkwta
  • ベストアンサー率52% (966/1825)
回答No.1

新明解国語辞典第五版「すぎる」の項に「接尾語的に」とあります。文法上は接尾語の機能としてよいでしょう。「さ」「み」「がる」の仲間です。 面白さ、面白み、面白がる、面白すぎる ただ、不思議なのは、「無い」につくときは「無すぎる」でなく「無さすぎる」と言わなければならない点です。

fall60
質問者

お礼

ありがとうございます。接尾語のほうで捕らえるべきなのですね。 実は、「すぎる」はそれだけで動詞になるので、接尾語と考えつかなかったのだと思います。 「時がすぎる」の動詞「すぎる」と「食べすぎる」の「すぎる」は意味がなんとなく違うような気がします。 接尾語として捉えた場合、「すぎる」はほとんどの用言にくっつけられます。同じように多くの用言にくっつけられる接尾語というのがあれば、その仲間となりますね。お気づきの言葉がございましたら、お願いします。 ありがとうございました。

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