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ルソーのホッブズ批判とは? 一般意思と主権の関係を考える
- ルソーのホッブズ批判は、「自然状態」や「自然法」の解釈の違いが重要な点です。また、ルソーは「一般意思と主権は不可分だから、主権は譲渡不能である」という理論を唱えています。
- 一方、ホッブズも「主権は譲渡不能である」と言っていますが、社会契約の考え方が異なるため、ルソーの理論はホッブズ批判にあたるのかは議論が分かれています。
- ルソーの理論とホッブズの考えが合致しているとするなら、ホッブズの言う「主権」とは異なった概念となります。しかし、詳細な解答は専門知識を必要とするため、詳しい方の解答をお待ちすることをおすすめします。
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この点に関しては『リヴァイアサン』を見れば明らかだと思います。 第十八章「設立による主権者の諸権利について」を見てください。ここに《コモン-ウェルスを設立する行為とはなにか》として 「ひとつのコモン-ウェルスが、設立されたといわれるのは、人々の群衆の、各人と各人とが、つぎのように協定し信約するばあいである。すなわち、かれらすべての人格を表現(Present)する権利(いいかえれば、代表Reprisentativeとなること)を、多数者が、いかなる人または人々の合議体にあたえるにしても、各人は、かれらのあいあだで平和に生活し、他の人々にたいして保護してもらうために、それに賛成して投票したものも反対して投票したものもひとしく、その人または人々の合議体のすべての行為や判断を、それらがちょうどかれじしんのものであるかのように、権威づける、ということである」(p.37『リヴァイアサン 二』水田洋訳 岩波文庫) とされています。 代表者は「人々がかれらじしんのあいだで協定して、ある人または人々の合議体に、かれらすべての他人にたいして保護してくれることを信頼して、意志的に服従」(p.35)することによって主権者権力を持つに至ります。 つまり、この代表者に統治を委ねたその瞬間から、主権は譲渡されることになります。 ここで主権者=統治者ということになり、主権を譲渡した人々は「臣民」ということになっていきます。「臣民たちは統治形態を変更しえ」ず、「主権設立にたいして、抗議するものは、だれでも不正義たらざるをえな」くなり、「主権者権力の直接の放置なしには、いかなる授与によっても譲渡されえない」ということが導かれていきます。 それに対してルソーの『ジュネーヴブ草稿』の《主権とは》という項目には、このように書かれています。 「…国家のうちには、国家を支える共同の力が存在するのであり、一般意志はこの力を発揮する。この二つの要素がたがいに働きかけることで、主権が作りだされるのである。だからこそ主権というものはその本性からして法的な人格にほかならないことが理解できよう」(p.335『社会契約論/ジュネーヴ草稿』光文社 中山元訳) つまり、ルソーの言う主権とは「共同体の利益と存続を目的として一般意志が行使されること」(同 p.497「解説」より)ということなのです。 すなわち「主権が譲渡されえない」のは、そもそも「意志」が譲渡することができないからです。 第二に「意志」というのは「人民全体の意志であるか、人民の一部の意志にすぎないか」というものであり、「人民の一部の意志」は「一般意志」とは呼べず、このことから「主権」は分割されえない。 そこから「一般意志は代表されえないという第三の特徴が生まれる」(p.498) つまり、ルソーの主権概念は、ホッブズに真っ向から否をとなえたものと言えるでしょう。 すでにご存じかとおもいますが、そもそもルソーはホッブズの『リヴァイアサン』を読みに読み、そのうえでホッブズがうち立てた自然法学を批判し、作り直すことによって、『人間不平等起源論』を書いていきました。その意味で、ホッブズの「鍵概念」はルソーによってことごとく「批判的継承」されていっている、といっても過言ではないかと思います。 なお、文中にも引用しましたが『社会契約論』巻末の中山元氏の解説は、「一般意志」を大変わかりやすく解き明かしてあります。もし未読でしたら、ぜひご一読を。
お礼
大変よくわかりました。ありがとうございます。