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御成敗式目の起請文の意味とは?
- 御成敗式目の起請文は、御評定間理非決断事の一部であり、評定の間において理非を問わず正当な意見を述べることができることを示しています。
- 御成敗式目の起請文によれば、異なる意見や知識を持つ者がいても、それを理解し受け入れる心を持つべきであり、個人の好みや立場に左右されずに公平な判断を下すことが求められます。
- また、御成敗式目の起請文は、評定の庭で行われる訴訟や訴えにおいても、公正な判断を求めることを示しています。異論や矛盾がある場合でも、適切な裁定を下すべきであり、箝口令や権力の影響を受けることなく、真実を追求することが重要です。
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これくらいは国語辞典、古語辞典などあれば簡単に訳せるでしょう? WEBで辞書を引けばよろしい。 勉強するという事は教えてもらう事だけではなく自らが探求し解決し記憶し判断力を磨くと云う事です。 御評定の間、理非決断の事 右、愚暗(愚かで道理が判らない)の身、了見(考え、思考、分別)の及ばざるによってもし旨趣(理由、事柄)相違の事、更に心の曲る(正直で無い)所に非ず。 その外、或は人の方人(かたうど:仲間)として道理の旨を知りながら、無理の由を称し申し、又非拠(根拠のない)の事を証跡有りと号し、人の短(欠点)を明らかにせざらんが為、子細を知りながら善悪に付きてこれを申さずば、事(言と同じ:思考、意識の対象や現象、事項)と意(思う事)を相違(掃き違い)し、後日の紕謬(びびゅう:誤り、過ち)出来せんか。 凡そ評定(審議)の間、理非(正しいか正しくないか)においては親疎(親しい事と疎遠な事:知り合いだから赤の他人だからと区別する事)有るべからず、好悪(人の好き嫌い)有るべからず。ただ道理(物事の正しい道筋)の推す所、心中の存知(理解している事)、傍輩(同じ主人や先生に仕えている仲間)を憚らず(気兼ねしない)、権門(位が高く権力のある家柄)を恐れず、詞(言葉、物を言う事)を出すべきなり。 御成敗事切れ(決着がつく事)の条々(一つ一つの条項)、たとひ道理に違はずと雖も(云えども:とは言っても)一同の憲法(決められた法)なり。 たとひ非拠(道理に基づかない:非人道的な)に行はるると雖も一同の越度(おつど:法に違反する事)なり。 自今以後、(今後:感知しないとの意味合いがある)訴人并び(ならび)に縁者に相向ひ、自身は道理を存すと雖も、(云えども)傍輩の中その人の説を以て、聊か(いささか:ほんの少し)違乱の由(いらんのよし:秩序を乱す事の理由)を申し聞かすの者、すでに一味(同じ目的をもって集まった仲間)の義(道徳、義理)に非(あら)ず。 殆ど(おおむね)諸人(しょにん:色々な人)の嘲りを貽す者か。 兼ねて又道理無きによって、評定の庭に棄て置かるるの輩越訴(おっそ:上級での判定を仰ぐ事。現在の高等裁判所への訴と同じ)の時、評定衆(ひょうじょうしゅう:鎌倉幕府の行政・司法・立法を司る)の中、一行を書き与へられば、自余(じよ:この他)の計らひ(取扱い)皆無道(ぶどう:人の道に離れる事)の由、独りこれを存ぜらるる(考えられる)に似たるか。 てへれば、(と言えば)条々(個々の条)の子細(詳しい事情)かくの如し。 この内もし一事と雖も曲折(込み入った事情)を存じ違犯せしめば、梵天・帝釈・四大天王、惣(総)じて日本国中六十余州の大小神祇(かむつかさ:神官)、別して(特に)伊豆・筥根(箱根)両所権現、三嶋大明神・八幡大菩薩・天満大自在天神の部類眷属(けんぞく:一族)の神罰・冥罰(みょうばつ:神仏が下す罰)を各(それぞれ)罷り蒙る(免除)べきなり。 よって起請(神に誓う事)件(くだん)の如し。