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古文書の書き下しと訳について。

古文書の書き下しと訳について。 現在、大学で古文書の勉強をしているのですが、読んでみても内容をよく理解することができず発表の期限が近付き困っている状態です。以下の古文書について、書き下しと訳をお願いできませんでしょうか? 今津泉屋信重書状 御折帋委細拝見見令申候、仍先度者若衆小濱へ御下候處、南市之面々新儀おこし、 其方へ荷物取候事、言語道断次第候、就其田中殿に此子細申候處、聞召候、 彼分に候ふんに候、たちまち去取候荷物、御成敗により可返儀に候に候へ共、少取ち□よし候間、 少事可返候よし申候へ共、我等覚悟に不及候由申候、相富可給候由申候へ共、御あつかい衆として御留候間、于今かんにん申候、荷物不返付候者、屋分相當を可取覚悟候、殊はるばる惣兵衛殿越被申候、於我等等祝着存候、懇申度候へ共、御いそきの事にて候間、不能一二候、恐々謹言 以上です。私も調べたのですが、理解することができませんでした。なので皆様のお知恵をお借りできればと思っています。どうかよろしくお願いいたします。

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  • chomicat
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回答No.2

下記はどうでしょうか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1040391900 今津は滋賀県高島市今津、小濱は福井県小濱市、今津から一山超えた処です。 文中「新儀」は勝手な振る舞いとも、自己で決定した事などと思います。 ただし今津の手前、現在のJR新旭駅辺の旧地名は「新儀」と言った事は申し添えておきます。 京都>大津>坂本・堅田>安曇川>今津>途中>小濱は、かっての鯖街道(古道には3~4本のルートが有ります、現在鯖街道と持て囃されて居るのは比良山脈の裏を通る朽木道です。)の一つ、現在は湖西街道と呼ばれています。 今津あたりは京と北前船を結ぶルートの要でしたから、携わる多くの商人が居ました。 京都へ出てきて100年以上経つ商人の本家はこの辺り、今でも数多く見られます。 琵琶湖を挟んで、湖東の近江商人と称される主に繊維関係の商家の本家とは趣を少し異にします。 日本海に面する若狭小濱は京都にとっては昔から重要な所、海産物の御厨。 湖西街道の堅田は平安京が出来る以前、すでに人口2万人と言われ、下鴨神社の御厨でありました。 この京都、小濱を結ぶ湖西街道筋には多種多様の商人が居を構えていた筈です。(現在でも) このような背景を元に文章をお読み下さい。

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