- ベストアンサー
学びの為の準備の学び
情緒的に安定している無心状態では、情報の摂取が比較的に容易になり得るのでしょうから、そういう態度が学びには適していると思われます。 でも、其の時に得た情報の処理方法は、どうやって準備されてきたのでしょうか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 脳の処理は限界がありますから、優先度の高い危機回避の為の処理が不必要であれば、学習の為の処理によりまわせるということではないでしょうか。 ピント外れの回答でしたらご容赦ください。
その他の回答 (3)
- horitate
- ベストアンサー率33% (117/351)
説明がかなり不足していますね。 > 『情緒的に安定している無心状態』という文言を、『(武術の達人等による)思考停止状態』という意味合いで、私は此処で使っておりまして、 それならそうと書いてください。 > たとえ無心状態での情報処理が強いられましょうとも、普段からの日常的な訓練が悪い癖を払拭してくれていませんでしたら、学びを有効に役立てられ難いのでしょうから、習慣付けによる準備の価値の有無を伺っております。 ここの「普段からの日常的な訓練」が「無心状態」というわけではないでしょう。ここで危機を意識した自覚的練習に励むからこそ、勝負の場で「無心状態」を獲得できるということではないですか。 > http://www.paw.hi-ho.ne.jp/sounin/hana/tubuyaki-2/sub/mushin.htm ここで「坐禅によって無心をつかめば心は静まり、早いものにも素早い対応が出来るのである。無心の心をつかむと見えるものはよく見えてくるし、見えないものまで見えてくる、そんな心がつかめるのである」「柔道を通して心の修行をするから道と付くのである」とありますね。すなわち、「無心状態」とは、学びの準備段階にあるものではなく、修行の先に獲得されるものであることに納得してもらえますか? > 因みに、江戸時代には庶民がナンバの移動方式しか知り得なかったらしいですので、たとえ火事場で馬鹿力が増幅されましょうとも、咄嗟の閃きで避難が叶ったのではなく、実際の絵画にも描かれています通りに、万歳ポーズでもがく様に移動したせいで、被害が拡大したそうです。 ここの「ナンバの移動方式」も、なんのことかわかりませんが、「普段からの日常的な訓練」が十分でないということでしょう。これは、先の大震災での避難が十分機能しなかったように、一般庶民は、歴史から何も学んでいないという証左にもなるでしょうね。
補足
既に無心で殺気を感じ取れる段階の師範達の事を、 此処では話題に選んでいます。 つまり、此処で申し上げている『学び』とは、 突発的な閃きの事です。 ナンバはオリンピックの時にも話題になりましたよね。
- horitate
- ベストアンサー率33% (117/351)
> 無心状態の情報検出能力は、 記憶と関わっていないのでしょうか? もちろん、記憶あっての判断です。 > 外部から未知の情報群を急に押し付けられた場合に、若し既知の処理方法で理解を済ませられなかったのでしたら、其の危機的な状況からの離脱さえもが困難になるのでしょうから、人類が歴史上でそういう状況をどうやって切り抜けてきたのかが、此処での主題になっています。 最初の前提は、「情緒的に安定している無心状態」ということではなかったのですか。最近の危機的状況である東日本大震災への対処について、「切り抜けている」とは、到底言い難いですね。津波からの避難についても、逃げる場所の判断がつかなかった人もいれば、危険を過小評価して避難しようとせず、命を落とした人もいるようですし、偶然助かった人もいるようですし。情報を提供する側から混迷を極めています。人類史上、これまでに経験してきた様々な危険についても、すべて安全に切り抜けられてきたという例は、まれなのではないでしょうか。 最近知ったことで、1964年にアラスカでマグニチュード9.2の地震に遭遇しながらも、学校や仕事が終わった時間帯だったために、直接の地震での死者は9人ときわめて少なかったそうです。この当時も"Tsunami"という単語が使われていたようで、"Tsunami"による被害は106人だったそうです(http://www.pictinas.com/kobe/manual/preparj5.html, http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AB%E5%9C%B0%E9%9C%87)。 東日本大震災の死者に関して、地震そのものによるものと津波によるものとを区別したデータをみつけることはできていませんが、東京も含めて内陸部の死者数が少ないことを考えると、津波の被害の方が大きいことは想像できます。 復旧・復興への対処に関しても、阪神淡路大震災とも比べものにならないほどの広範囲であり、ボランティアの受け入れ体制にしても、地域差が指摘されています。また、原発の処理のある福島はまた別格である等、既存の知識が役に立たない場面が多いと言われます。原発処理のニュースにしても、聞く側は、まだるっこしい思いを抱きながら、試行錯誤を続ける専門家に任せるしかないというところではないでしょうか。
補足
有り難う御座います。 『情緒的に安定している無心状態』という文言を、『(武術の達人等による)思考停止状態』という意味合いで、私は此処で使っておりまして、たとえ無心状態での情報処理が強いられましょうとも、普段からの日常的な訓練が悪い癖を払拭してくれていませんでしたら、学びを有効に役立てられ難いのでしょうから、習慣付けによる準備の価値の有無を伺っております。 http://www.paw.hi-ho.ne.jp/sounin/hana/tubuyaki-2/sub/mushin.htm 因みに、江戸時代には庶民がナンバの移動方式しか知り得なかったらしいですので、たとえ火事場で馬鹿力が増幅されましょうとも、咄嗟の閃きで避難が叶ったのではなく、実際の絵画にも描かれています通りに、万歳ポーズでもがく様に移動したせいで、被害が拡大したそうです。
- horitate
- ベストアンサー率33% (117/351)
「学び」とは、意識的に行ったときの方が効果的だという気はします。赤ん坊でさえ、好奇心を向けた物に目を向け、手を伸ばします。学習課題を提示する際に、子どもの能力の成熟を待って行うという説もあれば、次に発達しようとする芽に向けて先回りしたものを提示するという説もあります。学習心理学や発達心理学の概説書を読んでみてください。
補足
有り難う御座います。 無心状態の情報検出能力は、 記憶と関わっていないのでしょうか? 外部から未知の情報群を急に押し付けられた場合に、若し機知の処理方法で理解を済ませられなかったのでしたら、其の危機的な状況からの離脱さえもが困難になるのでしょうから、人類が歴史上でそういう状況をどうやって切り抜けてきたのかが、此処での主題になっています。
お礼
http://okwave.jp/qa/q7546534.html 上記のページでも、御教授を賜れませんでしょうか?
補足
有り難う御座います。 未知の情報の摂取の為に、主観的な思考を一時的に休止させますと、純粋な形で情報が刷り込まれやすいのではないか、と思われますが、刷り込まれた情報をどうやって自分達の役に立てていくのかが分からなくて、私は此の質問を試みました。